見出し画像

#224初めて聞いた「金座」を調べたら徳川家康が凄かった

#224では静岡市を訪れたタモリさん一行。駿府城を見たり、駿府城が築城された場所の理由を学んだりしていましたが、私が1番印象に受けたのは「金座」が駿府に設置されていた事でした。
って言うか金座って何?銀座と関係ある?って感じだったので調べてみました。

まずは最古の貨幣に関して、私が学生の頃は和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほうと読むかはそれぞれの説があるようですが、今回はカイチン説を踏襲)と習いましたが、今は富本銭と習うのでしょうか。教科書で見た記憶があります。ただし当時(奈良時代)は人や物の行き来もなかったことから普及はしませんでした。

その後室町時代には、今の中国の明からの輸入となる明銭が流通しました。また、戦国時代には全国各地の大名たちがそれぞれ独自の通貨を使っていました。特に甲斐の国では金山があったことからも甲州金が盛んに作られました。

有名所をまとめてみましたが、佐渡の金山、石見銀山、足尾銅山があります。佐渡島で採掘された金は海を渡り、北国街道と中山道を通って江戸まで運ばれていました。佐渡金山は1603年に開山したとの事で室町時代や戦国時代にはまだ金が取れていなかったんですね。もしもっと早く取れていたら、上杉謙信がもっともっと力を持っていたのでしょうか!?そうやって妄想すると面白いです。

金座とは?


金座とはまさに金貨を鋳造していた所です。京都、佐渡、甲府、江戸と駿河にあったという事実があります。やっぱり駿河にあったということが徳川家康が駿河にまだまだ拠点を置いていたということが理解できます。

通貨の統一

そのため、江戸幕府を開き全国を統一していくためには共通の通貨が必要だったと言うわけです。
そこで、大判、小判といった通貨を証明書のような検印の仕組みを用いて慶長(けいちょう)小判として製造流通させます。こうして通貨を統一していったわけです。

まとめ

歴史的に見ても京都、奈良や鎌倉ではなく江戸という土地に幕府を開いたという徳川家康の偉大な功績がありますが、通貨も統一させて全国支配を進めて行きました。

ちなみに今日はスマホやスイッチでいろいろなゲームがありますが、それぞれのゲームで課金が出来、また通貨が違います。現代の家康公が現れて、ゲームの世界の通貨も統一して欲しいところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?