
大学生の時のスピードと現在
私は今、47歳の立派なオッサンになった。
30代は結構、自虐的に自分をオッサンなんて言っていたがまだオッサンが地についてなかった感があったが、最近は立派なオッサンだなぁと思っている。
特にわぼいそ釜山で活動する際は、周りが若いのでそのように感じるんだと思う。
そんな私にも大学時代があった。(当たり前だが)
私は工業高校卒業で就職率99%。
なので進学をしようなんていう学生はいなかったが、私は無謀にも大学進学を夢見た。
そして、現役は敗退
見事に浪人してしまった。工業高校との勉強と普通高校の勉強の差は後から感じるもので、後から思うとより無謀なことをしていたと感じた。
まぁ、それはなんやらかんやら努力した結果。無事大学に合格。
希望の東海大学海洋学部に合格した。
本題は、ここからですが。。
東海大学の本校は、神奈川県平塚にあります。
そこに行ったのは、試験、入学式、卒業式の3回。
海洋学部のキャンパスは、静岡県清水のほうにありました。
松原が素晴らしい三保の松原があるところですね。
そこで親より”家から通ってね”
「えっ?」
実家は、横浜だ。
横浜から三保までなんと片道3時間
往復で6時間
なんとも長~~~~い道のりとなった。
そこから大学4年間、大学院2年間の計6年間
その長~~~~い通学をすることになる。
今思っても無謀なことをしていたなと思っている。
その頃は、それ以外の時間はバイトと勉強だったので通学の電車内はもっぱら睡眠時間であった。
バイトもその頃はかなりやっていて、レストランガスト、家庭教師、ガソリンスタンドを同時にやっていた。
なので、ほぼ家にいるのはレストランが終わった午前3時~午前5時までくらいの2時間睡眠
親に会えるのは、その頃は日曜日の朝くらいだった。。(笑)
電車内は、睡眠か宿題をやるのが常で修士論文でさえも電車の中で行っていた記憶があります。
でも、今思ったら私の性格上を考えると、大学近くで時間が余計にあるよりはそうやって時間ギリギリを有効活用することが性に合っていたんだと思う。
※もちろんこれは人それぞれです。
逆に、スケジュールが空いて暇な時間が生じたときには、何をしていいかわからなくなるので、そうやって何かあることが精神上安定でもあった。
表現をすれば、自分から忙しくなっている自分がいた。
今は、少しそのような思いは減ったとは思うがやはりいつも動いていたい気持ちがある。
生きているこの時間で何が自分が出来るのかの限界を見極めたい。そんな思いがあるのだろうと。
そんな軌跡を少しでも残せたら少しでもなにかが進むのではないかと思っている。
今後、カタチを残すプロジェクトチームを作りたいと思う。