「科学と社会」長崎県立大学看護栄養学部2016年改作
(1)問題
第1問 次の文章を読んで,後の問い (問 1~問2)に答えなさい。
①まず「役に立つ技術を生む現代社会の中での科学は,ための知識」とされているのではないでしょうか。この「役に立つ」という言葉に,科学者も社会も縛られているのです。もちろん「役に立つ」ことは大事ですが,その意味をていねいに考える必要があります。しかも,科学と科学技術は決して同じものではありません。科学,科学技術,役に立つというような言葉を一つ一つていねいに考えることが必要だと思うのです。
②子どもたちの理科離れを憂い,大人の科学リテラシーの欠如を嘆く声は,新しい科学技術開発とそれが生み出す新製品,そこから生まれる経済成長を求めてのものになっています。その必要性を否定はしませんが,「自然科学」というように,科学の本来の姿は,自然と向き合うことであり,そこから自然観,人間観を生み出すことです。つまり,科学は一つの文化なのです。近年日本では,科学という言葉を単純に科学技術に置き換えてしまい,文化として存在する科学そのものを忘れる傾向があります。
③科学を文化とするなら,本を読み,絵を眺め,音楽を聴くのと同じように,誰もが科学と接することができて初めて,科学が社会の中に存在したことになるはずです。ここで,作家や画家や音楽家が自分の作品を世に出すときに,コミュニケーターを求めたりするだろうかと考えてみると,今の科学のありようの不自然さが見えてきます。 私は,ここに科学の問題があると考えています。現在の制度では,科学が社会へと出ていく方法は論文と 決められています。論文は,分野を同じくしている専門家に そのために必要で十分な事柄を書くための作法を決められています。もちろん論文は重要な発信方法ですが,文化として科学が広く受けとめられることを考えた時には,あまりにも限定された対象への特殊な形での発信と言わざるを得ません。小説や絵や音楽とはまったく違います。しかも最近は論文の数やどの専門誌に投稿するかなどによって評価されるので,ここでの競争に明け暮れることになります。震災後に,音楽家はすぐ被災地で歌い人の心を明るくすることがで きるのに,基礎科学の研究者は何もできないことを痛感したと述べましたが,まさにそうなのです。
④どうしたらよいか。ここで比較してみたいのが音楽です。小説や絵は作品がそのまま受けとめられますが,音楽は楽譜の状態で理解することは一般の聞き手には難しく,演奏されることが必要です。ベートーヴェンがすばらしいと思えるのは,オーケストラ,ピアノなどさまざまな演奏家という「専門家」による表現があるからです。演奏家は楽譜を通して,音楽と同時に自分を表現します。私は,科学にもこの作業が必要なのではないかと思っています。コミュニケーターでなく表現者です。しかも,本来なら音楽も作曲家が演奏者でもある,シンガーソングライターが原点でしよう。モーツァルトもベートーヴェンも演奏をしていました。科学者も本来は,そうあるべきなのではないでしょうか。
【出典】中村桂子『科学者が人問であること』岩波書店, 2013年,69-71頁。
問1 「科学は一つの文化」とはどのようなことか,説明しなさい 。(100字以内 )
問2 文化として科学が広く受けとめられるためには,どのようにしたらよいと考えるか。
筆者の考えをふまえ,あなたの考えを述べなさい。(800字以内)
(2)考え方
問1
・科学の本来の姿は,自然と向き合うことであり,そこから自然観,人間観を生み出すことです。つまり,科学は一つの文化なのです。②
・文化とするなら,誰もが科学と接することができて初めて,科学が社会の中に存在したことになるはずです。③
・自分の作品を世に出すときに,コミュニケーターを求めたりするだろうかと考えてみると,今の科学のありようの不自然さが見えてきます。③
・現在の制度では,科学が社会へと出ていく方法は論文と決められています。論文は,分野を同じくしている専門家にそのために必要で十分な事柄を書くための作法を決められています。文化として科学が広く受けとめられることを考えた時には,あまりにも限定された対象への特殊な形での発信と言わざるを得ません。③
・音楽は楽譜の状態で理解することは一般の聞き手には難しく,演奏されることが必要です。④
・演奏家は楽譜を通して,音楽と同時に自分を表現します。私は,科学にもこの作業が必要なのではないかと思っています。コミュニケーターでなく表現者です。科学者も本来は,そうあるべきなのではないでしょうか。④
論点
① 論文のように限定された対象に対する情報発信だけでは不充分
② 社会に対して情報発信するときコミュニケーターを介在させない
(3)解答例
問1
誰もが科学と接することができて初めて科学が社会の中に存在したことになるはずであるから、論文のように限定された対象への特殊な形だけではなく、一般社会に対して直接、情報を発信してゆくべきであるということ。
(100字)
問2
科学が文化として定着しない理由の1つに、数式がある。科学は数学や物理学を基礎とし、科学の専門誌に掲載されている論文は科学法則を表記する際に難しい数式を用いる。専門的な知識を持っていなければ、数式の意味を理解することができない。だから、科学は一般には近寄りがたいものとなっている。科学を社会に広く伝えるためには、専門誌とは別の手段で自然現象を可視化する必要がある。
その方法としてワークショップを提案する。これは参加者が自主的に体験する講習会のことを指す。演劇から始まったこの試みは芸術活動に広がり、近年では科学実験や科学体験など、自然科学の学習にも用いられている。ふだん科学と接する機会のない人々に対して、科学の面白さを伝えるワークショップの例として、霧箱で放射線を学ぶ体験を提案する。私たちは放射線を見ることはできないが、宇宙からは四六時中、放射線が地球に飛来している。地上にも放射線は到達し、私たちは日常的に放射線を浴びている。提案するワークショップでは、放射線の通った軌跡を白線で確認できる「霧箱」という装置をつくって、目に見えない放射線を可視化する。これにより、放射線が発生する仕組みや危険性などを体験することができる。このような取り組みでは、科学をわかりやすい言葉で正確に市民に伝える科学コミュニケーターの存在が欠かせない。現状では、学生や社会人がこの任を務めているが、むしろ研究者自らが名乗りを上げる方がよい。
原発事故を連想させる放射線は、目に見えないけれど実は私たちの身近にある。霧箱は自然に対する気づきを与える契機となる。科学に携わる者は、このような自然現象に対する発見と驚きを人々に伝える使命を担っている。人々が科学に親しむためには、科学の難しい専門書を読むことを市民に求めるのではなく、研究者の方が大学の研究室から外に出て、自ら社会に歩み寄る姿勢が求められる。(800字)
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