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「トインビーの文明観」慶応義塾大学法学部2016年

(1)問題


次の文章を読んで、トインビーの文明観とその根拠を400字程度でまとめ、世界文明は「来ようとしている」という指摘について、世界で今起きている具体例に触れつつ自分の意見を述べなさい。

①  トインビーは世界史の未来を、文明という角度からどのように見通しているだろうか。それは、現代までの諸文明の動きのなかで、何をもっとも主導的な傾向とみるかによってきまってくることである。もっとも巨視的にいって、ここ数世紀来の世界史の動きのなかで、トインビーにもっとも主導的とおもわれるものは、西洋文明の圧倒的優位ということである。この事実はだれの目にもあきらかである。西洋文明のこの優位を永続的なものと多くのひとが想定している。

②  だが、トインビーはそうは考えない。西洋文明は、非西洋文明にやがて主導権を奪われ、非西洋の風下にたたされるだろう。今日まで非西洋の諸文明が西洋から学んでいるように、やがて西洋文明が、非西洋の諸文明を学ばされるにいたるだろう。このような相互の学びあいのなかから、その名に値する世界文明が、姿をあらわしてくるだろうというのが、トインビーのもっとも長期的な見通しである。

③  つまり、世界は一つになり、世界文明がくるだろうというのである。世界がなんらかのかたちで一つになるだろうことは、 だれでもうすうす予想している。 だが、それにいたる過程で、非西洋の諸文明のはたすだろう役割が徐々に大きくなり、世界史における比重が、西洋から非西洋の側にかかってくるだろうと、トインビーほど明確に尖鋭に、だれもが意識しているとはかぎらない。多くのひとは、現に西洋文明がそのまま世界文明だと観じ(註1)ている。

④  世界文明は未来の可能性ではなく、すでに西洋文明に体現されてきていることになる。たとえば、世界文学といえば、西洋文学のことときめこんで、そのおかしさをかえりみないのが、その良い証拠である。これは、わがアカデミーの慣習で、東洋史といえば中国史だときめこんでいるのにいくらか似通っている。東洋には、中国以上にながい歴史のあるインドもあれば、西南アジアもある。これらは中国と同様に、いや、それ以上に重要なのに、黙殺され、東洋史から除外されている。中国だけが東洋でないように、西洋は世界ではない。それは数ある文明の一つにすぎない。

⑤  ただ二、三世紀来、西洋文明が圧倒的に優位していたため、非西洋の諸文明が西洋の支配下または影響下にあった。その経験から、西洋が世界のように錯覚されただけである。じつは、西洋文明がそのまま世界文明なのではなく、西洋文明が他の諸文明に圧倒的に優位し、西洋化(西洋の影響)が世界的傾向となっているということにすぎない。

⑥  西洋化、つまり西洋文明の理想や思想、技術や制度をうけいれているのは、非西洋の諸文明であって、主体はこちら側にあり、西洋は客体にすぎない。客体にすぎないという意味は、西洋化というような、外来文明の徹底的な影響を近代の西洋文明はうけえない、そういう仲間には入れない、ということである。西洋化しているのは、人類の圧倒的多数であり、西洋化の深度はますますふかまり、その速度はますますはやまり、思いもそめない事態がおこってくるであろう。というのは、一つの文明の内的発展ではなく、二つの文明の出会いからは、より予測しえないことがおこるからである。

⑦  西洋化というこの出会いに、意味あり価値あることがおこるとすれば、西洋化している非西洋の側に、 世界史の比重がかかってくるであろう。したがって、 西洋化がどう進展し、その結果がどうなるかを十分検討せずに、世界史の未来、いや一歩先さえ卜する(註2)ことはできない。

⑧  なぜ、トインビーは、西洋文明の優位が永続せず、非西洋が優位に立つと予測しているのであろう。西洋が優位していたのは、ナショナリズムと近代テクノロジーとの結合のおかげである。しかし、ナショナリズムが行きづまり、テクノロジーは容易に伝播可能であるとすれば、早晩西洋の優位する時期がさるであろう。

⑨  ナショナリズムの行きづまりとは、二重の意味をふくんでいる。十九世紀の近代西洋の古典的ナショナリズムは、国王の手から人民の手へと国家を奪還することによって、初期はきわめて創造的であり、活動的であったが、産業革命以後、一民族でつくられた一国家の規模では狭小となり、また経済の相互依存性のために、その絶対主権を軍事的にはむろんのこと、経済的にも、ひいては政治的にも維持することが困難となった。

⑩  ナショナリズムの破綻というべき二つの世界大戦の結果、「ヨーロッパの矮小化」とトインビーのいう現象がおこり、周辺的な大国に主導権を奪われたのは、古典的ナショナリズムの行きづまり、いや、その主導性の終焉を告げるものであり、国土のより広い、したがって、資源のより豊かな、人口のより多い広域的な連邦国家でなくては、もう主導的役割を果たしえない時代に移行した兆候である。

⑪  他方、古典的段階を越えて帝国主義的段階に達したナショナリズムは、権威をふるってきたが、非西洋の側での抵抗の、あるいは対抗のナショナリズムを誘発し、文字通りの世界戦国時代を現出しているという意味で、行きづまっている。

( 中略)

⑫  西洋の第二の優越点であるテクノロジーにかんしていえば、これは、すべての文化分野のなかで、もっとも抵抗なく他の文明が受容しうるもの、他の文明で再生産しうるものなのである。テクノロジーは中立的性格をもっているといわれるが、宗教または思想や制度や芸術などのように、特定の文化に固着する上着性に稀薄で、ある文明から他の文明へかなり容易に伝播しうる選越性を備えている。この特異な性格は、技術のもつ抽象的な合理性のゆえであろう。

⑬  とすれば、近代テクノロジーは西洋から非西洋の諸文明に、時のたつにつれて多少の遅速はあれ万遍なく行きわたるであろう。西洋起源の近代テクノロジーを他の諸文明が消化しえないなどと考えることはできない。西洋はこれを永続的には独占しえない。圧倒的多数の非西洋の諸文明がこれを修得し、再生産するにいたれば、世界史の比重が非西洋の側にかかってくるのは、歴史的感覚をもっているものにはあきらかである。歴史的感覚をもつものは、現在を固定して断定的に考えない。現在は移りゆく一つの時点である。歴史的にみれば、主導的な国または地域はつねに移行していることを、歴史的経験に徴し(註3)て知っている。

⑭  近代いらい、ヨーロッパの内部でも、主導的な国が50年おきに変わったといわれるが、今世紀に入って二つの大戦を経過するうちにヨーロッパは非ヨーロッパの米ソに追いぬかれてしまった。この米ソも永続的に主導権を掌握しつづけるかといえば、疑問である。中国はすでに頭角をあらわしている。トインビーは米ソについで、中国の今後はたすであろう役割を重く見積っている。

⑮  非西洋に比重がかかると予想するのは、技術が受容しやすいという理由だけではあるまい。トインビーが「勝利の陶酔」と呼ぶ規則性が、ここでも働くにちがいないとみているであろう。勝利者は、いまの勝利感に酔って、その優位的位置が永続するかのように錯覚し、当初の精神的緊張をうしない、「オール をやすめ」、精神的に弛緩し、やがて瀬廃していく。ところが、いま傷められているものは、屈辱と無念をかみしめ、精神的な緊張をやどしている。やがて、そのあるものに実力がつき、そして拮抗から攻守が逆転していく理由がここに ある。「先なるものが後に」なるのは、多くのばあい、先なるものの「勝利の陶酔」のせいである。それは、歴史の鉄則であり、人間集団の創造の可能性とその持続の限界を如実にしめすものであろう。西洋文明も例外ではありえないだろうというのが、トインビーの歴史的知見である。

⑯  右のことを 『歴史の研究』第12巻『再考察』(原書1961刊、下島連他訳第21〜23巻、「歴史の研究」刊行会、のちに経済往来社、1966〜67)からの引用でたしかめておこう。

(中略)西洋化は、17世紀以後の西洋文明をば、全人類に共通の文明にまで変形する道をひらいた。この来ようとしている世界文明は、それが西洋起源であるため、否応なく西洋の枠組のなかで、西洋の基盤のうえに、その履歴をはじめるであろう。そして、この文明にたいする西洋の率先的な貢献は、その後もながいあいだ重要なものであろうとおもわれる。しかしまた、時がたつにつれて、世界文明以前の他の諸文明のなす貢献がますます重要になってくるようにおもわれる。以前は西洋文明であったこの世界文明は、それにさき立つすべての文明の遺産のなかの最良のすべてをやがてわがものとし、同化し、調和させるだろうと期待してよかろう。」( 原文528〜9ページ、邦訳985ページ)

⑰  ここで大切なことは、西洋文明がそのまま世界文明ではなく、西洋化によって世界大にひろがることで、それが世界文明に変質し、やがて非西洋の側に主導権が移っていくだろうということである。この世界文明は、「来ようとしている」のであるから、まだ来ていない。だが、この文明のはじまりは、「西洋の枠組のなか」で「西洋の基盤のうえに」できるだろうというのである。だから、当初は西洋への抵抗はつづくであろうが、やがて、世界文明の中心が非西洋に移るに応じて、当初のように内的対立としてではなく、内的多様性として、 より大きい枠組のなかにはまっていくだろうと考えられる。

山本新『人類の知的遺産74 トインビー』(講談社、1978 年)試験問題として使用するために、文章を一部省略・変更した。

註1 観ずる=心に思い浮べて観察する 註2 卜する=判断し定める

註3 徴する=見比べて考える


 (2)解答例


 ここ数世紀来の世界史では西洋文明の圧倒的優位が最も主導的であるが、これは永続的なものではない。西洋文明は非西洋の諸文明を学ばされるに至り、相互の学びあいのなかから世界は一つになり、世界文明が到来する。西洋文明の理想や思想、技術や制度をうけいれているのは非西洋の諸文明であり、非西洋の側に世界史の比重がかかる。その理由は西洋の優位性はナショナリズムと近代テクノロジーとの結合に依拠していたが、ナショナリズムが行きづまり、テクノロジーは非西欧に伝播することにある。さらに勝利者が勝利感に酔いその優位が永続するかのように錯覚し、精神的緊張をうしない瀬廃するという法則も挙げられる。近代いらい、ヨーロッパの内部でも、主導的な国が50年おきに変わった。今世紀の両大戦を契機にヨーロッパは非ヨーロッパの米ソに追いぬかれ、米ソの主導権も危うくなり、中国の今後はたす役割が重くなるだろう。

 シリコンバレーから興ったIT革命は瞬く間に世界規模に伝播した。現在,AIはが自ら習得するディープラーニングを特徴とする第三世代を迎えている。また通信技術は5Gの段階に入り、自動運転やドローンなどの応用範囲が拡大している。トランプ政権は中国の通信機器大手の華為技術を安全保障上の脅威との見方を示し、米国内から排除すると発表した。ファーウェイの持つ個人情報を国家や軍の情報収集活動に利用される懸念があるという。一方では, GAFAと呼ばれる米国の情報産業がビックデータを独占し,個人情報を利用してさらなる利益の追求に邁進している。

 トインビーが力説する世界文明とは、こうした情報技術の発展を背景としたグローバリゼーションである。今や、この情報通信網で世界は一体化した。本来,インターネットとは,国家が情報を独占し,軍隊や警察などの暴力によって国民を垂直的に管理・支配するシステムからの解放を目的とした。このような目論見は一応の成果を上げ、国境や利益集団の枠を超えて世界の人が水平な関係で共同作業する場をインターネットは提供している。中国やGAFAの動きはこのようなフラット化の流れに逆行するものである。このような管理社会の到来を前に,私たちは国家や企業の個人情報収集・利用に制限を加え,保有する個人情報の流出の保護を徹底させることなどを内容とする個人情報コントロール権の確立に努めてゆかなければならない。

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