京平のこと
1 出会いはよくおぼえてないの
山沢京平選手。
彼はどんな人物なのか、と身近な人に聞かれたとき、思い出す姿があります。
2017年の春、熊谷ラグビー場Bグラウンド。埼玉県ベスト15の表彰が終わった後でした。
最後となる深谷の15番ジャージをまとって表彰を受け、着替えて出てきた京平。
スマホを顔に近づけ、バッグを後ろ頭に担いで顔を隠すようにして、全身で”話しかけるな”オーラを発していました。
周囲にいるおとなたち、見守ってきた地元の人たちは遠巻きに彼のまわりにいましたが、空気を読んでか彼に話しかける人は見えませんでした。
私は、2~3m先にいる彼に話しかけるつもりはなかったけど、3年間身近に見てきた選手が大学でここまで名を馳せるようになるとは思わずに、京平らしいな~とぼんやりその姿を見ていたのです。
これ、ね。
チャライんでしょ?って聞かれることもありますが、私が知っている京平は
人見知りだけどともだちとはベタベタしがち
ラグビーには相当ストイック
です。自分の大切なものがちゃんとわかってるとこエライぞ、と思うよ。
長く高校ラグビーを見ていると、プレーが忘れられなくなる選手というのがいるものですが、京平もそうでした。しかし、彼を初めて見たときの私はまるっきりたくやの弟だということに気づいていませんでした。顔もそんなに似てないし。
あ、直接会っても呼び捨てにできないくせに、京平京平言っているのは、私が深谷高校ラグビー部を応援してきた歴が長く、まわりの方々は呼び捨てが多いことと、元々のマネージャー気質から抜け出す前に彼らに出会ってしまったからと思われます。
そうなると扱いとして「とても優秀で心から応援している後輩くん」になるのです。親戚とかじゃありません。ごめんなさい。
京平本人もなんでオレだけ呼び捨て?って思ってるかもだけど💦
彼が深谷高校1年生の時から、熊谷ラグビー場に巣喰っているラグビー好きのおじさまたち(おじいさまたち、かな笑)の解説を聞きながら見てました。同じ接骨院に行ってるんだ!と張り切って教えてくれる方や、お母さんを知ってるんだけどな、と裏話を教えてくれる人。熊谷のおじさまたちはお節介で話好き。みんな京平が大好きです。
彼のプレーをはっきり意識したのは2年になる年の新人戦かな。当時まだカメラをやっていなかったので、Aグラウンドでやっている入れ替え戦を土手の上から(今のメインスタンドのところは土手席で、Bが丸見えだったのです)深谷の試合を見てたのを覚えてます。
たぶんこれが京平を撮ったいちばん古い写真。細いね!
高校引退試合となった仰星戦では、解説の藤島さんが何か言ったらしく、私Twitterで噛みついてますね…↓
この試合、京平の活躍はもちろんですが、体格で劣る深谷の選手たちが優勝常連校である東海大仰星に真っ向勝負を挑んでいて、深谷ファンである私は胸がぎゅうぎゅう締め付けられるものでした。そのせいか、試合終了後のtweetで、唐突に箸本くんへの愛から深谷のみなさん、横田先生にまで愛の告白を始めるオレだったよ…
2 輝かしい戦績~明治の主力へ
2015年 U17日本代表、韓国遠征。
2016年 高校日本代表。アイルランド遠征。
花園での活躍も話題になりましたが、高校生の京平は、すでに世代代表のFBとして世界を相手に闘っていました。
そして大学1年生のデビュー戦、春季大会前の成田ラグビーフェスでは、初めての紫紺の姿を撮りました。
この後、春季大会、菅平合宿を経て対抗戦では3戦、大学選手権では全試合出場を果たし、初年度からレギュラーとして定着します。
この年、菅平ではなぜか箸本くん以外全員ボーズでした…そのせいで京平を森くんと見間違えるというイタい間違いをするのです。↓これw
3 大学選手権優勝とU20日本代表
2年生の京平は春季大会、対抗戦とも順調に活躍し、この年の大学選手権、明治大学は天理に勝利し、優勝を飾ります。
この頃、試合が終わるたびに京平は「やらかした」「今日も失敗した」とぼやいていました。試合中は夢中で見ているし、どれも素晴らしいプレーに見えて「そんなことないよ!」って言ったりしてたんですが、結局あとで試合を見直すと、京平が反省してた部分って的を射ていて、正しく反省してたんだなって思います。余計なこと言ってごめん。
そして前後しますが、この年は6月に行われたワールドラグビーのU20チャンピオンシップでの活躍も忘れられません。
ジョージア代表戦での京平のキックプレー。
≪日本のスピードスター、ヤマサワはチップキックとチェイスでその足技の見本を見せた≫くらいの感じでいいでしょうか。すごいよね、すごいよね!
4 やり残したこと
京平が3年の大学選手権決勝はそりゃあドラマティックで、あの試合での彼と箸本くんのがんばりは…。
あの試合を機に、京平を好きになった人も多いんじゃないかな…
岸岡くんが荒ぶるを歌いに行く前、京平に何か言ってました。岸岡くんは優勝当日の11日は相当忙しかったはずなのに、「優勝おめでとう」ってメッセージへの返信で、あの時何を言ったか教えてくれたんだけど、京平はおぼえてるかな。
5 最終学年
武井日向キャプテンの代が引退し、京平たちの代が4年生になる前の一時期、京平は頻繁にインスタライブをしていました。かなりぶっちゃけた質問にも応えてたけど、本人はあまり前に出ず、深谷の後輩が司会をするような形でした。
泊まりに来ていた早稲田の古賀くんも参加したり、楽しいインスタライブでした。京平、あれ、またやって。
肩の手術は、夏くらいに復帰できるから、って話してたのに。
春季大会がコロナで中止になり、八幡山に練習を見に行くことも、菅平の合宿を応援に行くこともできません。
ときどき差し入れをするくらい。それも業者直入で。
ラグマガの記事になったり(あまり知らないことは載ってなかったけど笑)。
でも、今年は京平の試合を全部見ようと思ってたのに。
これまでのラグビー人生の集大成となるはずだった4年生の秋。
怪我で対抗戦も選手権も絶望、と私が聞いたのは、電車の中でした。休日のそれほど混んでいない車内で、泣きそうになるのを堪えながら何度もメールに目を通しました。
京平がどんな思いで大学最後の対抗戦、そして大学選手権を望んでいたかを考えるとつらくて。怪我をした自分を責めているんじゃないか、無気力になってるんじゃないかって心配でした。
本人に伝わればいいや、って思いで、京平の写真をインスタストーリーにUPし続けてました。
11月18日、京平のけがのことが記事として発表されたのを受けてのtweet。私はこのライターさんが好きではないので、こんな文になってしまってますが…
そして2020年11月22日、対抗戦v帝京戦。
1月11日から実に10か月ぶりに京平の姿を目にしました。
心配していた脚も、ひきずるわけでもなくちゃんと歩けてる。まずそのことにほっとしました。
6 ごほうび
12月18日。明治大学ラグビー部公式さんが「紫紺の覚悟」という記事を各SNSでUPしています。
大学選手権に出場する各選手の意気込みを掲載するものですが、この日、試合に出場しないはずの京平の記事がUPされました。
京平がTwitterのアイコンにも使ってくれていたこの写真は、私が撮ったものです。2019年11月24日、対帝京戦の試合終了後のスタンドへのあいさつの表情。
↓6枚目がそうです
アイコンに使ってくれる選手は時々いるけど、こんな大切な、公式のごあいさつに使ってくれるなんて、選手の写真撮ってる身として、これ以上のごほうびはありません。
撮った写真にサインをして返してもらった感じかな♡
7 サインTシャツその2
以前書いた「帝京さんのこと」で、いぶきくんがサインTシャツを送ってくれた話を書いたんですが、実は明治さんにももらっていまして。
京平と仲良しの山本龍亮くん(FL/桐蔭キャプテン)が送ってくれたものです。
私は学生選手にサインを求めたことがありません(深谷の子たちが送ってくれたのがあるからゼロではないか笑)。これだけ入れ込んでいる京平のサインも、考えてみればもらったことがなかった。だから、どれが京平のなのかわかりませんでした。
(箸本くんにも「どれ?」って聞いて「本当にわからない?」って呆れられてます)
今回、サイン入りの写真が公式さんにUpされたことで、どれが京平のなのかやっとわかりました。#10って書いてあるうっすいのがそうですね笑
8 パナへ、そしてJAPANへ
これまで、なんだかんだで京平とは長いことメッセージのやりとりをしてきました。ありがたいことです。
大学選手権が終わり、地元に帰ったのが1月3日。
「おかえりおかえり~」ってメッセージを入れたら返信は「ただいま😁」
でした。
そして10日後、京平がパナに加入するというニュースが発表されました。
競争が熾烈なプロの世界でますます成長してくれることと思います。実兄であるたくやだけでなく、代表で一緒で仲良くしてた福井翔大くんもいるし、高いレベルで切磋琢磨して日本代表をめざしてほしいです。
そこへ向けてどんなプレーヤーになるだろう。本当にたのしみすぎます。
これからも、京平の写真をたくさん撮ることができる幸せに感謝します。
一番、身近に応援できるところにきてくれてありがとう。