【ひとつぶのマスカットの季節になりました】 呑みながら書きました
みんな大好き千葉そごう!京成線の駅から地下食品街に入るとそこは楽園!パンもケーキもお寿司も全部ある!それが千葉そごう!
そんなc千葉そごうのなかでも究極の美味をあげるとしたらどうだろう。
難しい問題ね。お茶を呑みながら書いています。本当のこと言うと夜に飲み終えられなかったグラスのワインも飲んでます。
早朝に目が覚めてもう何個か書こうと思ってそれからまた寝たので本祭りの間の投稿はこれが最後。
千葉そごう究極の美味。小さなフードコート的なスペースにあるお蕎麦屋さんの冷やしたぬきそばはまちがいなくおいいpしい。あそこのお蕎麦はなんだかやめられない。
京成千葉駅からエスカレーター降りたところにあるパン屋さんの豆パンも美味しい。ひれ伏すくらいに美味しい。
名前忘れたけどあの有名なプリン屋さんもおいしい。パルナスだっけ?ど忘れだ。p
千葉そごうの9階は楽しい。結構ガチで楽しい。本屋さんもあるしいろんな小さなお店がレトロな町みたいになって並んでて一日中楽しめる。着物のハギレもあるし、皮売ってたりいろいろ自分で作るためのものが並んでる。いつかこういったことをできるようになりたい。
一応貼っとく。9階だよ。いつか機会があれば行ってみてね。
話が逸れたね。うん、決まった!これ!
これは究極。千葉のお菓子屋さんじゃないんだけれど、これは美味しい。美味しいというかなんというか、口にしたら鳥の雛みたいに手羽をパタパタさせちゃうイメージ。マスカットのみずみずしさをマスカット以上に感じられる究極のマスカット。イメージしづらいかな。
これはもうね、小籠包の完成形である、そう断言しましょう。デザートに形を変えて進化の最先端にいる小籠包。マスカットの、小籠包。
お値段はそれなりにというかかなりする。だからね、これはなんとかどうにかして今日は千葉そごうで好きなもの買っていいよって状況に持ち込む必要がある。今日は千葉そごう奢るよってシチュエーションになんとか引き込んでいく必要がある。
夏にどこかへお邪魔する時はこのひとつぶのマスカットを買うことが多い。なぜならこれを食べて鳥の雛みたいに手羽を震わせない人を見たことがないから。なので小鳥の雛みたいに手羽をパタパタ振るわせる姿を見たければこのひとつぶのマスカットをひとつぶ与えればいい、そのくらい美味。この贈り物最強です。
ホームページから拝借。
まさかの手作り。これはすごい。いや、でもほんとに美味しいんですよこのお菓子。
あまりにも美味しいからもう一度貼る。
なんだろう、この既視感。なんだろうな…
あ、あぁぁぁ!
猗窩座じゃねーかっ!
ひとつぶのマスカットになれ、杏寿郎!
ピィピィ
?
ピィ〜
……………………………
夜が明ける前に僕は水道水を二杯飲み、そのままやかんに水をはって火にかけた。少しの間ソファーに座り、電車のことや駅弁のことを考えた。一番好きだった駅弁はなんだっただろう。どれだけ思い出そうとしてもそれは鴉の羽根のような群青の幕に覆われていて全く思い出すことができなかった。
やかんから音が聴こえる。それは蒸気で走っていた頃の列車のようであり、同時に蛇口をひねったように記憶が流れ出てきた。好きだった駅弁、ゆっくりと刻まれる線路の継ぎ目の立てる音。嗚咽に近い声を出してしばらく僕は泣いた。どれだけブリか分からないほど止めどなく泣いた。
水道水二杯分の涙が出切った頃にコーヒーを淹れた。数日前も同じことをしたことを思い出した。フィルターをきらせてしまっていることを忘れていたのだ。
僕は茶漉しを使って器用にコーヒーを淹れた。一人で暮らしてきたこの数百年ほどの間で僕がおぼえたことと言えばこれくらいしかないかもしれない。いや、鬼になる前から器用だったのかもな、そんなことを考えたけれど結局僕には人間だった頃の記憶などないのだ。
昨日の夜にUberで取り寄せておいたダンキン・ドーナツを二つ皿の上に乗せてその形状を眺めたあとに熱いコーヒーと共にそれを食べた。夜のうちに食べたピスタチオの殻を空いた皿の上にまとめて台所にあるゴミ箱の中へ入れた。塩が手にまとわりついて締め切った窓から外の世界の音と湿度が伝わってくる。そろそろ夜が明けるのだ。
太陽が昇る前に僕は寝室へ戻りちいさなまどのカーテンを開けた。遠くに芽吹いたばかりの空が見え始めている。僕はこの太陽が昇る前に大切なことを言わなきゃいけない。でもその大切なことがなんなのかが思い出せなかった。何も言葉にならないかもしれない、でもそれでも何かを伝えたい、そう思ってまだ眠っている肩を揺らして心のどこかからか湧いてきた言葉を出した。
「キョウジュロウさん、朝だ。」
【おしまい】