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愛されていないと感じるとき
愛されてないと感じる瞬間って、いろいろあると思う。
その中でも一番傷つくのって、「自分が示した愛情を受け取ってもらえなかったと感じるとき」なんじゃないかな、と考えている。
loveにしろ、likeにしろ、好きな人から愛情を示してもらえるのはうれしい。幸せな気持ちになる。
自分が好きだと思う人にも幸せになってほしいから、こちらから愛情表現をする。直接的に好きだと言うこともそうだし、甘えることもそれにあたると思う。
同じくらいの熱量で、同じくらいの大きさの愛情がすぐに返ってきたと認識できると、「受け止めてもらえた」と実感できる。安心するし、すごくうれしい気持ちになる。
逆にそれが小さかったり、全くなかったり、返ってくるまでに時間がかかっていると感じるとき、「拒絶された」と感じる。
この、「拒絶された」と感じた時に、ものすごく傷つく。
愛情を示されることはうれしいはずなのに、自分が示した愛情は受け取ってもらえなかった。
本来うれしいはずのものを拒絶するということは、自分は相手にとっていらない人間だということなんだろうか?それほど嫌な存在なのだろうか?
自分が価値のない人間のように思えてきて、惨めで、心がヒリヒリする。自分が存在していることが、怖くなったりすることもある。
この現象は、実は日常的に起きていたりする。
夫に甘えてみたら、そっけない反応が返ってきた。
付き合っている彼にLINEを送ったけど、なかなか返信がない。
友達にプレゼントを渡したけど、反応がイマイチ。
そんな時に悲しい気持ちになるのは、「自分にとってはうれしいものを渡したのに、相手が喜んでくれていない」という感覚が根っこにあるからなんじゃないだろうか。
こういう状況になったとき、ぜひ立ち止まって考えてほしいことが2つある。
ひとつは、「自分が渡したものは、相手にとって欲しいものなのか?」ということ。
例えば、「甘える」という行動の意味づけが、自分と相手では異なるのではないか?と疑ってみる。
そもそも渡したプレゼントは、相手の好みの範疇に入っていたのかを考えてみる。
よくよく考えると、自分の愛情が拒絶されているのではなくて、渡したものがそもそも相手にとっては「愛情を感じられるもの」ではない、ということがよくある。
もうひとつは、「『拒絶された』のは事実なのか?」ということ。
実は、自分で勝手にそう解釈しただけで、相手は相手なりの受け取り方をしている可能性もある。
そっけない反応をしたと思われている夫は、実は他に考えたいことがあって、気を取られているのかもしれない。
内心とても嬉しくて、照れているのかもしれない。
なかなかLINEを返してくれない彼は、実は仕事のトラブルに巻き込まれているのかもしれない。
彼女に喜んでもらえる返信を一生懸命考えているのかもしれない。
いろんな可能性が考えられるのに、そこから「拒絶された」という解釈を選びとっているのは自分なのだ。
もし自分の解釈と違う事実があるのなら、傷つくのは実は無駄だったということになる。
また、自分の解釈が原因で関係が破綻してしまうこともある。これはすごくもったいないことじゃないだろうか。
「自分は愛されていない」と感じること自体を変えるのはなかなか難しい。
だから、「こういう現実がここにあるのは、本当に自分に価値がないことが原因なのか?」「自分が見ている世界は事実なのか?違う可能性はないか?」を立ち止まって考えることが、すごく大事なのだと思う。