見出し画像

I am who I am(1)

上から読んでも下から読んでも山本山みたいな言葉ではある
なかなか個性の強めのアメリカのおばさまに最近言われた言葉がこのタイトル
個性の強いアメリカのおばさまからみても、私は私は私感が強いようだ
もはや褒めているのかさりげない忠告なのか私にはわからないが思い当たるふしはある

今回の内容は多少性の話が出てくるので苦手な方は読まない方が良い。

仲のいいおばさまなんだけれど、前々から私の代名詞をどうすればいいのか悩んできたみたい。基本的には2人で話すことが多いからあまり必要ないんだけれど、時々第三の人物も現れるので、そういった場合には必要になる。
なんでも今アメリカにはいろんな代名詞があるのだと。
私自身はそこになんのこだわりもないから好きにそのとき出た代名詞でいいのよ、私は私だから。そうだたしかにそう言った。
この日は少なくともそんな発言をした。

そうよ、みんな唯一無二なのよ。あなたはあなたでいいのよ。
でもね、たしかに唯一無二だけれど、それは個人的な世界での話。もっと広いところに出た時に、その中での存在として唯一無二かどうかはまた別の話。
あなたはその中に飛び込んで、たくさんの目に見られて、その目一つ一つ自分がどう映ってるかを知る日がきて、初めて己を知る。自分は自分以外の人の中にも存在していることを知る。鏡で見た自分と違う自分。頭の中にいた自分と違う自分。

幼稚園に行って、あなたはそれに漠然としながらも気づいた。でも強く自分らしさのようなものを主張はしなかった。毎日が辛かったわけではないけれど、家に帰って夜になると泣いていた。親はとても心配した。

長い夏休みが終わる頃になると、明確に私は親にひどいことを言った。自分の命を軽んじることを、小学生から高校生が終わるまで。学校に戻ったら体育の授業があって、着替えなきゃいけない。プールの授業だってある。身体測定もある。みんなの前で裸にならなきゃいけない。私には誰の前でもその覚悟がなかった。例を挙げればきりがない。学校が始まると、私はまた私でなくなる。そんな恐怖があった。

高校にはいって、何人かの男の子から、女の子から、付き合ってもいないのにキスをされた。私の頭はある面で非常に複雑な経験をした。ほぼ毎朝電車の中で痴漢にあった。それも時に男性であり、時に女性であった。そのことは私を混乱させた。Who am I? 正直に言えば、Whoではなく、whatであったかもしれない。でもそれも次第にどうでもよくなってきた。

うむむ、話がそれてきた。おばちゃんとの会話についての話だったのに。

夜も遅くなってきたので眠ることにします。


本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。