Noteを始めてみた

1999年11月3日、私事ながら俗物は生まれた。

 それは、ノストラダムスの大予言も外れたころ。日本シリーズの優勝を果たした直後に工藤公康がFA宣言をしたためにダイエーホークスに激震が走った頃である。
 競馬界では、世紀末覇王が皐月賞を勝ち、アドマイヤベガとナリタトップロードがそれぞれダービーと菊花賞を取ったころである。(黄金世代が古馬戦線を走っていた頃ともいう)
 私、俗物は親曰く4000グラムほどある肥満児だったらしい。たぶんそれは今も変わらないが。「あと二日早く産まれていればH11.11.1の1が並んでたのに」なんて言葉が母親の口癖だったのを覚えている。パチンコじゃあるまいし、別にいいだろうと思うのだが。なお、父親はCR時代の水戸黄門にしてやられたらしい。
 そんな俗物たる私は今日を以て、25歳を迎えるわけである。孔子の言葉を借りると「学を志すも而立できていない」という中途半端な年ごろである。尾崎が言うように、誰にも縛られずに夜に逃げ出してから10年が経ったくらいである。要は中途半端ってことだ。

遅ればせながらの自己紹介

 ここまで一人語りをつらつらと重ねてきた。この文章自体、24歳最後の夜に酒を飲みながら書いているので支離滅裂であろう。仕事柄、若人たちに日本語の書き方などを指導するのだが、こんな文章を書いてこられた暁には、はっ倒す自信がある。
 私、俗物はこの前の春まで鎮西の地にある指定国立大学の一員だった。そこでは文藝部という反社会的勢力育成集団にいた。ここで言う反社会的勢力とは巷で話題の闇バイトをする連中というわけではなく、明治期の言葉でいうところの「高等遊民」的、つまりは社会の歯車として働くことがなく、社会にとって何の役にも立たない集団という意味である。
 また、学問という意味ではとある分野にいた。よくよく紙を見つめる、墨臭い分野である(まあ、酒臭いことも多々あるが)。もしかすれば、今後もその方面で記事を書くこともあるかもしれない。もし、ここで先行研究批判でも書き、それが学術論文で引用されようものなら、引用元が「俗物氏のNote」になるのであれば面白い。
 今は大学院を卒業後、中学校社会科公民的分野で言うところの「中小企業」に「非正規労働者」として勤務しているところである。まあ、世間は世知辛いものだ。別にそれで危機感を覚えてなどはいないのだけど。

Noteを始めた理由

 このNoteを始めた理由は何個かある【高校生の小論文的添削 以下この【】で行う。】【何個かではなく、初めにきちんと数を書きましょう】。まず、一個目に、久々に雑文を書きたいと思ったからだ【雑文とは何かがわからない、初見の読者に優しくない。なお、雑文とは何かは今後どこかの記事で説明してみる(説明放棄)。あるいはQ大文藝部の部誌を読んでみてほしい】。文藝部を離れて以降、これらを書く機会が明らかに減ってしまった。ゆえに、ストレスが溜まってきたところもある。だからこそ書いてみたくなった【小学生以下の文章】。二点目に【一個目、二点目、表記ゆれ、というか「点」だろうが】、文藝フリマに参加して思ったことがあるからだ【また初見読者を置いてけぼり、どのような立場で参加したのか明らかにされていない】。文藝フリマとは日本各地で行われている、文芸同人誌の即売会の事である【きちんと説明するのかよ、というか一ページあたりの活字量が増えた作品が集まるコミケとでも言うておけばいいのに。きっとハン〇ーハ〇ターは参加できるよ】。私は、とある文藝サークルの一員として参加していた。しかし、二年連続、原稿を落とすという罪を犯した。
 昨年度は、修論に精神的に追い詰められたため、七つの大罪をテーマに書くというアンソロの原稿を落とした。この俗物の罪は「怠惰」である(担当は暴食だった)。今年度は、車が廃車になった。そう、文字通り廃車になったのだ。宮仕えからの帰宅中、車のハンドル操作を誤りそのまま……である。幸いなことに体には問題がなかったものの、車はお釈迦さまになったし、あとの処理は非常に面倒であった。
 それゆえ、私は今年度もまた原稿を落としたのである【謎の段落変更、論理の飛躍、別に原稿は書けただろ、言い訳だろ】。いずれにしても、この二年間何も産み出せていないということが問題である。学術的な方面でも、論文を書かなければと思いながらも執筆できていない。そこで私は、来年度の文藝フリマに向けて準備を進めることにした。それが、このNoteでトレーニングをしてみようという決意につながった【終わりが見つからなかったんだねえ】。

それでは何をするのか

 まず、文藝フリマでも出すかもしれない、雑文こと無聊なる日々の記録を記すこと。二つ目はネットに溢れかえっている競馬の無料予想(無料と言いながら有料部分につなげたいだけの乞食集団)にならないような、競馬予想をしてみること。三つめはネットに溢れかえっている教員の愚痴垢「#教師のバトン」に屯っているような連中みたいにならないような教員の日常を記すことである【以上ここまで、一つ目と二つ目・」三つ目の差異がわからない。すべて無聊だろうよ】。また、もしかすれば掌編が思いつけば書き連ねることもあるかもしれない【これは書きたいなあ】。それもまた一興である。
 いずれにしても、頻繁かどうかは別として更新はするので今後も目を向けてくれればと思う。閣筆。


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