【スナック・ふみぐら】 #寄せ文庫
まずはこちらを読んでね!
※この文章は以前書いたものの投稿するタイミングを逃していたものを加筆・修正したものです。
※目次の【トモナガさんのお仕事】【感想文】がこの企画の部分です。この部分だけ読んでいただいても構いません。
※長めですので気力と体力と時間のあるときに無理のないように少しずつお読みください。
プロローグ
あてもなく鉄道の刻む音に身を揺られていたくなることがある。もちろんそんな時には目的地なんて定めない。目星をつけた時間に電車に乗り、レールの継ぎ目の奏でるリズムに心臓の音を重ねていく。もし運が良く座席に腰をかけることができたなら、そっと目をとじて鉄道と自分の協奏の中、深海魚のように揺らいで。
時間をかけて成田空港にたどり着き、上野へ向かう指定席を買い求めて夕方のイブニング・ライナーに乗りこむ。大好きなイブニング・ライナーの成田空港駅から空港第2ビル駅を繋ぐタイムマシンの入り口のようなトンネル。その気圧を耳と腰に深く感じながら静かに目を閉じる。懐かしい気分にとらわれる。
混沌の長いトンネルを抜けると高砂であった。夕暮れの空が橙に広がる。静かに高架下の町並みを眺め、高揚感が空港から運んできた乾燥した空気を温めていく。
京成上野、特別な響きを纏う名前。それだけで満たされるものがある。それは山手線で向かう上野とも京浜東北線で繋がる上野とも違う特別な上野感。そうこう思いを巡らせるうちに青砥に停車して、ドアを開けてひと呼吸をしたイブニング・ライナーはその扉を閉じて走り出した。しばらくしたころにわたしは転がるように上野駅に着いた。
メダカの泳ぐ水槽
グラスを磨き終えて一息つくと水槽の中のメダカと目があった。雨が上がって晴れ空の広がった午後の西陽が水槽の中へ差し込む。随分と手入れをしていなかったかもしれない、そう思い凝縮された水の中の長く伸びた水草を眺める。いくらかの藻がガラスに付着していて水槽の中にも時間が流れていたことに気付く。
ボウルに水をはってカルキを抜いて半分くらいの水を取り替えた。酸素を多めに出してメダカのいる世界の時間を循環させて椅子に座り少しの間話をした。
御徒町を歩く
上野の駅からアメ横を抜けて御徒町まできた。駅前のお魚屋さんを覗いてしばらく楽しむ。改装して様子が変わってしまったけれど楽しい場所であることには違いない。そこを出てその近くのカフェでコーヒーを飲み、ふらりとあたりを歩いていたらよく知らない路地に迷い込んだ。
どうせ目的地もなく鉄道に乗ってきたのだからもう少し歩き回ってみよう。いつもは御徒町を経て合羽橋まで行って戻ってくるのだけれど今日は御徒町のあたりを中心に歩いてみるのも新鮮でいい。
飲み屋に印刷屋、オフィスと路上に置かれた観葉植物。ブロック毎に必ずお茶やコーヒーを楽しめる場所が必ずある。古いタバコ屋に酒屋、古いスクーター。わたしの中の東京の景色。人の集まる場所からひとつ入った路地には東京の生活がある。束の間の後にトンカツの揚がる香りや酒場の仕込みの音、夕暮れに向けて人の足音が次第に酔いを帯びてくる。
空を見る。上野の空の色がそこにある。昭和から雲が流れてきては新しい風がその下を流れる。マットな色合いの太陽。上野の空は特別な色合いで光を霞ませながら路地を照らす。
本格的に迷い始めたけれどiPhoneを取り出す気にはならなかった。大通りへ出ればそこには東京中の街への行き方がわかるようになっているはずだからわたしは安心して知らない路地を歩いた。
本格的な夜が遠くに見え始めたころにわたしは路地に置かれた看板をみかけた。【スナック・ふみぐら】そう書かれていた。外観は扉と窓、茶色く平たい屋根と薄いベージュの壁。前を通り過ぎる途中に窓から中をチラリと見た。中にはカウンターがあってそこに立っている男性と目が合ったような気がした。雉のような目、視線の先の意図を読めない感じ。わたしは少し歩幅を広げて先へ進んだ。
開店準備ができました
メダカは水に馴染んだようだった。ヒレの動きをみているとお腹を空かせてるのがわかったのでパラパラと食事をあげるとメダカは嬉しそうにそれを全部平らげた。
よくわからないまま時々こうして店番をしているこの店も、早いものでもうすぐ一年が経つ。店の中もいじらせてもらえたので居心地は悪くない。たまにこうして外を眺めて、町を歩く人と目が合うとふと我にかえる瞬間がある。そんな時にふと思いついた文章を書いたり、詰まっていた仕事が前に進むきっかけがあったりして飽きない。
スナック・ふみぐら
気になる。さっきのお店が気になって一つ先のブロックをもう3周もしている。これは人生に何回かある転換期かもしれない。あの扉を開けた人生かそれとも開けなかった人生か。気がつけばわたしはあの店のある通りを歩いていた。すると扉が開いていてそこにはさっきの男性が立っていた。少しくせのある短めの髪、シンプルな衣類。全体的にニヒルな印象がある。「いらっしゃい」男性はそういって店の中へ入っていった。そしてわたしもそれについていった。
店の中に入るとすぐにカウンターがあって、焼酎やウイスキーなんかが並んだ棚があった。カウンターにはワインレッドの皮張りのスツール。テーブルの席も二つほどあって、窓際には飛行機の座席のような椅子が二つとそれに合わせた低いテーブル、その隣の棚にはガジュマルやフレンチマリーゴールドが並んでいた。テーブル席側の壁に備え付けられた大きな本棚も見えて、そこには大小さまざまな本。奥のティーテーブルには小さな水槽も。
「何か飲みますか?」インテリアに気を取られていたので驚いた。ビクッとして振り向くとカウンター越しに男性と目が合った。「あの、ワインはありますか?」そう聞くと「赤ならありますよ」と言ってカウンターの棚からボトルを取り出した。
棚のたくさんあるお店だ。「これしかないけど」そう言って見せてもらったのはスペインのテンプラニーニョという種類のワイン。それを注いでもらうとバラのような香りが漂ってきた。なんだろう、すごく素敵なワインである気がしてきた。
男性がカウンターの中でカトラリーを磨いたりしているのを眺めつつゆっくりとワインを楽しみながらも、これがグラス売りなのかそれともボトル売りなのかが心配になってきた。スナックって書いてあったし結構値段がするんじゃないだろうか、と。だがその心配もすぐに晴れた。3人組の女性が来てそのうちの一人がワインを頼んだ。そのワインは先程のボトルから注がれた。少しほっとした。聞き耳を立てていたわけではないけれど、その女性がどこかから帰ってきたような話をしていた。お店の主人かマスターか呼び名がわからないけれどもその男性も常連らしい女性たちの話の途中でニヤニヤしたり。
スナックと飛行機の座席
マスター(と呼ぶことにする)はカウンターを離れて飛行機の座席のような椅子に腰をかけた。リクライニング機能があるらしく軽く背を倒して天井を眺め気持ち良さそうに目を閉じた。スナックに飛行機の座席、それが違和感なくそこにあった。
どうしても気になったのでわたしももう一つの飛行機の座席に座らせてもらうとマスターは目を開けて少し驚いたようにした。「わたしもこの椅子に座っていいですか?どうしても気になって」そう言うと「もちろんです」とマスターは背をもたれ再び目を閉じて答えた。
リクライニングを倒し呼吸をするといつもより多く空気を吸えた気がした。広い場所で草の上でそうしているようなイメージが浮かんできた。その新鮮な空気は雨の降る前の湿気を含んでわたしの鼻腔へ届く。もうすぐ降り出すのかな、そう思いながらワインを飲んだ。「虹の香りがします」マスターがそう言い、先程の女性たちはその言葉に反応するように嬉しそうに笑った。
女性たちは結局もう一本ボトルを頼み、自分たちで注ぎあって楽しんでいた。そのうちの一人が本棚から本を取り出してきて一人でテーブル席で読み始めた。マスターは相変わらずリクライニングシートでくつろいでいる。もうハワイあたりについているかもしれない。熱く焼ける空港の滑走路を簡単な作りのフードコートから眺めながら信じられないほどよく冷えた瓶詰めのコーラを飲んでいるのかもしれない。
そう、ハワイの冷蔵庫には特別に雇われた妖精がいて、コーラやバドワイザーなんかを特別な温度に冷やすことで生計を立てている。お店のエアコンの中にだってその妖精はいる。そして店内を特別に冷やすことで生計を立てているのだ。彼らはよく働くし24時間体制を限られた数の妖精で無理なくこなすことに長けている。それに彼らは客がよく冷えたバドワイザーなんかを美味しそうに飲む姿を見るのが堪らなく好きなのだ。
リクライニングシートでうつらうつらしながらそんな妄想に囚われている間に小さな変化があった。いつのまにかマスターはピスタチオを食べていた。目を閉じながら器用にカップから数粒を摘み、殻を剥き、ナッツを一粒ずつ前歯のあたりでよく軽く砕いてそれを奥歯の方へ送り込みすり潰すように楽しんでいた。
殻は飛行機の座席横の窪みに引っ掛けられた飯ごうのような形の缶にこれもまた同様目を閉じたまま器用に落とされていく。そして瓶詰めのデンマークのビールをゆっくりと喉に流し、口内に流れる気圧の変化で小さくウップと音を出した。
カラン、カラン。一粒につき2度音が響く。その音は鈍行の鉄道の線路の継ぎ目のたてる音のように定期的に響いた。穏やかで曇りのない音を。浅煎りのピスタチオの青い香りを、本のページの微かな風を感じる。
「ねえ、わたしこの話も好き。」テーブルで本を読んでいた女性が突如マスターに話しかける。「あなた好きね、その本」目を開けてマスターが嬉しそうに、少し気だるそうに言う。「ねえ、あなたもよむ?」そうしてその女性から渡された本。パッと開いたページに書かれていたお話。
トモナガさんのお仕事
そしてその本文に寄せての感想文も書かれていた。
感想文
この作品に出会った瞬間を今でもよく覚えています。それはまだわたしが文章を書き始めて半年くらいの時のこと。読んでいる間息を失うほどの緊迫感を感じました。まるで自分がトモナガさんに口を塞がれているかのようなスピード感とどうすることもできないもどかしさ、辿り着く場所の見えない展開、その全てがこの文章の中に凝縮されていました。
忙しく動き続ける都会を、誰かが上空から超高性能虫眼鏡で覗いたような世界。切り取られた空間と時間。いつもと同じように動き続ける世界も実は全く違う世界が同時に存在していて、時にそれらが入り混じることがある。そこで見たものを文字にする。ストーリーを綴っていく。それは自信を持って書いていいものなんだよって言われた気がしました。
なのでわたしの書くものの一部は、時に多くの部分は、ふみぐらさんの育てた土を分けてもらってわたしの庭に混ぜ込み、その上に育ったものであると思うことがあります。そしてそんな自分の書くものをとても愛おしく感じるのです。
エピローグ
夢中になってその本を読んだ。中にはいろんな景色が書かれていて、似顔絵なんかもあってとても賑やかなものだった。読んでいくうちにマスターがふみぐらさんと呼ばれていることがわかって、この本がいろんな人からふみぐらさん宛に寄せられたものであることもわかった。
お店に男性が二人入ってきてテーブル席に着いた。ふみぐらさんはニコリとしながらカウンターの中でナッツやドライフルーツなんかをお皿に盛っている。勇気を出して言葉にしてみた。「ふみぐらさん、ワインをもういっぱいもらえますか」
急に名前で呼ばれたからかふみぐらさんは目を丸くして、それからすぐに「同じのでいい?まあ、同じものしかないんだけど…」と言いながらワインのボトルを手に取って、カウンター越しに空いたグラスにワインを満たしてくれた。
「ちょっと電話してくるわ」そういって女性たちの一人が扉を開けて店を出た。その様子をふみぐらさんが見つめていて、外からは雨上がりの香りがしてきて、ふわりとワインのアロマが風にのって、それは青い草原のように広がった。
また来ます、そう言って店を出たあともその香りを思い出してはニヤニヤしてしまう。大好きな場所ができた、そんな気持ちになった帰り道。上野までをゆっくりと跳ねるように歩き、大好きな東京の夏の香りを纏わせてわたしは夜のイブニングライナーに飛び乗った。
CAUTION
本作品はフィクションです。
現実のふみぐら社さんはスナックのママではありません。
お店の予約などはご遠慮ください。
作品に対する不満などはクリオネ宛にお願いします。