人の本質の話

何がで何がだとか、正義がなんだとか言う人たちをみると「君は神か何かにでもなったつもりか?」と言いたくなる
善悪なんてものは環境や時代によっていくらでも都度定義されてきたもので、それはこれから先も変わらないしそこに普遍性はない
人間風情が決めていいものではないはずだ、それこそ神か何かでもない限りは

例えば殺人であっても、それは善悪ではなく法律による秩序の話に過ぎない
そもそも我々は人間である以前に一生物であり、生物界の自然摂理は弱肉強食
弱い者は強い者に食われる、これがそもそもの世の常であることは頭の片隅程度には入れておくべきだと思う

「人間様」気分でいるのは自惚れだし、そしてこの自惚れが、様々な諸問題を余分にややこしくしているように思う

誹謗中傷問題もその一つであろう

この議題を論じる際にはまず、人の本質について考える必要がある
仮にこの世界から法律をなくした場合に何が起こるか、その姿こそが人の本質であろう

まずもって
人は誰もが皆利己的で汚く、弱くて醜く自分本位で矮小な生き物だ、そこに一つとして例外はない
にも関わらず、何故か我々人類のことを特別で崇高な存在であると自画自賛した勘違いをしている人が非常に多いように思う

自惚れるのも大概にした方がいい

こと誹謗中傷問題では日頃から匿名で罵詈雑言を並べ立てる弱くてダサい輩たちをここぞとばかりに糾弾する動きが見られるが、果たしてその行為にどれだけの意味があるのか甚だ疑問だし、何より匿名で攻撃をする側もそれを咎める側も、同じ穴の狢のように思えてならない

誹謗中傷をしてる人たちは自分たちが恥ずかしくて情けないことをしている自覚くらいはあるはずだから、それを「良くないから止めろ!」と言って止められるくらいなら、いじめも詐欺も犯罪も簡単になくなる

するべきことは真逆で、恥ずかしい行為を咎めることではなく許して受け入れてあげることだと僕は思う

つまり
まず第一に、自分自身のことを利己的で汚く、弱くて醜い矮小な生き物であることを自覚し

第二に、自分がそうなのだから、自分のことだけ棚に上げず他人の弱さや醜さを受け入れてあげること

そして第三に、そんな自分だからせめて少しでも、その醜さを表に出さないように、美徳を大事にして理想を忘れずに努めること

この3ステップが本来人があるべき姿だと思うのだが、第一の自覚すらない人たちがとても多いように思えてならない

誹謗中傷問題で言えば、規制をすることで言論の自由の問題だったり、SNSでストレス発散をしていた人たちの新たなはけ口先がどこになるのか?など、考えなければいけないことは少なくない

「この人たちは弱くて醜い人たちなんだ、でも仕方ない、少なからず自分もそういう一面はあるし、だけどせいぜい自分は表に出さないように頑張ろう」と捉えることはそんなに難しいことだろうか




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