【今日コレ受けvol.018】ブラウン管の向こうの校門
毎朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書く「遊び」を集めたマガジン【今日コレ受け】に参加しています。
「事件が起きた中学校の目の前です」とリポーターが言ったとき、「どこか見覚えのある景色だな」と思った。
けれど、最初はまさか、自分が通う学校の校門だとは思わなかった。
その日は身体がだるくて、「なんだか熱っぽい」と母に言って、半分ズルで学校を休んでいた。中学1年生のときだ。
共働き家庭のため、兄と姉が帰ってくる時間までは、のんびり一人。
12時になったので、母が作っておいてくれた出汁を温め、ゆで麺を投入。素うどんをすすりながら、「ワイドショーでも見るか」とテレビをつけると、自分が通う学校が映っていたのだ。
なんで、と息をのんだ。
徒歩20分の場所にある学校が、ものすごく遠く感じた。
リポーターの話によると、中学2年生の男子生徒が登校してすぐ、担任の女性教諭を刺したという。教諭は救急車で運ばれたが命に別状はなく、男子生徒は警察に補導されたということだった。
どのチャンネルも、「おとなしい生徒が豹変した」といった趣旨の報道をしていて、「あまりに突然の出来事に、生徒の間に動揺が広がっている」と説明がなされていた。
「そんな怖い生徒が同じ学校にいたのか」と思うと、ぶるっと震えがきた。
ところが、同じ中学に通っていた姉が帰ってくると、受ける印象は真逆になった。加害者となった生徒は、姉が部長を務めていた部活動の後輩で、ものすごく真面目で優しい子だという。
そして、しばらく前から、その女性教諭にいじめにあっていたそうだ。
授業中、集中的に当てて、彼が答えられないとバカにしたり、厳しい言葉を投げつけたり。日によっては無視したり…。
同級生はみんな、彼に同情的だったという。
「こんなことで鑑別所に行くかもしれないなんて、可哀想すぎる。彼のほうが被害者だ」と、姉はものすごく怒っていた。
ブラウン管の中と現実のギャップを感じた、はじめての経験だったと思う。
もちろん暴力はいけない。しかも刃物を使うなんて、もってのほかだ。
でもそこには深い理由があり、そこに至るまでの経緯がある。そこもなぜテレビで伝えてくれないのか、と、子供ながらにモヤモヤと憤りを感じた。
「おとなしい生徒が豹変した」というストーリーのほうが、分かりやすいからか。「大衆」にウケるからか。視聴率が稼げるからなのか。
そんな記号的な情報を伝えることに、なんの意味があるんだろう、と。
ライターになって、数千字の長い原稿を書くときに、ストーリー性を意識することがある。ストーリー性とはつまり、起伏があり、共感できる「物語」仕立てにするということ。
人は、ただの情報や説明は長く読み続けられなくても、物語であれば、最後まで読めるという特性があるからだ。
でも、そういった原稿を書くときほど、あのときブラウン管の向こうに映った校門が、頭をかすめる。
分かりやすく、伝わりやすくしたい。この記事を、多くの人に読んでもらいたい。
そう思うあまり、「よくある話」に落とし込んでいないか。その結果、「よく似ているけれど違う話」や、「本人が意図しない物語」になっていないか。
書くことは、何かを誰かに伝えることは、間違いや誤読のリスクをはらむ。想像以上に、誰かを傷つける可能性がある。
その怖さを、ずっと、常に、誰よりも、忘れたくないと思っている。