指輪の話
妻が亡くなって左手薬指に馴染んだ結婚指輪をどうしようか考えた。
左手にし続けるのも変だし外してしまうのも抵抗がある。ので、右手薬指にすることにした。
決めているわけではないけどなんとなく、これから先もこの指輪は外せないだろうと思う。
何故外せないのか、この抵抗感の正体は何なのか、自分自身の整理も兼ねて記録として記事にしようと思う。
1)命の価値とは
どれだけの人が命の価値を明確に定量化できるのかわからないが、僕の場合ははっきりとその定義ができる。
人の命の価値とはつまり、どれだけ多くの人がどれだけの期間その人(故人)を想いその人の意思を継ぎ影響を受けたか、その大きさで決められる。
例えば今日僕が死ぬことになったとしたら、数少ない身内や友人が少しの間(あるいは数年間)悲しんで物思いにふけってくれる程度で、10年20年の月日が経てば思い出されることもほとんどないだろうと思う。
それが、20年後には無価値となるであろう自分の命の現時点での価値だ。
そうなることが嫌で、だからこそそれこそ命懸けで、自分の命に価値を作るために必死になって何かを残そうともがく。この感覚はおよそ多くの人が共通して持っているものではないかと思う。
少し言い方を変えれば、生前必死にもがいて作った価値の大きさは、故人となった後にはそれがどれだけの大きさだったかその答え合わせを生者に委ねるしかないのだ。
2)価値を継ぐ
だから僕は結局、彼女の命の価値を少しでも大きくしたい、忘却の波に抗いたい、その証としての指輪であり、その抵抗こそが残された者の務めであると感じている。
残された家族が彼女の生を語らなければ、彼女の想いを受け止めなければ、彼女の意思を継がなければ、彼女の命の価値が潰えてしまう。そんなことをさせるわけにはいかない。
彼女の存在と生きた証を、一人でも多くの人の心の中に、一日でも長く残し続けていくことが僕の務めでありまた願いでもある。
3)亡くしたのは家族
幸いにも個人的には未だ経験はないが、死別を経験した人に対して「早く忘れてしまいなさい」というようなことを言う人たちがいるらしい。
一体どういう思考回路でそういった発想になるのか皆目見当もつかないが、忘れてしまわれることを故人が望んでいるわけがないし、そんな自分勝手な自己都合を押し付けられるのはストレスでしかないだろう。
何より、亡くしたのは家族。子供のころからずっと願い憧れ求めてきて、ようやくできたたった一人の家族。
例えば、ある夫婦の下に念願の子供ができた。不幸にもその子供は亡くなってしまった。
失意と絶望から解放されることはないだろうけど、それでもだからこそ二人目の子供を作る、というのはその夫婦の幸せにとっても大きな意味を成すだろうと思う。
二人目の子供ができたからといって、一人目の子供を忘れることなどない。
むしろ一人目の子供の分まで強い愛情を以って育てるだろう。
何故ならそれが、家族だから。
この夫婦に対して、「一人目の子供のことなんて早く忘れてしまいなさい」なんて一体誰が言えようか。
4)今の願い
きっと空からの妻の願いは「忘れないでほしい」「幸せになってほしい」の二つで、幸いにもこの二つは同時に叶えることができる。
そして僕自身ももう一度同じように誰かを愛したい、と強く願っている。
まさに上述の夫婦の例でいう、二人目の子供を求めている。
彼女の分まで、という言い方は正しくないのかもしれないけど、そんな人が出来たらきっと今まで以上に大切に想えるだろうし、そうすることでようやく僕自身も前を向けるようになるのだろうと思う。
5)最後に
敬愛する二つの漫画「ONEPIECE」及び「進撃の巨人」より、特に好きなシーンを掲載します。
ONEPIECE16巻145話「受け継がれる意思」より
進撃の巨人20巻80話「名も無き兵士」より