もう翔べやしないんだよ!
前回の続き
山道を自転車で走っていた。
山を下っていた。
カーブが連続していた。
スピードを落とさず曲がっていく。
曲がり切った先で上りの車が2台走ってきた。
だから左側に寄ろうとした。
(記憶に鮮明に残っているわけじゃあないんだけど、2台見えたってことはさ、後ろの車、あろうことか前の車を追い越そうと道路の真ん中よりも右側にはみ出してたんじゃあないかな。
カーブでの追い越しは禁止だぞ!
思い過ごしかもしれないけど。)
白線を踏むまでに寄った時、そこは昨日の雨かなんかで濡れていて自転車が滑った。
そのまま路肩で1人、転倒した。
左肩から転けた。
幸い、剥き出しのコンクリートではなく草とか土とか落ち葉が敷かれたところに突っ込んだこと、半袖だったが日焼け対策でアームカバーをしていたことで、
擦過傷はある程度軽減された。
服はみなズタボロになったけど。
怪我は左腕の擦過傷、右足首の捻挫。
ヘルメットの後ろが削れていて、首も痛い。鞭打ちかもしれない。
顔にも傷できてる。キングダムの信みたいになってる。
転けた瞬間は痛みよりも、諦めの気持ちが強かった。
あーやっちゃったー、ついにやっちゃったー
って感じ。
何より痛かったのは、自転車が破損したことだ。
ハンドルが曲がったり、サドルが曲がったり、チェーンが外れたりしている。
どれも上級者のチャリ乗りなら自分で修理できるのかもしれないが、
僕は初心者で、破損の具合も見極められなければ、そもそも修理の方法も知らない。
今まで転けたことがなかったからだ。
…
……
傷口は泥だらけだった。
早く手当しなければ。
とりあえず壊れた自転車とともに広いところに移動した。
山の中で水道がなかったから、なけなしの飲み水で傷口を洗い流した。
消毒液も持っていた。それも使った。
絆創膏も持っていた。意外と準備いいんだな。
(傷口を消毒することは、現代医学においては悪手らしい。傷口が塞がりにくくなるという)
さて、ここからどうやって帰ろう。
家までは20キロ近くあるぞ。
まず、どうにかして自転車のチェーンをつけよう。そうすれば漕げるかもしれない。ブレーキは死んでいるけど。無理なら押して帰る。
日暮までには帰れるか。
色々考えていた。
道ゆく車は僕を見ていた。
ただ見るだけ。
自転車乗りは嫌われているから、ざまあみろなんて嘲笑いながら通り過ぎていく者もいたことだろう。
でも、さっき僕を見て通り過ぎていったはずのトラックが戻ってきた。
傷だらけの僕を見かねて戻ってきてくれた。
「乗せてってやるよ」
僕は救われた。荷台に壊れた自転車を乗せて、僕は助手席に乗せてもらい、家まで送ってもらった。
とてもやさしいおじさんだった。
これまでも僕と同じように怪我したチャリ乗りを助けたことがあるという。
損得勘定なんかじゃない。損をしてでも徳を積んでいるんだ。
お礼として1万円を差し出そうとしても、おじさんが受け取ることはなかった。
話し相手になってくれてありがとうと、逆に感謝された。
素晴らしい人格者だ。命の恩人だ。
…
……
それはそうと、あのおじさんが乗せていってくれなければ、怪我した状態で壊れた自転車を持って山登りをしなければならなかった。
4時間はかかっていたことだろう。
帰る頃には日は沈んでいただろう。
1人で生きていくということは、そのような窮状にも1人で立ち向かっていかなければならないのだ。
1人で生きる覚悟があれば、あのおじさんの親切を無碍にしてでも1人で帰っただろう。
困難な道をあえて選択するのが好きな僕でも、今回はその選択を取ることができなかった。
困った時に手を差し伸べてくれる人がいれば、助けてもらう。
それは決して恥ずべきことではないんだ。
合理的なことなんだ。
そう言い聞かせた。
悔しかった。
逆境に笑うほどにストイックになれなかった。
根性(しょうね)がまだまだ足りない。
…
……
僕はもう、下り坂を楽しいと思えなくなるだろう。風を切る感覚をもう味わおうとしないだろう。
カーブに差し掛かると、この事故が頭をよぎる。
転けた場所、服装によっては軽い怪我で済まなかったかもしれない。
首の骨が折れて半身不随になっていたかもしれない。一生車椅子生活、寝たきり生活が待っていたかもしれない。
それに、手を差し伸べる人はいつも現れるとは限らない。今回のおじさんの到来は奇跡なんだ。
誰も助けに来られないような場所で1人大怪我をして、救急車を呼ぶ手段であるスマホが大破したり紛失したりしたらいよいよ死んでいたかもしれない。
数ヶ月、数年後に発見された頃には白骨化しているかも。
そんな絶望的な未来と紙一重の今を生きていることを実感して怖くて仕方がない。
しばらくは平地を走ることとする。
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