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はじめに
11歳の時に自我が芽生えた
まず疑問に思ったのは、教師が黒板に書く内容をそのままノートに書き写す板書と言う行為の合理性についてだ
板書の内容は教科書に書いてある内容そのままで、書き写したノートを見返すことなどない
実に無駄な行為に思えてならず、それ以降中学高校と進学しても板書という無駄な行為を行うことはなかった
そうすることで授業中の時間が暇になり、多くのことを考えるようになった
例えば生きている以上誰もが一度は考える事象
人生とは何か、生きる意味とは何か
この簡単な問いには11歳の自分ですらすぐに答えがでた
人生とは自己満足であり、生きる意味とは存在意義の確立である
当時は漠然としていたものが、歳を取り様々な経験を経ることで徐々に明確になっていく
人生の終着点は自ずと決まった
悔いのない一生とすること(自己満足)と、自分の人生が終える時までに1人でも多くの人を自分の力で幸せにすること(存在意義)
1番に幸せにしたいのは、まだ見ぬ家族
その終着点に向かって逆算し、今何をするべきかを考える
「とりあえず勉強して良い大学に行こう」
世間が何たるかも知らず、知恵も経験も知識も何もない幼い11歳の僕が出せる精一杯の結論であった
しかしこの時から確かに、まだ見ぬ家族の為の人生が始まった
そんな僕にとっての結婚とは、人生に於ける最重要イベントで、他の何よりも特別なことだった
結婚に求めるものは、理想的な家族を築くというロマンのみ
志を同じくし、理想的な家族を築くというロマンの追求を共にできる女性と出会い結婚できたことは、奇跡に近いことだと思えた
彼女のためなら、自分の全てを犠牲にできる
意地とプライドと、命に懸けてでも絶対に幸せにする
そう思えて、その為に生きることが
自ら望み自分の意思で選択して、自分で決めた己の存在意義であり、何より生きたい生き方だった
入籍直前(3日前)に突然急性リンパ性白血病と診断され、3年以上に渡る壮絶な闘病生活を終え、25歳という若さで天国に旅立った愛する妻を想うことしかできなくなってしまった僕の
これまでの話とこれからの話