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【今日コレ受けvol.078】小さな火を絶やさない

朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。


事務局スタッフとしてはじめてお手伝いした講座で、運営側の難しさを痛感している。受講生の方の声を元に、「もっとこうしたほうがいいのではないか」「ああしたほうがいいのではないか」と意見を出し合い、「やれることは全部やろう」とみんなで奮闘中だ。

一介のライターの自分にできることは少ないけれど、関わったからには少しでも受講されたことが、学びや気づき、結果につながって欲しい。
心からそう思う。

そして、これまで受けたさまざまな講座も、講師の先生、それを支える事務局の方々が奮闘してくださっていたんだな…とありがたさを実感している。


改めて、「人が人に教える」とは、なんだろうか。このnoteにも以前書いたことがあるけれど、私が師匠だと思う方々には、熱を感じる。知識やスキルだけではない、圧倒的な熱量。グルーヴ。

その根底にはやっぱり、「少しでも受講されたことが、学びや気づき、結果につながって欲しい」という思いがあるのだと思う。
今の私達と同じように。

熱量が、思いが人の心を動かす。
きっとその根本は、文章と同じだ。


「教える」ということを考えるとき、いつも父を思い出す。
父は小学校、中学校の教師で、「落ちこぼれ」と言われていた生徒さんのために、毎日奔走していた。家にも生徒さんが集まっていて、常に寺子屋状態。お父さんらしいことをしてもらった記憶はほとんどない。

でも生徒さんのために必死で走り回っていた背中には、やっぱり熱を感じた。熱なんていうもんじゃなく、火山のマグマくらいに燃えたぎっていた。

父は3年前、新型コロナに羅漢してあっという間に亡くなってしまったけれど。それ以前も、退職直後に認知症を発症して、最後は私のこともあまり解っていなかったけれど。

今こそ、聞いてみたいことがあるのになあ。

今年、父の命日のある5月に、生徒さん達が集まってくださるそうだ。そのとき改めて、父がどんな教師で、何を伝えていたのかを聞いてみたい。

背中ではなく、真正面から父と向かい合っていた方々に。

それまでは、自分にできることをコツコツと。
小さな火かもしれないが、絶やさず寄り添っていきたい。

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