【今日コレ受けvol.057】自分の視座から書けることを
朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
災害があったときに何を書くのか、書かないのか。読んでいる人がごくわずかであろうnoteながら、迷った。
考えた末に、昨日は「かつて大震災を経験した自分」という視座から、「普通の尊さ」を感じたことを書いた。阪神・淡路大震災の被災者だったとき、被災地以外の世界が普通であることに安堵した話を。
だから自分も支援は続けながら、努めて普通でありたいと思っていると。
そう感じる元被災者もいるのだということを伝えたかった。「自分はなにもできない」「自分だけ楽しく暮らしていていいのか」と苦しむ人に向けて。
これからも、元被災者という視座から何か発信できることがあれば、書きたいと思う。
今想像できるのは、長く続くであろう避難生活のなかで、物資への支援が呼びかけられることだ。医療品、食料、オムツ、生理用品、トイレットペーパーなども不足するのではないか。使い捨てマスクも。
注目して、適宜支援していきたい。金額は少なくとも。
そう書くのは、共感して同じように注目してくれる人がいるかも、という期待からだ。
でもきっと、まったく違う話も書く。
それは、ここが自分の「書く」鍛錬の場だからだ。
ただ、書いた後にXで発信するかはまた別の話。
まだ緊急の情報が走っているタイミングでは、避けると思う。「優先度が低い」発信だと感じるからだ。緊急の情報を邪魔したくない。
その判断は人それぞれに違うし、違っていいと思っている。
昨日は仕事で10,000字原稿を書いた。
その合間合間にXを見ると、瓦礫の下から悲鳴のような書き込みが複数上がっていた。
ひとつひとつ、自分が通報するべきか、誰かがすでに通報していて過剰にならないか、確認した。
目の前のやるべきことはおろそかにしない。
でも被災地に関心を寄せ続ける。目をそむけたり、見なかったふりはしない。
誰かの役にたつと感じたら書く。発信する。
それが自分のスタンスで、現時点での精一杯だ。
できることは、当たり前だが人によって違う。
今できることを、後悔のないように。
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