わたしにとっての幸せ
「日常生活の中にある小さな幸せに気づけると、幸せでいられる」みたいな言葉を、昔から何度も耳にしてきた。
何度聞いても、正直ピンときたことがなかった。
「お金がある」「人に誇れる仕事がある」「贅沢な暮らしができる」
状態になることがわたしにとっての幸せで、今はまだその状態に達していないから、幸せじゃないのはしょうがないんだ、と思っていた。
だから、幸せになるために頑張った。
どんなにしんどくても、疲れ切っても、その先に幸せがあると信じていたから、頑張り続けた。
でも、幸せを感じる前に、身体も心もしんどくなって、頑張ることができなくなってしまった。
頑張るのを辞めた時は、もう自分が人間失格なんじゃないかと思って、生きていることが申し訳ないと思ったりもした。
わたしが死んだら悲しむ夫や家族がいることがわかってたし、死ぬこと自体も怖かったから、生きることを選んだけど、
毎日毎日自分の存在意義を考え続けて、その度に頑張れない自分を否定して…
苦しい日々だった。
今思うと、自分に対してすごくかわいそうなことをし続けていたな、って思う。
だって、わたしの幸せは、「お金がある」ことでも、「人に誇れる仕事がある」ことでも、「贅沢な暮らしができる」ことでもなかったから。
わたしが本当に幸せな気持ちになれるのは、
自分が好きな人と一緒にいて、自分の好きな過ごし方ができて、心から楽しいと思えるとき。
居心地のいい空間にいて、ほっとできるとき。
自分の行動が誰かの役に立てて、そのことで相手が輝いているのを実感できたとき。
涙が出るほど、何かに感動できたとき。
そういう状態でいられるとき、わたしはすごく嬉しくて、心が温かくなって、満たされた気持ちになる。
そういう瞬間のことを、"幸せ"と呼んでいいんだと、最近ようやく腑に落とすことができた。
自分にとっての幸せも、自分で決めてよかったんだ。
自分にとっての幸せを認識できるようになったら、実は大小さまざまな幸せがそこらじゅうにあることがわかったし、自分で幸せをつくることもできるようになった。
今思うと、過去のわたしもちゃんと幸せだった。
それに気づけなかっただけ。
幸せがわかるようになったこれからのわたしは、
きっともっと幸せになれる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?