ルックバックを見て泣くオタクが作ってる作品がクソつまんなかったときにだけ摂れる栄養素

 クリエイター賛美が気に入らない。なぜならそのような人が賛美の対象とするのは、自己表現に重きを置いた芸術分野の作品だからだ。
 芸術というのは生きるうえでなんらかの助けにはなったりするが、決定的なところで役に立ったりはしない。生きていくうえでダイレクトに役立つ、食料・製品・エネルギー・インフラを生産している人々を差し置いて、なぜ自己表現としての創作をしている人を賛美するのか。

 思うに、クリエイターを賛美し、ことさらに「自己表現は素晴らしい」と繰り返し唱える人々は、翻って、自分のことを認めて欲しいのだ。
 自己の存在を認めて欲しいからこそ、他人の表現を承認し、それを素晴らしいと褒め称える。

 その気持ちを否定するつもりはないが、クリエイター以外を嘲笑するようになってしまった人には呆れる。
 インターネットに横並びの“自己表現”のなかで、少しでも自分の表現を目立たせるために、過激な物言いを発達させてしまったオタクは“バケモン”と形容されるにふさわしい、創作垢のなれの果てだろう。
 僕はそういった、すぐに泣いたり発狂したりする創作垢を嫌悪している。



 だからこそ、日頃から御大層な創作論を語っていたり、創作を賛美しているオタクが作った作品がクソつまんなかったとき、僕は心から笑顔になれる。

 ネットで前に流行ったネタの劣化コピーやないかい、と。
 キャラクターが笑顔でポーズとってるだけの綺麗な絵なんて一分後には存在自体忘れてるよ、と。

 そんな面白くない作品を読むと、僕は勇気が湧いてくる。自分が書いているものが本当に面白いと実感できるから。
 この“ざまぁ見ろ感”はこのときにしか接種できない栄養素だ。


 クソつまんない作品を読んでなぜ“ざまぁ見ろ”と思うのか。
 それは、自己表現に興味がなく創作が素晴らしいとも思っていない自分が、創作を賛美している人よりも面白いものを作ったとき、それが自己表現などせずに実直に生きている人の素晴らしさを証明しているような気分になるからだと思う。


 僕は自己表現には興味がない。
 感想コメントをもらうと天にも昇るように嬉しい、といった話はよく聞くので、自分もそうなのかと気になっていたのだが、いざ自分の作品に肯定的感想コメントがついたとき、自分でもビックリするくらい何も感じなかった。
 読んだ人が面白いと思うことが重要で、自分が評価されることにはあまり関心がないからだと思う。そして、自分の書いたものを自分で読んだとき、読者の自分が面白いと思うから、その時点で目的は達成している。
 というか二次創作が大半だしね。そもそも自分の作品という意識は薄い。


 シンプルに、ネットでイキってるやつが自分より弱いと気分が良いという話でもある。
 創作の素晴らしさを語りながら「感想くれないと続き書けません!」とか軟弱すぎる。
 そういうつまんないヤツに限って囲いにヨシヨシされててウザいんだよな。



 何かを作る努力することを特別視する意味が分からん。
 むしろ、ツラいことから逃げて、ラクで楽しい芸術分野に逃げただけじゃないの?
 創作なんて遊びじゃん。辛いなら辞めたらいいんじゃない?

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