スポーツ観戦と確率

こんな実験があります。Aのボタンを押してたら必ず餌が出る。Bのボタンは押して餌が出るときとでないときがある。これをネズミに覚えさせます。その状態でA.Bどっちもある檻にネズミをいれて、A.Bどちらも出ない設定にしたらどう振る舞うかという実験です。結果は、Aは押しても出ない設定なのですぐ諦めるのですが、Bの方はたまに出ると覚えているためずっとBを押しているというものでした。

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変に結びつけてしまうのですが、野球は打てて3割ですし、勝ち続けるということがないスポーツです。たまに飛び出すホームランも期待してしまうから中毒のように嵌ってしまうのでしょうね。私自身テニスをやっていて、似たようなことを感じる場面がある。同じようにラケットを振っていても、サーブやラリーの調子がいい時もあれば、悪い時もある。今日は調子がいいだろうかとかその日にテニスをやってみないとわからない。もちろん調子に波があることを改善するということも行なっているが、今日は思い通りできるかもしれないとテニス中毒になっているわけです。

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今年の東京オリンピック、私は球技中心に応援していた。(当然テニスももちろんみていた。もしコロナがなければ、錦織 vs Djokovic の試合を見ることができたのだが・・・)他の競技も少しはみていたが、見方がわからず、すぐチャンネルを変えてしまった。ただ、上のネズミの実験と少し違うと感じたことがある。それは対人スポーツならではの「メンタルによる確率変化」。

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例えば、バッターなら前の打席でこの変化球で三振取られたから、次どこに気を張っておくべきか?とかピッチャーなら次はどこにどの球種を投げてやろうかなど、あげたらキリがない。私が今回の見たオリンピックの中で、それを強く感じたのは卓球混合ダブルス 準々決勝(ドイツ vs 日本)である。ファイナルセットまでもつれ込み、相手にマッチポイントを何度も握られながらも、勝利したこの試合。勝ちを目前にすると緊張して、あと1ポイントなのに上手くプレーできない。むしろ1ポイント取られたら負けるというメンタルの方が、目の前の1ポイントにより集中するのかもしれない。前セットや前々セットで返せていたボールも返球できず、失点を重ねるという心の持ちようによる確率変化だったのかなと私なんかはみていました。


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