なぜケツ毛が存在するのかについて
琴花酒氏へ、愛と尊敬を込めて
オマージュを捧げます
存在理由について考えることが好きだ。
例えば豚について考えてみる。
豚はもともと猪を食用に家畜化したもので、猪の学名がSus scrofaなのに対して豚の学名がSus scrofa domesticusと、あくまで猪ベースの生き物であることがわかる。
といってもこれは豚という種の話であって、例えば近所の家で飼っている豚単体としての存在理由ではない。
じゃあその近所の家で飼ってる豚がなぜ生まれてきたのかを俺が考えたところで答えなんか出ないしもし出たところでその豚に必死に訴えかけたとしても「食い辛くなるだろ!」と飼い主にぶち殴られるだけだ。
毎日バナナやリンゴを持ってその豚に会いにいき、その存在理由を語りかけ続けたところで「うちの豚に変なこと吹き込まないでくれ!」と追い返されるだけなのだ。
そうは思っても考え始めるともう止まらない。
近所の豚のことを思いながら冷たいビールを喉にぶち流す、それだけで一夜の酒宴としてはじゅ〜ぶんに楽しめるわけです。
でもこれが創作されたもの、短歌とか絵画とかそ〜ゆ〜人の手で創り出されたものになるとまた話が変わってくる。
以前こ〜ゆ〜話を書いた。
けっこう力を入れて書いたのでそこそこの反響をいただけて嬉しかった反面、力を入れた分だけ「ミ」の排出リスクもものすご〜く高かったわけです、ヘヘヘー(関西方面で「ミを入れる」とゆ〜言葉がありますがほんのわずかの気の緩みが「ミ」の排出リスクを高める事実を肛門括約筋で縛り上げるかのような気迫を感じますな。)。
話が剃れそうなので本題に戻すと(←本当はもうちょい脱線・暴走したい。)、こういった自分のnoteひとつとっても書きはじめた背景があるとゆ〜ことで、それはこの世にいろんな背景があるとゆ〜ことでもある。
何が言いたいかというと、どうしてもその存在理由を考えておきたいものがあるわけです。それでこのnoteを書いてるわけですな。
前置きが長くなりましたが、みなさん、ケツ毛とゆ〜ものをご存知でしょうか。
純潔な俺のiPadは一度でケツ毛をケツ毛として表記してくれませんでしたが、みなさんはケツ毛とゆ〜ものを見たことがあるでしょうか。
それとも生やしたことがあるでしょうか。
それともスマホが率先して「ケツ毛」に変換しようとするほど慣れ親しんだ言葉でしょうか。
もちろんその回答を求めるnoteではありませんのでコメント欄に書き込む必要は一切ないとここで断っておきます(ダチョウ倶楽部的な誘導でもない。)が、わからんのです、ケツ毛の生える意味が。
いや、言い直すのならば、ケツ毛の存在理由が未だはっきりしないんですな。
どんな時にケツ毛(←まだ一発変換しないので「ケツ」と「毛」に分けて打ってます。)を認識するかというと、最近ではめっきり減りましたが道端で散歩中の犬の「お粗相」などを見かけた時にちょっと気になってその「お粗相」を見てしまうわけです。犬のお粗相はころりとしていて可愛いですから。
そうするとだいたいそのお粗相に毛がついてるわけですな。
犬のそれを「ケツ毛」と呼ぶかどうかは別にしても、もちろん自身のお粗相にわざわざ耳の毛を添える犬もいないわけで、少なくともこれは犬の肛門周辺の毛なわけですからケツ毛としましょう。
例えばこれまた最近ではめっきり減ってしまいましたが飲み会なんかで酔った男性なんかが自慢のケツを披露したりなんかするとだいたいそこにあるわけですな、「ケツ毛」が。
そんな日には寝れないほどに考え込むわけです。その存在理由を。
世の中にはいろんな毛がある。
「脇毛」は脇から分泌されるフェロモンを保つため、「頭髪」は頭部を守るため、「チン毛」なんかは性器を守るためなんて言われてますが、「ケツ毛」(やっと変換されました!ナイス!iOS!ナイス!尻!)は一体何を守るのか。
まずは単純に肛門を守るためと考えた方がいいのでしょうな。もしくは肛門由来の何かを守る。それはわかります。肛門周辺に怪我したり辛いもの食べすぎて肛門が痛いのは大変だって言います。
じゃあ何から肛門を守るために「ケツ毛」とゆ〜形でそこに存在しているのか。
考えられるのは外傷でしょうな。
極端な話をすれば、近衛兵に遠くから槍で肛門を突かれたとしても、ものすご〜い量のゴワゴワのケツ毛があれば近衛兵の槍は肛門まで届かない。
まあこれは極端な例でここまでのケツ毛があったら排便時は逆に困ることになるわけですが。
なんせ排泄した「ミ」がケツ毛内に留まる可能性が高い。
身近な肛門への危険、トイレットペーパーなんかもそうでしょうな。
過度に拭けば肛門は傷みます。
その外傷リスクを減らすためにケツ毛が存在する、肛門の代わりに傷ついてくれてるわけですな(ケツ毛ケナ毛。)。
これは俺の夢でもあるんですが、海水浴で誰もいなかったら全裸になる人もいるでしょう。
その場合スッポンポンの肛門に外部から雑菌が入り込むリスクがある。そうなると一夏の恋を実らせる前に病院へ行くことになってひじょ〜に困るわけです。
でももし大量のケツ毛があったのなら?ケツ毛大活躍で肛門括約筋も大喜びでしょ〜な。
散歩中の犬なんかはお互いの肛門の匂いを嗅ぎあったりしてます。
もちろん人と人が路上で全裸でこんなことしてたら大変でしょうがそこは犬の愛くるしさで見事にカバーしてます。
犬レベルに可愛ければいいのでしょうが俺なんかがこんなことしてたら警察にぶち殴られるでしょうな。
でも先日犬がお互いの肛門の匂いを嗅ぐのに一生懸命な様子を見ながら缶ビールを飲んでたらケツ毛の意味がだんだんわかってきましたわ。
結局フェロモンか何かが肛門から出ていて、放屁や脱糞の際にケツ毛に付着してるんですな。
とゆ〜ことはモテる男になるにはケツ毛が大事で、そこにケツ毛を生やすことによってフェロモンを仕込んでおくことはもっと大事だってことです。
さらにさらに考えると、歳をとるにつれてお尻の締まりが悪くなってついつい「ミ」を輩出してしまうリスクばかり気になりますが、これもモテるための成長と言い換えることもできるわけです。
ここでよ〜やく大事なことに気づきましたわ。
もし我々にケツ毛を授けた意味があるとしたら、人生ずっと恋をしてくださいってことですよ。
若さを失っていってもケツ毛がある限り我々は恋をするわけですな。
そんなこんなで最後に締めくくりにこんな言葉を。
Mai si è troppo giovani o troppo vecchi per conoscere la felicità.
幸せを知るのに、若すぎることも、老いすぎていることもない。
今日も恋するのにいい日です。