ブル日記 -我がラグビー人生(中学編)-
皆さんこんにちは、ブルです。
調子はどないですか?
わたくしブルは最近分食と美酢(みちょ)にハマってそれからお腹を壊したので色々調整中です。
そんな感じで今回は自己紹介をしていきたいと思います。
嘘なしリアルガチ自己紹介です。
わたくしブルのプロフィールはざっくりこんな感じです。
【社員選手のままかプロ選手になるかを迷っている26歳現役ラガーマン】
です。
そうです、ブルはラガーマンだったのです。
26歳の現役ラガーマンだったのです。
今現在は午前中を会社で働きながら午後からラグビーをするといういわゆる社員選手といわれるやつに属しています
なぜプロになるかを迷っているかは話すべきタイミングが来たら話します。なんて偉そうなことも言ってみます。
今日はラグビーを始めることになった中学校編をざっくり紹介します。
ちなみに名前も知らんラガーマンの人生紹介いらんねんと思ったあなたは正解です。これはただの自己満です。ですがnoteの始め方というページの【もっとも大事なこと】という欄に
「創作を楽しみ続けること」
と書いてあるので私の自己満noteはこれからも増えていきますのでその点は悪しからず。
2回目の悪しからずを使いました。すでに悪しからずを使いこなしてきたようです。
ではそろそろ本題に入りましょう。
わたくしブルのラグビー人生は中学2年の夏休みに広いグラウンドでボールを持ち縦横無尽に走り回る夢を見た時から始まりました。
単純な少年ブルは「これは神からのメッセージだ!」と受け取りとにかくあの夢の状況に似た物事を探し始めました。
昔からスポーツ万能少年だったブルはアメフトとラグビーに的を絞りその中学にたまたまあったラグビー部を選び中学2年生の2学期に入部しました。
私は大阪府にある中学に通っていたのですが、私が入部した時点では府の大会での最高成績は1回戦突破でした。そしてなんとか勝ち上がった2回戦では大差での負け。その上部員数が揃わず近くの中学に行って合同チームとして活動している。そんなチームでした。
もちろん私が入った中学2年時もあっさり一回戦負け、3年生たちは特に悔しがる様子もなく引退していきました。
私もこんな感じであっけなく引退してラグビーを辞めるのかなとその時は思っていました。
ですが私たちの代は違いました。まずキャプテンの気合が違います。人に真正面から怒れるキャプテンです。
この歳になって思いますが、人(特に同僚や同級生)に対してはっきり怒ってくれる存在は非常にありがたいですし中々いないです。
仲が良くてもこれを言えば今の関係が壊れるんじゃないかと思うせいか言いづらいことが言えないこともしばしば
どちらが良い悪いなんかではなく、とにかくあの頃の私達にはあのキャプテンが合っていたのかなと思います。
ちなみに彼は今「行動力がなんたら~」とか「マインドがなんたら~」とか怪しいことを言い始めて保険屋さんで元気に営業してます。
話は戻りまして
そのキャプテンの人間性に加え私たちの年代は身体のデカい奴がなぜかたくさんいました。私もデカい方でしたが私と同時期に入部した三人はさらにデカくて弱小校が急に大型FWを有する学校に変化しました。
キャプテンの統率力と大型FWが売りの我が中学はつらい練習を乗り越えた結果、2回戦突破できたらいいなと思っていた大阪府大会はなんとベスト4まで残ることができました。(3年時はぎりぎり単独校として出れました)
しかもそこにいくまでの全試合のうち半数はラスト数分の逆転勝ちや、ラストワンプレーでの大逆転勝ちでした。
毎試合チームメイトと泣きながら抱き合ったのを覚えています。
ラグビー人生で1番泣いていたのは確実に中学時代でしょう。
そんなこんなで優勝こそできなかったものの創部初の2回戦突破どころかベスト4までいった私たちは今でも年1回ほど集まり当時のビデオを見ながらワイワイ騒いでます。
中学ラグビーから学んだことは
・ラグビーを楽しむことの大事さ
・下克上することで得られる刺激
この【下剋上することで得られる刺激】というのは後のラグビー人生にかなり影響を及ぼします。
ちなみに大阪ベスト4まで残ったなら中学の代表に選ばれたりした選手もいるんちゃうの?と思う方もいると思います。
私達の中学からはALL大阪(大阪府中学校選抜)に1人選出されました。
もちろん創部初です。
そしてそれはもちろんわたくしブル……なわけはなくて、私達のチームのエースが選ばれていました。
わたくしブルの中学代表歴は
東大阪市選抜"B"です。。。
大阪府で中学ラグビーをしてた方や子供がしてる方などはわかると思いますが、しっかりラグビーに取り組んでいたらだいたいの3年生は入れるやつです。
東大阪選抜Bに選ばれた当時の私はまさか今の舞台でラグビーをするなんて思いもしませんでしたね。
そんなこんなで高校を選ぶ時に1番大事にしたのは「ALL大阪のやつがおらん高校で強なったる」でした。
当時ALL大阪のメンバーは常翔学園(旧大阪工大高)と常翔啓光学園(旧啓光学園)に分かれて進学していきました。
さっきの下剋上なんちゃら〜の部分ですね。
とにかく違う学校に行ってALL大阪が固まるエリート軍団を倒したい。
”下克上したい"
その一心でALL大阪が誰もいない高校に行きます。
そしてこの高校時代こそわたくしブルのラグビーのスタイルや心の芯の部分を確立する三年間になるのでした。 高校編はまた今度紹介します。
ちなみに中学の時に通っていた接骨院のおっちゃんからは「お前が〇〇高校では無理があるわ!〇〇高校舐めたらあかんで」とまぁまぁガチトーンで言われオッサンがなんか吠えとるなくらいにしか思っていませんでしたが3ヵ月後なぜあのオッサンがそう言っていたのかが分かることになるのでした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
書きながら懐かしいなぁと当時の思い出を振り返ってました。
中学の頃はほんとにあほでしたね、
ラグビー部みんな。
英語分からんのに授業中にトイレでレッチリ聞いて頭振ってるやつ。
上裸で背中にアダルトサイトの名前を書いた年賀状を実家に送ってくるやつ。
真冬の練習後に冷水を浴びてMに目覚めるやつ。
悪ガキというよりはただのあほでしたね。
そんな彼らも今じゃそれぞれの道に進み僕だけがラグビーを続けているわけですが、彼らに負けずたまにはあほなことをして息抜きしながら精一杯今を生きたいと思います。
では今日はこれにて
おやすみなさい