ありのままでいい? 第二部
前回の続きです
少し混乱している
悪い兆候だ
冷たいお水を飲んだりして体を冷ましても、脳がキーンとしただけだった
知り合いが、あなたはありのままで生きればいいって
優しく言葉をかけてくれた
とてもありがたく感じたけれど、わたしはそのありのままの姿が嫌で嫌で仕方ないから、多くの時間を失ってしまったんだ
いろんな人の思う、ありのままの型からはずれたところにわたしの心の中のありのままがあったから、わたしのありのままの型の縁はボロボロに割れて、誰かの思うありのままの型の形に無理やり押し込められたんだ
みんながかわいいスカートを履いて好きな長さの髪の毛を結ってもらってるときに、私は髪を切られてズボンをはかされていた。
ランドセル(黒い方)なんて小学校3年生で下校中に捨ててしまった。怒られたけど、代わりに買ってもらったクマの絵の手提げカバン。中学生になるともう持っちゃいけないって。
ありのまま、当たり前がわたしの足枷となって、人生で最も多感で繊細な時間の多くを失った
だからわたしの心の一部はまだすごく幼いし、一部は乾いている。
その時間を取り戻すためにさらにまた多くの時間をさいている。
そんなことをいろいろ思い出して、私はその言葉を呪いそうになるくらい落ち込んだ
彼女は完全なる好意でその言葉をかけてくれたの
なのに私はそんなことを考えてしまったの
長い時間で、形を変えて身を隠すことをおぼえたトラウマが私のあちこちに潜んでて、そこに引っかかるたび、私は過去に引き戻される。
たぶん、わたしが死ぬまでこれは続く
トラウマも進化し続ける
でも、それでも、私は人生を悔やみたくないのです
わたしが私においつくのは、来年かもしれないし、70歳かもしれないし、追いつかないかもしれない。
でも、そうしないと生きていけない
残酷なガラスの中のありのまま
杭を捨て着ぐるみ捨てて出ておいで
と、そんなことがあってトラウマに囚われた私はベッドの中でブルブルしていたのです
寒くて震えて、口内炎もできて、声もかすれて、やっと今ベッドをでてお茶を飲んで、このnoteを仕上げてます
そして大仁田 対 長州。その入場を見て、また大仁田に心を掴まれてる
今回は大仁田に救われた。
もし大仁田厚を思い出してなかったら、後半最後の方の少し未来ある感じにはならなかったかもしれない。
ありがとう、大仁田厚。2000年7月30日の世界から、私のリングにあがってきてくれたのね。パイプ椅子を持って、タバコをくわえながら。
私は杭を捨て、そのパイプ椅子でこのガラスの箱を。
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