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障害とは

 私は、現役のガン患者。

がんサバイバーです。

長男は、自閉症スペクトラム。

次男は、吃音。(昔の言葉で言うと”どもり”)


それぞれ、障害を持っています。


そもそも、障害という言葉。

意味を調べてみると

・精神や身体の器官が、何らかの原因(先天的、

または病気やけがなど)で、

本来の機能を果たすことができないことや状態

 とのこと。


 これは、特に長男に対して。

私の主観なのですが、

この「障害」という言葉を言われるのが、

本当に嫌でした。

 市役所から書類が届くときなどに「障害児」

といった記載があると不快でしたし、

小学校の「支援級」に入れるのも、

認めたくありませんでした。


・どうして、障害なのか?

・長男は、「害」なのか?

と。


長男は先天的な発達障害。

でも、もちろん、望んでなった訳ではない。


 それなのに、「一般的に」とか、「普通は」、あるいは

「当たり前」という言葉のイメージに当てはめられ、

当てはまらないから「例外=障害」となる。

それが、心の狭い(のかな。。。)私には、納得できない。


 私は、息子を心から愛しています。

私の思い通りにならないから(なるわけないのに)、

ついつい叱ってしまったり、私のその時の気分のままに

厳しい言葉をかけてしまうこともあります。


 普通という言葉に違和感を感じながらも、

私に余裕がないと「もう 〇歳なんだから、

これくらいできるようになって!」と、

今でもついつい、言ってしまいます。


 でも、長男は周囲の同い年の健常な子たちと

同じようには、なかなかできません。


そんな中、自分がガンになり、

数年生きられるか分からない状態になりました。


 会社にそのことを伝えると、途端に「はれ物」扱い。

・きっと心身ともに大変だろうから

・この仕事は長期的な計画だから

といった理由で、担当を代わったり、

責任者を外されたりしました。


 そう、私も「障害者」の仲間入りです。


 その時、強く感じたのが、

「どうして、憶測で決めるんだろう?」

「どうして、普通に当てはめるんだろう?」

と。

とても悲しくなりました。


 障害は、本人が希望してなる人はきっといない。


 何より、障害を持っていても、健常者と同じ、

社会の中で生きています。

 それこそ、障害者だからと、特別に整備された

別の社会なんて、ありません。


だからこそ、障害を持っているみなさんに

・あなたは、どうしたい?

と、聞ける環境、

・それなら、これらがあるよ!

と、応えられる環境があると良いと思います。


 人は、生きているだけで、絶対に価値がある。

可能性を、選択肢を、定義があいまいな「普通」や

「一般的」などという言葉に当てはめて判断して

欲しくない。

 自分が当事者になって、強く思いました。


と同時に、長男に対しての自分の態度も、

猛省しました。


・きっと大変だろうから

という私の主観で、長男に対して、

たくさんの「機会」を奪ってきました。



 私が思ったことは、障害があってもなくても、

・同じように選択肢を用意する

・まず、挑戦する

この機会を、やる前から減らすのは、絶対にダメだと。


 そう考えた時に、改めて感じたこと。


風潮やメディアのイメージなどで、

「障害者への色眼鏡」で見てしまうこの社会。


そこに違和感を持たないことこそ、障害なのではないか?

と考えさせられました。


 日本は、障害者、社会的弱者(という言葉も嫌いですが)

に対しての対応は、非常に遅れているそうです。

 時代も風の時代に変わったのです。

 いつか、

・みんなが楽しく、ワクワクする社会

になったら良いなって、強く願います。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


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