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僕の麻雀には翼がある

【梅田ダンジョン】多くの駅やビルが無計画に接続された梅田地下街はしばしばそう揶揄されている。
その迷宮の南の果て、泉の広場のM-14番南側出口を出た先にある大手雀荘チェーン。
当時、そこでアルバイトをしていた僕はまだ麻雀を始めて1年も経っていなかったと思う。
だが、すでに誰よりも強かった。

始まりは大学一回生の春に遡る。
すでに麻雀や大富豪等の対人ギャンブルが得意だった僕は地元で負け知らず。
あまりにも勝ちすぎたため、相手が居なくなり退屈していた。

そんなある日。
いつものように大学の喫煙所で煙草を吸っていたらとある男の子T君に声を掛けられた。
T君(自分麻雀強いんやろ?俺雀荘で働いてるんやけど雀荘行った事ある??)
y(あるよー高校の友達のお兄ちゃんが雀荘で働いててそこで良く麻雀してた。)
T(それ貸卓やんな?フリーには行った事ある??)
y(ないなー)
T(俺の働いてる雀荘の店長がめちゃくちゃ強いから遊びにおいでや。)
自分(とりあえず店長どうこうおいといて一回やってみよーや。)
どうせ口だけだろうとは思いつつ、麻雀ができるということに僕はわくわくしていた。

そういう流れでT君が働いている雀荘でT君とその雀荘のスタッフの女性Tちゃんと麻雀をする事になった。
ルールは関西三麻のナシナシ。
レートは0.2チップ1枚100円という凄くマイルドなレートで行われた。
結果は大敗。
スコア−250とかだったと思う。
それでもその時、全く知らない人とした(さらに言うと負けた)にも関わらず、麻雀は凄く楽しく、気付いたらこのゲームに魅了されていた。
大敗した僕はT君に
(麻雀おもろすぎるわ、俺もここで働けるんかな??)
T君(今日ちょうど店長くるから聞いてみる)
数時間後には採用されていて、いわゆるメンバーとしてバイト(週2.3ぐらい?)する事になった。

帰宅後、それまで天性の勘だけでも友人からは頭1つ抜けていた僕は、セットで大敗したことが悔しすぎて麻雀の迷宮に迷い込んだ。
何か勝つコツとかあるんじゃないかと考え始めた。
当時の僕は牌効率という言葉も知らないし麻雀の勉強方法なんて思いつきもしなかった。
そんな18才の青年が思いついた勉強方法は1人で3役して何局も何百局も何千局もひたすら並べては切る並べては切るということだった。
どこから何が出てきてどこに入ったかも全て目で確認しながらやっていたその研究は実践で役に立つのかもわからないけど一人でできる研究ってこれぐらいしかなくねぐらいの感じでやっていた。
今思うとこの独自の練習方法が自分の感性とマッチしていたのだろう。
この迷宮の攻略法が見えてきた。

あのセットでの始めての大敗は僕の麻雀に翼を与えた。

週2回のメンバ−業務での成績は初月から毎月純黒(負けると赤)でT君からはなんでこんな下手なやつが勝ってんねん、ずっと上振れてる、リャンメンかんちゃんも知らんのになんで、、、、、
そんな風に言われた当時の僕は、ほんまになんで俺ってこんなについてるんやろやばいよな!!
こんな返答しかしていなかった。
でも当時の自分には見えていた!!
相手から得る情報量が他の人より圧倒的に多い事、どこから何を切ってどこに入ったそんな簡単なことから得れる情報。
牌効率を追い求め自分の手牌しかみていない人達に負けるわけがなかった。

自分がやっていた研究が麻雀(三麻)というゲームにおいて牌効率がなくても毎月純黒トップ率39%という実績を残していた。

親番 7巡目
2357888s23456p南南 ドラ8s

こんな手7s or5s切る手牌こんな手牌でもとある情報を頼りに自分は2sを切ったそれを後ろで見ていたT君は働いてるフリをしながら自分以外の手牌を覗きに行っていた今でもその時の顔は覚えている😧😧😧
次順7pを引いて間6s立直2巡後に6sツモ
T君は本走終わりの僕に
T君(あれ2s切った時1.4s残り2枚で6s4枚おってんけどなんか見えてた??)
y(なんも見えてないよただ5切りたくなかっただけ!!)
自分は自分が得ていた情報を同級生の友達にすら言うのは損だと思っていつも何か聞かれてもこんな感じではぐらかしていた。
それもあってT君は僕の圧倒的な成績をみても1年間ただ運がいい上振れ君だと思っていたそうな。

あれから10年以上の月日がたった。
三人打ちの日本一を決めるリーグ戦で僕は初代王者の称号を得た。

これを機に誰にも教えてこなかった僕なりの麻雀迷宮の攻略法を始めて書き起こしてみようと思う。

迷宮の最奥にて待つ。y



戦術の公開方法悩んでます。
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