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バーレスクとわたし

〝Burlesque(バーレスク)〟は、ほんのひとときでも現実から離れて、きらびやかで夢見ごこちの世界へと連れていってくれます。同じ空間で楽しむ間に、心と体にエナジーを注ぎ込んでくれたり、現実世界ではインスピレーションを与えてくれます。

しかし、わたしにとってはそれ以上のものをもたらしてくれました。
今日は少しだけ、わたしのこととバーレスク・フレンドのお話しをしたいと思います。



Burlesque And Pin-up S JAPON website 2009-2024

⚫︎ Burlesque And Pin-up S JAPON

 わたしは2009年から、日本で唯一のバーレスクとピンナップの情報サイトを運営していました。名前は Burlesque And Pin-up S JAPON(バーレスク・アンド・ピンナップ・エス・ジャポン)、略して BAPS JAPON(バップス・ジャポン)。当時アジア人初でバーレスク世界大会のグランプリを受賞したErochica Bamboo(エロチカ・バンブー)(*1)さんとの出会いから、このサイトは生まれました。
 当時、バーレスクもピンナップも日本には「専門」というサイトがなくて、情報が集まったらいいなぁーとこの名前を考えました。それから、BAPSは「女性の胸(イギリスで“小型の丸いパン”を意味する)」という意味も。これは偶然で、後から知ったんですけどね(笑)。
 バーレスクとピンナップの関係ですが、バーレスクのパフォーマーって、昔からピンナップのモデルとしてブロマイドになったり、アーティストのディーヴァとして描かれることが多くて、切っても切れない関係なんですよね。だから、両方を一緒にまとめられたらいいなぁと思ったんです。

※1>Erochica Bamboo(エロチカ・バンブー):武蔵野美術大学在学中にグランドキャバ レーやナイトクラブでフロアーダンサーとしてデビュー。 2003年にアメリカのバーレスクの祭典「MISS EXOTIC WORLD(現Burlesque Hall Of Fame)」にてアジア人初としてグランプリを獲得。2021年11月東京キララ社より自身初の自伝本『エロチカ・バンブーのチョットだけよ!』発売。現在、第二弾も執筆中との噂も。


⚫︎わたしのファースト・バーレスク体験

 BAPS の活動を始める前に、初めて見たバーレスクパフォーマンスは、おそらく紫ベビードール(*2)だったと思います。彼らが世界大会でグループ賞を受賞したすぐあとで、そのイベントで見たグループのリーダー、Violet Eva(ヴァイオレット・エヴァ)(*3)さんのパフォーマンスが、もう本当にシャープで美しくて!今でも鮮明に記憶に残っています。ショーの後に勇気を出して「写真を撮ってもいいですか?」と声をかけ、胸から上のお写真を撮らせてもらったのですが、その時のエヴァさんの表情まで今でも思い出せます!
 それから、すぐに次のショーも観に行きました。その年の年末には紫ベビードールのワンマンライブにも足を運びました。紫ベビードールの「チェリーズ」という男性のみグループのメンバーで、当時わたしの推しだったSergei(セルゲイ)(*4)さんにはじめて花籠をお渡ししたのも良い思い出です。多分このことはお二人とも覚えていないと思いますが(笑)。エヴァさんもセルゲイさんも、今でも大好きなパフォーマーで、日本のバーレスク界にとってはかけがえなく重要な存在です。そして、お会いするときは今でもちょっと緊張してしまいます。

※2>紫ベビードール:「愛」をテーマに踊る、ポップでキッチュなバーレスクパフォーマンス集団。2006年、日本のネオ・バーレスクシーンで初めてバーレスク世界大会「MISS EXOTIC WORLD PAGENT&STRIPTEASE REUNION(現Burlesque Hall Of Fame)」で【Best Troupe(最優秀団体賞)】を獲得。熱良いファンを多く持ち、各地ライブハウスやフジロックなど、メンバーを入れ替えながらさまざまなイベントで長く活躍中。

※3>Violet Eva(ヴァイオレット・エヴァ):「紫ベビードール」主宰。2007年にはバーレスク世界大会「MISS EXOTIC WORLD PAGENT&STRIPTEASE REUNION(現Burlesque Hall Of Fame)」にて、ソロで【Best Debut(最優秀新人賞)】を受賞。その後も、同大会での世界のバーレスクダンサーの最高峰を決める【Queen Of Burlesque】 部門に、過去3回ファイナリストとして選出される。 日本中のキャバレーやホテル、ライブハウス、ギャラリー等でパフォーマンスを行うにとどまらず、ニューヨーク、パリ、トロントなど、海外の主要なバーレスク・フェスティバルにも多数出演するほか、振付・監修なども行っている。

※4>Sergei(セルゲイ):ボーイレスク・パフォーマー。紫ベビードールの元メンバー。2007年バーレスク世界大会「MISS EXOTIC WORLD PAGENT&STRIPTEASE REUNION(現Burlesque Hall Of Fame)」のボーイレスク部門に、日本人として初出場。多くのバーレスク・フェスティバルにも出演し、日本でもさまざまなイベントで活躍。毎週木曜にバーレスクイベント「木曜日のSHOWCASE」を開催。


⚫︎桜と共に思い出す人

 大事なパフォーマーのひとり、Cherry Typhoon(チェリー・タイフーン)(*5)さんは紹介しなければならない人です。彼女はBAPSと共に日本のネオ・バーレスクの発展にとても大きな貢献をしてくれました。彼女が、紫ベビードールの創立者のひとりだと知ったのは、出会ってから少し経ってからのことでした。
 ちょうど日本に Dr. Sketchy’s Anti-Art School(ドクター・スケッチィ・アンチアート・スクール)(*6)の東京支部が設立された頃で、お友達に誘われて遊びに行ったんです。このイベントは、ブルックリンのバーレスクカルチャーから生まれたスケッチイベントで、モデルはパフォーマーたち。東京支部は日本で生活する外国人を中心に結成され、今でも都内で活動しています。そこでチェリーさんとスタッフとして一緒に働くようになり、自然と意気投合。彼女からはバーレスクのことや海外の事情について、たくさんのことを教えてもらいました。
 チェリーさんがそばにいてくれたからこそ、わたしはバーレスクをより深く知ることができました。アドバイスやサポートをたくさんもらえたおかげで、BAPS の活動は本当に有意義なものになりましたし、素晴らしいイベントもいくつも開催できました。
 彼女が活動を休止するまで、一緒に過ごせた時間は今でも宝物です。彼女の最後の公演のとき、衝動的に京都まで弾丸で向かったのですが、「わたし、こんな行動力あったんだ!」と自分でも驚いたくらい(笑)。そのときの感情は今でも大切な思い出です。

※5>Cherry Typhoon(チェリー・タイフーン):現在世界で活躍している日本人パフォーマーを育て、2016年から自身のパフォーマンスを無期限中止していたが、2024年パフォーマンス活動から引退。現在はアートユニットRaymmaのメンバーであり、代表取締役。

※6>Dr.Sketchy Anti-Art School Tokyo(ドクター・スケッチィ・アンチ・アート・スクール・トウキョウ):ニューヨーク・ブルックリンのバーレスクのコミュニティで、創立者のMolly Crabapple(モリー・クラバップル)が2005 年に開始 。それについての本も彼女は書いています。Dr. Sketchy's(ドクター・スケッチィズ)は世界4 大陸 50 都市にあります。他の支部に関する情報は公式サイトをご覧ください。


⚫︎その名は Nikita Bitch Project!

 BAPS を立ち上げて数年が経った頃に出会い、プライベートでも会って話すパフォーマーがいます。彼女の名はNikita Bitch Project(ニキータ・ビッチ・プロジェクト)(*7)。とても頼りになる友人です。年下の彼女から学ぶことは本当に多くて、いつも刺激をもらっています。
 彼女は、2024年に本場アメリカからトップスターたちを招いたバーレスクイベントを大成功させました。その名も「The American Burlesque」。なんとこれは、東京入管が初めてバーレスクに対して興行ビザを許可したという、歴史的な出来事だったんです!
 この年、ふたつの大きな企画がありました。わたしは嬉しさのあまり、最初の企画で沖縄を除く東京2公演と大阪公演を観に行ってしまったほど(笑)。それぞれの公演には日本の人気バーレスクパフォーマーがプロデュースとして関わっていて、どれも個性豊かで見応え抜群でした。もうひとつの企画は、ニキータちゃん自身がプロデュースを担当し、こちらも大盛況
 彼女とは出会ってからいろいろな経験を一緒に重ねてきて、今では「戦友」と呼び合える仲に。笑いすぎてお腹が痛くなることもしょっちゅう。色んなことを相談しあったり、時には涙も一緒に流したり。ニキータちゃんとそんな関係を築けたことは人生の宝物です。彼女の活躍はこれからも見逃せません!ずっと応援し続けたいなぁと思っています。

※7>Nikita Bitch Project(ニキータ・ビッチ・プロジェクト):アメリカ生まれの日本人。バーレスク・パフォーマーであり翻訳家。自分自身をプロデュースするというプロジェクトの元に活動中。自身の会社を持ち、本場アメリカのトップスターを招聘する「The American Burlesque」を主催。2024年、東京入管が初めてバーレスクに対して興行ビザを許可した歴史的イベントでもある。


⚫︎バーレスクがわたしにもたらしてくれたもの

 以前のわたしは、とにかくネガティブ思考の人間でした。自己嫌悪のループにハマっては、「こんなの無理!」「なんでこうなるの?」「わたしなんて…」ってと自意識過剰な行動と発言。自分でも「めんどくさいやつだなぁ」って思うくらい(笑)。
 でも、BAPS の活動を通じて、たくさんの経験と学びをすることができました。年齢も国も文化も違う人たちとコミュニケーションをとること、エンタメの世界でのマナーやルール、仕事の進め方やウェブの技術、著作権や法律の知識まで…まさか自分がここまで学ぶなんて、想像もしていませんでした。正直、全部苦手だと思っていたことばかりだし、面倒臭いことがとにかく苦手でした。でも、初めてのことに飛び込む不安とワクワクが押し寄せては引いて、そのたびに心がぐんぐん成長していったんです。あの頃の心の成長痛は、今思い返してもなかなかすごかったです(笑)。
 もちろん、素敵な人たちにもたくさん出会い、そして友達や仲間ができました。好きだなーとワクワクするパフォーマーにもたくさん出会いました!デビューの瞬間や〝 シグネチャー〟というパフォーマーの代表作の演目が生まれたときを目の当たりにもできました。その演目が育っていく様子を今も楽しむことができているのは、そのパフォーマーが続けてくれているから。本当に嬉しくて、本当に楽しいです!


Burlesque × me | バーレスクとわたし パーソナルzine_2021

⚫︎Burlesque by me|バーレスクとわたし

 BAPS での活動を通して、わたしは…ちょっとだけ大人になった気がします(笑)。2024年末に BAPS JAPON の活動を終了してから、もう3ヶ月。終わってからも、もちろんイベントに足を運び、パフォーマーやファンのみなさんと交流し、バーレスクの空間を楽しみました。久しぶりに、いちファンとして(笑)。
 これまでBAPSでは仲間と共に、イベントを開催し、パフォーマー育成のワークショップを開き、イベント情報やパフォーマー紹介し、普及活動を行ってきました。でも、これらはもう次の世代のパフォーマーたち自身がはじめています。そして今はSNSなど個人でできることの環境も整っています。両手ほどのパフォーマーしかいなかった頃から、現在100名は超えている彼らの情報を集めて発信するには、もうひとりでは限界でもありました。
 コロナなど色んな出来事を経験して、「本当はわたしは何がしたいのだろう?何ができるだろう?」と考えたときに浮かんだのが、新たにわたしサイズのフィールドをつくることでした。
 仲間たちにどんな形で貢献できるのか、これから出会う仲間たちにどうやってバーレスクの楽しさを伝えていけるのか、そして自分自身の満足として何をやりたいのかということを考えました。その上で、「わたしが伝えたいことを、わたし自身の言葉で届ける」ことが、これからの大切な活動になる気がしたのです。
 イベントに行くと声をかけてくれるパフォーマーやファンのみなさんと話すのは、わたしにとってかけがえのない時間です。もちろん、ショーを観ることも!まだまだバーレスクのことを知りたいし、もっとファンのみんなとおしゃべりしたいなぁという思いが、この新しい活動を始める原動力になりました。


 これまで支えてくれた人たち、そして一緒に困難を乗り越えて、時間もエネルギーも注いでくれた仲間たちがいたから、今でもバーレスクが大好きなんだと思います。みんなに心から尊敬と感謝をしてます!

 これから少しずつ歩みを進めながら、出会いや交流を通じて、「Burlesque by me|バーレスクとわたし」がどんな色を持つフィールドに育っていくのか、とても楽しみにしています。それから、わたしの文章力も(笑)。



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この記事は2021年6月にわたしが発行したパーソナルzine「Burlesque by me |バーレスクとわたし」に掲載した一部の記事を大幅に加筆修正して再編したものです。(んじゃ、別物?(笑))
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