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【今日コレ受けvol.057】自分の視座から書けることを

朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。


災害があった日に何かを書くことは怖い。誰かを傷つけたり不快にする表現はないだろうかと何度も読み返しながら書いた。なので、ここにあげた文章は全部、自分で考え納得した言葉だけをあげた。その文章に修正したい箇所はない。

だけど、その文章をSNSに投稿する時に、私は迷いつつも被災地へのお見舞いの言葉を添えた。もちろん心からお見舞いの気持ちを持っている。ねえでも私のそれ、誰に向けて書いたお見舞いの言葉だった? 
「いま、文章を書いてアップするのは不謹慎じゃないですか?」と言われるのを避けたかったからではないか。だとしたら私のお見舞いの言葉は、自分を守るための言葉になっていなかったか。

自分にがっかりした話【さとゆみの今日もコレカラ/第64回】|CORECOLOR


災害があったときに何を書くのか、書かないのか。読んでいる人がごくわずかであろうnoteながら、迷った。

考えた末に、昨日は「かつて大震災を経験した自分」という視座から、「普通の尊さ」を感じたことを書いた。阪神・淡路大震災の被災者だったとき、被災地以外の世界が普通であることに安堵した話を。
だから自分も支援は続けながら、努めて普通でありたいと思っていると。

そう感じる元被災者もいるのだということを伝えたかった。「自分はなにもできない」「自分だけ楽しく暮らしていていいのか」と苦しむ人に向けて。

これからも、元被災者という視座から何か発信できることがあれば、書きたいと思う。

今想像できるのは、長く続くであろう避難生活のなかで、物資への支援が呼びかけられることだ。医療品、食料、オムツ、生理用品、トイレットペーパーなども不足するのではないか。使い捨てマスクも。

注目して、適宜支援していきたい。金額は少なくとも。
そう書くのは、共感して同じように注目してくれる人がいるかも、という期待からだ。


でもきっと、まったく違う話も書く。
それは、ここが自分の「書く」鍛錬の場だからだ。

ただ、書いた後にXで発信するかはまた別の話。
まだ緊急の情報が走っているタイミングでは、避けると思う。「優先度が低い」発信だと感じるからだ。緊急の情報を邪魔したくない。
その判断は人それぞれに違うし、違っていいと思っている。


昨日は仕事で10,000字原稿を書いた。
その合間合間にXを見ると、瓦礫の下から悲鳴のような書き込みが複数上がっていた。
ひとつひとつ、自分が通報するべきか、誰かがすでに通報していて過剰にならないか、確認した。


目の前のやるべきことはおろそかにしない。
でも被災地に関心を寄せ続ける。目をそむけたり、見なかったふりはしない。
誰かの役にたつと感じたら書く。発信する。

それが自分のスタンスで、現時点での精一杯だ。
できることは、当たり前だが人によって違う。

今できることを、後悔のないように。

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