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【Field of Gold】
ハロー、俺の名前はロバート。おでん鍋の中で暮らしてる。まあ説明すると長くなるからさ、本当のところは説明するのも疲れたっていうかさ、継ぎ足し継ぎ足しの毎日でそういった気持ちの部分が消耗してしまったんだ。
あまり気を使わずにさ、そうだな、ボブとでも呼んでくれよな。サンキュー。
おでんの鍋は内側から外の世界を見ることができるようにできてる。でもこのことは店主だって知らない。なんせやつはおでんの鍋の中で暮らしたことがないんだから当然だよな。その上鍋は滅多に洗われることがない。やつは継ぎ足し続けることで汚れとは縁遠くなるって信じてるんだ。
実際のやつはフレンドリーだと思う。その証拠にこの店には連日大勢の人間がやつの作ったおでんをあてに酒を楽しむことを目的にやってくる。いや、正確に言うならやつのこさえたおでんと軽妙な会話術というべきかもな。連中は情報を継ぎ足されてるんだ。そしてそれは中毒性を持って明日のお前を待っている。
俺だってみりんだの料理酒だのを浴びるように、文字通り浴びるように飲むはめになる。今日が終われば、明日になれば、また継ぎ足されるんだよ。
最近足の指や関節なんかが違和感を感じてるんだ。知ってるかい?出汁ってやつはプリン体が結構多いんだってな。それを毎日だ。毎日だよ。減っては継ぎ足しを繰り返してるんだ。たまったもんじゃない。永遠に何かが続くって地獄のようだよ。ある局面においてはね。
正直なところさ、俺は自分の足がどこにあるのかよくわからないんだ。関節がどこにあるのか、それすらもどうでもいいと思ってる。それでもまだ感覚としてあるんだよ、足の指だ関節だって感覚が。このおでんの鍋の中で、俺の感覚はこのおでんの鍋の中の出汁と同じ容積で存在している。煮詰まれば閉塞感を感じ、継ぎ足されればゆとりができる。これは大根だな、これはちくわぶだな、今日のゴボ天はふっくらしてるなとかさ、そんなことを感じとる余裕ができるんだ。
先日のことさ、あれは雨の降った日の夕方だ。昨日はよく晴れてカラッとしてたからその前の日だな。とにかく店の引き戸が開くたびにじめっと重たい空気が流れ込んできたものさ。梅雨の前のカタツムリがもそっと地面から地熱の湿気と共に眠りから覚める時期の特有のものさ。あの日も俺はこのおでんの鍋の中から外の世界を見ていた。これもそう、感覚だ。俺はおでんの鍋の中から外を見ていたという感覚を元に話をしてる。その外の世界の引き戸が開いて、大柄のコロッとした風貌の男が入ってきたんだ。
初めて見る客だと思う。季節にそぐわないキューバ帽を目深に被った男だった。きちっとした衣類はその内にみっちりとした筋肉がついていることがわかるほどぱつんとしていた。そして俺のいる鍋の前の席に着くと、ころりとした両手の掌を何度か擦り合わせた。店主のやろうと目があったんだろうな。軽く挨拶でも交わしたんだろうよ。それでその男は瓶入りのビールを頼んだ。それと一緒に小さめのコップをもらって嬉しそうにそこへ瓶からビールを注ぎ入れた。
こんな日はこうも泡が重いものさ。気圧でみっちりとした泡の中心が小さな音と共に小さく窪んだんだ。そんなカップをまあるい左手が掴んでうまそうに一杯目を飲み干した。
ふうっとホップの香りがカウンターの上に沈んでいったよ。出汁しかねえ世界ん中でビールっていいなってさ、思うよな。そいつは顔を上げてやつに注文をした。はんぺん、昆布、生姜天、この三つだ。俺は身を、これも感覚的なものだが身をくぐめてその三品を、よく味の染み入ったやつをさ、表面に浮かび上がらせたんだ。それを奴が皿によそってからしをその皿の端っこに引っ掛けるように置いた。
こんな天気だからな、出汁はサバを減らして薄く削った鰹と昆布を中心にしてあった。やつも口だけじゃないよ。その日の種や天気の状態で出汁を調整しながら継ぎ足していくんだ。
「ほお、これはこれは飴色にしっとりと煮えていますね」
キューバ帽の男が割り箸をパチリと割ってそう言ったよ。味には自信がある。今はこっち側だが昔は俺もあの席に座りながらおでんをちびちびやったものさ。
わからねえよ、俺は向こう側にいたんだ。仕事で何年もこの国に住むことになった。商売相手が珍しがって俺をいろんな場所に連れてったものさ。焼肉もうまかったし寿司もうまかった。カツ丼なんか目ん玉いくらあっても足りねえくらい飛び出たよ。でもな、この店にたどり着いた時に俺は完全に参っちまった。一つの鍋の中でいろんなもんが一緒に炊かれてよ、全部うまくなっていくんだよ。全部だ。全部が、だぞ。そんでもって俺は知らないうちに開けていたんだ。何をって?ドアだよ。親切にされた、新しい世界を見せてくれた、誰も知ってるやつのいねえ場所でさ。俺は何も疑わずにドアを開けてたんだよ。
まあいいんだ。話の続きだよ。キューバ帽の男が熱燗を頼んだんだ。それに合わせて第二ラウンドだ、大根、蛸、がんもどき。うまそうだろ?それでな、なんとなくなんだが俺はこの男に見覚えがあるような気がしてきた。もちろん向こうからは俺のことなんか見れやしねえ。だから向こうから気づいてもらえる可能性は無いからな、てめえで思い出すしかねえのさ。
小さめの徳利で美味しい分だけ酒を頼む。同時に玉子、牛すじ、巾着が届いた。この巾着に関しては最も気を使うんだ。中の具材が煮えすぎてても若すぎてもいけねえ。注文された時のベストを瞬時に選ばなきゃいけねえんだ。
その時だ。その客が店主にこう聞いたんだよ。「以前よく来ていたアメリカからの駐在員の方は最近は?」そんなことをさ。「ロバートさんですか。そうですね、あれはもう三年も経つかねえ」
くらくらした。もちろん熱い出汁の中で聴覚が不明瞭だったのもある。でもそれだけじゃねえんだ。何かさ、空っぽの何かだよ、そんなものが俺の中にできたんだ。直視したくはねえ、それでも目を逸らせねえような何かさ。
巾着だ。英語でマネーバッグ、そうだよ、巾着に引っかかった。マネーだ。金だ。俺は金が必要だった。でも必要な時に必要なだけの金がなかった。
「ロバートさんには恩義を感じています」
「気のいい男でしたからねえ」
閉店の近づいた店内で店主とキューバ帽を被った恰幅の良い男が二人、カウンターを挟んで話を続けていた。その間には一合の徳利が一本とお猪口が二つ並んでいた。
「お金が必要だったらしいんです。どうしても必要なお金だったらしいんです。でも用意ができなかった。まあ濡れ衣を着せられたような形でしょうか。彼をこの店に最初に連れてきた男がいましてね。そいつに裏切られたらしいんですよ。話を聞いていた感じだとね」
「ええ、だいたいはその通りです。実は私もその場所にいたのです」
男はお猪口をゆっくりと置き、立ち上がってキューバ帽をとった。そして俺のいるおでん鍋に向かって言ったんだ。
「苦虫ですよ。ロバートさん。私はあの日あなたが噛み潰さずにいてくれた苦虫です。あなたに救われた命なんです、私は」
知らねえよ。ほっといてくれ。俺はな、俺は、ここに残って来る日も来る日もこうやっておでんの鍋の中でお前らに一人語りをしているだけなんだ。継ぎ足し継ぎ足しだ、あいつが来るまで、あいつがまたここに来るまで、俺は独りごちながら怒りを継ぎ足しているんだ。
「ロバートさん、聞いてください。あなたはあなたの商売相手の作った借金を肩代わりしました。短期間ではなかなか埋めることのできない金額です。それでもあなたは何一つ悔いることなくそのお金を差し出しました」
やめてくれ。今は掘り返したくない。
「その相手は姿を消しました。借金だけが残りました」
そんなことはわかってる。俺は、俺は、わかってる。だから俺はここにいる。出汁がつまってきやがったのか、おい、早く継ぎ足せよ。
「ちょっとお客さん、飲みすぎたのかい?」
店主、お前には見えないんだろ?しょうがねえことだよ、それはお前のせいじゃない。
「そっちはおでん鍋しかないよ、お客さん」
なあ、あんた本当は知ってたんだろう?あいつが詐欺師みてえなもんだって。でもよ、それもお前のせいじゃない。
「ロバートさん。あなたは、もう半分のあなたは今インディアナポリスの郊外にいます。故郷です。父親のコーン農場を大きくして、全ての借金を返しています」
もう半分の俺。
「あの日、すべてが詐欺だったことを知った日、この店のこのカウンターであなたは噛み締めた奥歯を緩めた。優しく緩めたんです。なぜですか?その話を聞いてもあなたは微笑んだ」
知らねえよ。昔のことだよな、今となちゃあ。だからさ、そんな理由なんて聞かねえでくれよ。
俺の方を向いて頭を下げてその苦虫は店を去った。触角をうまいことキューバ帽に入れ込んでさ。店主のやつは誰もいねえ店の中でhopeに火をつけて、ライターを作業台の上に置いた。その時いくつかのおでんの種が鍋の中で浮かんでいった。
俺はさ、鍋の底の方から浮かんでいく種を見てたんだよ。光がよ、薄燻んだ電球の光が揺れてるのを見てたんだよ。金色の世界を。それで思ったんだ。もう半分の俺はうまくやってなんとか生きてる。いまだによく分かんねえけどその苦虫だって生きてる。じゃあ俺はどうするかなって。
俺は今日もここにいる。やつも毎日出汁を継ぎ足しては種を仕込む。それを目当てに今夜も客が来る。嬉しいことがあったやつもしょぼくれた気持ちになっちまったやつも。そんでだ、俺はこの鍋の中からそれを見て、最高のおでんを浮かび上がらせる。たまにはこうやって一人で語りかけることだってある。聞こえるやつだっているかもな。ゴールドだよ、きっと。ここでこうやって生きていけること自体がゴールドなんだよ。
なあ、もしさ、あんたがインディアナポリスの郊外にでもいくことがあればの話なんだが、もしよければ俺の代わりに歌を歌ってくれないか。短い歌だよ。今から俺が歌うからさ、それをよく晴れた日にでも歌ってくれると嬉しい。小さな歌さ、覚えなくたっていいんだ。これも感覚みたいなものさ。じゃあ今から歌うよ!
【おしまい】
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