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なんで書けなかったか分かった

ライターの仕事を始めて1ヶ月ちょっと経った頃、ベテランライターさんとお話しする機会があった。

仕事の獲得方法をものすごく丁寧に教えてくれた上、「書きたいことがあるなら、自分のブログとかサイトに文章を書いて、SNSで発信し続けるといいよ」という大変ありがたいアドバイスまでくださった。

なんとなくだけど、「しんどい思いをしている人に元気をあげられる文章を書きたい」という思いはあったから、そういう文章を書いてみようと思った。

でも、いざパソコンに向かってみたら、何も書けなかった。

一文字も出てこない。題名とか内容とか、一切思い浮かばない。何を書いたらいいか、全然わからなかった。

ネットで「文章 書けない どうする」みたいなことを検索してみたら、「自分の経験を棚卸ししてみよう」とか、「今考えることをそのまま書けばいい」というアドバイスが出てきた。

それを見てからまた考えてみた。

書けそうなネタはいくつか思いついたけど、今度はどう書いたらいいかわからない。

そんなこんなを繰り返していたら、結局書けないまま1ヶ月以上の時間が経っていた。


そんなわたしが、先日の記事を書けたのは、一緒に講座を受けているメンバーのSNS投稿を見たことがきっかけだった。

そこに書かれていたのは、その人の現状。不安や迷いも含めて、感じていることをそのまま書いていた。

このスタイルなら書けそう…!と思い、先日のnoteを投稿し、自分のFacebookで近況報告をした。

書いてみたら、なぜそれまで書けなかったのか、いくつか理由が見えてきた。


【書けなかった理由その1】

「ちゃんとしたことを書かなきゃ」と思っていたから

普段生活していて目に入る文章は、そのほとんどが「ちゃんとした文章」だと思う。

正しい言葉遣いでわかりやすく理路整然と組み立てられており、独自の分析やノウハウなど、有益な情報が盛り込まれている。

そういう文章ばかり読んでいたこともあって、「わたしも書くからにはこういう文章を書かねばならない!」と、無意識に自分に強いていた。

つまり、いきなり高すぎるハードルを自分に課してしまっていた。

そりゃあ書けるわけない。

大体、書くこと自体に慣れてない。文章を書いたこと自体、そんなに多いわけじゃないんだし。

どんなに背伸びしたとしても、自分の実力を大幅に超えたレベルの文章を書くことは難しい。いきなりかっこいい文章を書くなんて、今のわたしには無理なのだ。

そのことを、受け止められていなかった。


【書けなかった理由その2】

ありのままの自分を認められてなかった

上に書いた理由とも通じる話だが、わたしはずっとありのままのわたしを否定しながら生きていた。

「わたしは今よりもっと優れなければならない。世間から立派だと思われなければ、存在する意味がない。」

と、本気で思っていた。

だから、「優れていない、立派でない、かっこ悪い」文章を書くことは、「優れていない、立派でない、かっこ悪い」自分を晒してしまう気がして、怖くて書けなかった。

同様の理由で、「優れていない、立派でない、かっこ悪い」ありのままの現状を報告することも、ものすごく勇気が必要だった。Facebookの投稿を書いている間、ものすごくドキドキしていた。


講座で自分を見つめる中でありのままの自分と向き合えるようになってきたと思っていたものの、こんなところにも「このままの自分ではいけない」フィルターは残っていた。

多分、ほかにもこのフィルターが発動しているところはあるんだろうな。


他にも書けなかった理由はいろいろあるんだろうけど、大きく影響していたのはこの2つだと思う。

怖かったけど、現状をありのまま書く文章を投稿してみたら、書くことへの抵抗がほとんどなくなったから。


実際に書いて投稿した後は、なんというか、拍子抜けするくらいの感じだった。

書く前は、人からどう反応されるかがすごく怖かった。馬鹿にされそうとか、やばいと思われるんじゃないかとからめちゃめちゃ心配だった。

でも、現実には、反応自体がそこまで返ってこなかった。

勝手に自分でハードルを作って怖がってたけど、そのハードルをとべるかどうか気にしてたのは自分だけで、周りの人はそんなハードルがあるとも思ってなかった。

冷静に考えたら、他人の人生にそこまで関心持ってるわけでもないし、そんなに悩む必要なかったんだな、って思う。


いただいたお仕事では、もちろん「ちゃんとした文章」にする努力が必要だけど、ここみたいに個人的な、自由に書いていい場では、意図的にハードルを無視した方がいいのかも、と感じた出来事だった。




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