〈第14歩〉デジタルカメラ?フィルムカメラ?(後編)
こんばんは。精神科医と写真家の二足歩行、今日で14歩目の『BURARI|ぶらり』です。いかがお過ごしでしょうか。今日の病棟レクリエーションの書道で「書き初め」と書こうとして、2画目くらいでゲシュタルト崩壊?を起こしました。病棟では携帯も使えないので何とか頭で書き起こして「書き初め」と書けました。そろそろ皆さんもゲシュタルト崩壊してきましたか?患者さんに『初め』は『始め』ではないかと言われて、ゲシュタルト崩壊から脱した直後だったので「あ、そうでしたっけ。はは。」と混乱しちゃいましたが、iPhoneで打ち込んで書き初めと出てきたので一安心しました。患者さんに指摘してもらえるなんて、良い関係性が築けている証拠です。
今日のぽつり
香川県レベルでは大雨くらいの雨が降り始めました。今日のぽつりの意味合いが変わりますが、バケツをひっくり返したその言葉通りの水の塊はどれだけの大雨だったとしても落ちてこないのは不思議です。
なぜ粒々で落ちてくるのか。もちろん物理的になんとなくイメージできるのですが、言語化は他の方にお任せします。
ただ一気に落ちてこずに粒々で落ちてきてくれるのはどこか雨というものの優しささえ感じる時があります。その優しさが牙を向くときもあるのは承知で、今日のぽつりの音色を傘越しに聴きながら島の病院に向かう船に乗りました。
デジタルカメラ?フィルムカメラ?(後編)
昨日は『組み込まれた哲学』を考えるなんて大胆なことを言ってみましたが、自分で自分を期待できないなと思ってますので、やはりいつも通り気楽に読んでください。
とある商人の言葉
『デジタルカメラはセレクト、フィルムカメラはショット』
オーディオレコード専門店の方とお話している中で考えさせられたワンフレーズです。どうでしょうか。ここではデジタルに対しての皮肉を感じる方もいるかもしれませんが、その店員さんはレコード(アナログ)はもちろん、等しくデジタル機器も愛しているように見えましたのでそこに皮肉はないのではと思います。
僕はどうだろう
では僕に限っていうと、この言葉は当てはまるのか。
もっぱら仕事の撮影となるとデジタルカメラを重宝します。それはフィルムカメラにはない特徴が複数あるからです。その中にセレクトの要素も含まれます。同じシーンで複数の写真を撮ることで謂わば〈ハズレのない写真〉を選ぶことができるわけで、同じシーンの1番良い写真を選んでお届けできるわけです。後述する時間軸での失敗はほとんどないのです。
それに対して仕事ではない撮影となるとフィルムカメラが先行します。それはデジタルカメラにない特徴が複数あるからです。その中にショットの要素も含まれます。時間や場所、その全てがよどみなく流れていく中で、このシーンが1番だと選んだ瞬間にシャッターを切ります。そして、往々にしてピントが外れていたり、半目だったり、さらに良いシーンが次の瞬間やってきたのに間に合わなかった、なんていう時間軸における失敗が付きものです。ただ、どの失敗においても捨てるという選択肢はないのが不思議なところであり、惹かれている理由のひとつです。
行き着く先は
こんな風に『どちらもいいところがある。』という記事を読むのはもう飽きてました。正直デジタルカメラをフィルムカメラのように、フィルムカメラをデジタルカメラのように扱うのは可能なのだと思います。だから、僕に当てはめて書いたそれぞれの違いも、使い分けが必要だと思っている、あるいは必要な技術しかない〈今の僕だから〉だ、とも思えます。
少し話は逸れますが、広くカメラ業界全般においては、デジタルとアナログのそれぞれに優位にあると思われている要素があって、それぞれの勢力がそれらに対して言葉と姿勢を割くことで生き残りをかけているように見える今日この頃です。
カメラ機材や写真を撮ることの行き着く先はどこにあるのでしょう。そこに形容できる言葉は見つかるのでしょうか。
今はまだ分かりませんが、僕は『どちらでもいい。』と言えるところまで、それぞれと向き合って写真を撮り続けてみようと思います。
では、また。