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【今日コレ受けvol.009】自転車で15分の別世界
毎朝7時に更新、24時間限定のショートエッセイCORECOLOR編集長「さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書く「遊び」を集めたマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
友人と久しぶりにランチに行ってきた。
同じ市内に住んでいるのだが、彼女とはびっくりするようなシチュエーションで偶然出会うことがたびたびあり、少なからず御縁を感じる。年齢も職業も違うけれど、不思議とウマがあう大事な友達だ。
けれど先日、おそらく1年ぶりにゆっくりと話しをしてみると、お互いに思った以上に違う世界に住んでいた。子供の学校、習い事、塾、仕事。家は自転車で行き来できる距離で、話題も似ているのに、世界観も悩みもまるで違っていた。
それでも、よくよく悩みを聞いて因数分解していくと、いずれも人間関係の悩みに行き着く。心理学者のアドラーは、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と言ったそうだが、まさにそれだった。
だから、彼女の悩みを聞いて自分が思い出した過去の悩みや、それが解決したエピソードについて話してみると、やっぱり、どこかでつながっていた。
特に印象的だったのは、「信じていた人に裏切られたと感じたときにどうしたか?」という話。そのときに自分の中から、「ただ、相手も人間なんだなと思った」という答えが出てきたことだ。
そう、本当に。
一瞬腹がたったとしても、「なるほど。完璧だと思っていたこの人もやっぱり人間なんだなあ」と思うと、あまり気にならなくなって、悩みを引きずらない性質のようだ。鈍感だが、質問されてはじめて自分のそんなところに気がついた。
ちなみに、その最たる例として、「教師だった父の30年来の浮気が発覚した、我が家の明るいエピソード」をお伝えしたところ、かなりホッとしてもらえたようだ。(天国の父さん、いい仕事したで!)
別れ際、待ち合わせの時よりやわらかくなった笑顔で、「話してラクになったよ」と言ってくれたのは、形式的な言葉ではなかったと思う。
少しでも力になれたなら、良かった。
と、ここまで書いて、今やっている「今日コレ受け」も、同じかもしれない…と、感じた。さとゆみさんのショートエッセイを毎朝読んで、そこから連想した気づきを(ほぼ)毎日投稿しているが、それはあくまでも私の気づき。加えて、超個人的なエピソードだ。
毎日続ける主たる目的は、「書く技術向上のための筋トレ」だが、それでも、「ひょっとして、誰にも役に立たない文章を書いているのではないか」と危惧する自分がいた。仕事ではずっと、「誰に、何を届けるか」を強く意識し、商品とするべく原稿を書いている。だからこそ、気になった。
でも、帰り際に笑顔を見せた友人のように、わずかでも読んだ人に共感してもらえたり、意外なところで力になれている部分があるのかも…。
そして、そう思えたということは、私自身も彼女に救われていたのだ。
今度は、子供が寝た後に「ファミレス飲み」しようねと約束した。
そのときは真っ先に、「ありがとう。私もあのとき話してラクになったよ」と伝えなければ。