涙ぐましぃ夫婦の愛 ハクチヨウ
新潟県にある「瓢湖」は、ハクチョウの湖として知られています。吉川重三郎さん(1959年没)が餌づけに成功して以来、今でもその子供たちがあとを継ぎ、ハクチョウを世話し、観光名所にもなっているからだ。
昭和26年の春、ここに一羽の傷ついたハクチョウがいました。心ないハンターに射たれたでしょうか。仲間のみんなが北の国へ帰る頃になっても、傷がなおりません。
ついに出発の日が来て、仲間はいっせいに空に舞い上がりましたが、この鳥だけは、どうもがいても、15キロのからだを空に浮かせることが出来ません。仲間は、はじめ、これを元気づけるかのように、何度も上空を旋回していましたが、とうとうあきらめて、北の空へ姿を消しました。残されたハクチョウはただ一羽。遠い雲間に向かって悲しそうに、鳴きつくす声が、ひときわ哀れだったといいます。
ところが、かなり時間がたったころ、一羽のハクチョウがもどってきました。そして、傷ついたハクチョウのかたわらに舞い降りると、これを励ますかのように、何度も、何度も羽ばたいて見せるのでした。これに刺激されて、傷ついたハクチョウも、ふたたび必死になって飛び立とうと努力するが、どうやってもからだが浮きません。その様子を見ていた、もどってきたハクチョウも、「これは見込がない」と思ったのでしょうか、2声、3三声、わかれをつげると、重い羽音を残して北の空へ消えて行きました。
地元の人達は、傷ついたハクチョウに栄養注射したりして、手厚く看病したが、回復することなく力つきて、異国の地で倒れてしまいました。
その後、このハクチョウは剥製にされて、今も地元の人々のあいだで美談として語りつがれることになりました。
そして、地元では、この2羽のハクチョウは親子のハクチョウだった、とされています。
妻をいたわり 異国で越年
こんな事例もある。
昭和34年、青森市のある田んぼに、羽を切られた一羽のハクチョウがいました。このハクチョウは飛ぶことが出来ません。仲間が北の国へ帰ったあとも、一羽だけとり残されてしまいました。
哀れに思った住民が、檻にいれて保護していたところ、翌朝、新たにもう一羽の元気なハクチョウが檻のそばにきて、檻を離れようとしない。不思議に思い、しばらく様子を見ていると、このハクチョウ餌をとってきて、食べさせていることがわかりました。そればかりか、帰る様子がないのです。ますます不思議に思い飼育することにして、羽を切られた一羽を連れてくると、元気なもう一羽もこれについてきて、とうとう一冬を日本で過ごし、次の年、すっかり羽の生えたハクチョウと共に、北の国へ飛んで帰ったとの話です。
地元の人の話だと、この羽を切られたハクチョウは雌で、世話をしたのが雄だったとの話しです。
新潟のハクチョウは親子だった、とされているが、実際は夫婦だったのではないかとの話です。 理由は、鳥の場合、親子の愛情よりも夫婦の愛の方がより強いからだ、とのことからです。
家庭は子供中心に
オオハクチョウ
ところで夫婦愛もさることながら、家庭の結びつきもなかなか強固なところを見せるのが、ハクチョウです。
鳥は普通、ひなが一人前になると親子別れをするが、ハクチョウは次の産卵期までは両親のもとで育てます。
両親はつねに、子を間にはさむようにして行動し、もしも子に危険がおよぶような場合には、夫婦は一致して猛然と相手に立ち向かいます。
また、ツルにも習性があって、夜休む時、子を間にはさんで寝るため「夜のツル」という言葉がある。
日本では上口ばしの根元がこぶ状になっている、コブハクチョウが、皇居のお濠や公園などでよく見られるが、これらのハクチョウ、渡りはしないが、習性、その他はオオハクチョウやコハクチョウと同じです。非常に縄張り意識が強いといわれ、とくに繁殖期にはこれが目立ちます。何組かの夫婦を一緒に飼っているところでは、弱いコンビは、餌にありつけないものもいるので、動物園や公園では一組ずつ、区切っておく必要があるといいます。この時期には子も追われる立場となり、親子別れもこの時期になるのです。これまでの偏愛からして、いささか矛盾する仕打ちのようにも見えるが、家庭とは、「養育しながら社会に順応した生き方を身につけさせ、最終的には社会の荒波を一人で乗り切れるように教育し育てるところである」。
だとすれば、一人前になった子供は、追い出すのが当然かも知れない。
人間界では成人しても働くことをしないで、親のスネをかじっている若者もいるが、ハクチョウに見習い、追い出したらいかがでしょうか。