「書棚に込められた『理想我』」筑波大学後期・知識情報 図書館学類2021年度
(1)問題
次の文章を読んで、問1から問4に答えなさい。
① 多様な趣味嗜好を持ち、多様なリテラシーを備えた読書人こそは、社会の文化的な基礎であり、なによりも物書く人々にとっての最大の支援者です。そのような読書人のしっかりした層を形成することは、書籍にかかわるすべての人間が切望してよいはずのことです。
② 例えば、図書館はまさにそのような生き生きとした知的な層を作りだし、維持するための装置です。その活動が「自分のところに入ってくるはずだった」いくばくかの印税を減らしているのが、気にくわないというようなことを物書きが口走ってよいのか。
③ 僕たちは全員が、例外なしに、(1)「無償の読者」としてその読書歴を開始します。生まれてはじめて読んだ本が「自分でお金を出して買った本だ」という人は存在しません。僕たちは全員が、まず家の書棚にある本、図書館にある本、友だちに借りた本、歯医者の待合室にある本などをばらばらめくるところから自分の読書遍歴を開始します。そして長い「無償の読書経験」の果てに、ついに自分のお金を出して本を買うという心ときめく瞬間に出会います。その本を僕たちは自分の本棚にそっと置きます。自分の本棚に配架される本は自腹で購入した有料頒布のものに限定されます。そこに公共図書館の本や他人の蔵書を並べることはルール違反です。自分の本棚は僕たちにとってある種の「理想我(が)」だからです。「こういう本を選択的に読んでいる人間」であると他人に思われたいという欲望が僕たちの選書を深く決定的に支配しているからです。ジャック・ラカンの言葉を借りて言えば、僕たちの家の本棚は「前未来形で書かれている」と言ってよいでしょう。
④ 「前未来形」というのは未来のある時点で完了した行為や状態について使う時制です。「今日の午後の三時に私はこの仕事を終えているであろう」というようなのがそれです。書棚に配架された本が「前未来形で書かれている」というのは、その書棚に並んだ本の背表紙を見た人が「ああ、この人はこういう本を読む人なんだな。こういう本を読むような趣味と見識を備えた人なんだな」と思われたいという欲望が書物の選択と配架のしかたに強いバイアスをかけているということです。人から「センスのいい人」だと思われたい、「知的な人」だと思われたい、あるいは「底知れぬ人」だと思われたい、そぅいう僕たちの欲望が書棚にはあらわに投影されている。
⑤ 例えば、僕の書棚だとハイデガー全集の横にドラえもんの人形(もらいものですけど)が鎮座している。丸山眞男の塊の横にはダリオ・アルジェントのホラー映画のDVDが並んでいる。それはめんどくさがりなので、手元のものをなんとなく「ほい」とそこに並べてしまったわけですけれど、無意識的にはおそらくある種の「作為」が働いています。それはハイデガーからドラえもんまで、丸山眞男からダリオ・アルジェントまでひろびろとカバーできるような「寛容な知性」の持ち主であるというふうに家に来た人に「思われたい」という僕自身の欲望がそこに露出しているということです。
⑥ 書棚にどういう本を配架するかということには遂行的な目的があります。単に買った順に並べるとか、著者名のアルファベット順に並べるというようなことを僕たちは決してしません。もし、そんな「奇抄なこと」をしている人がいたとしたら、その人はその人で「本を買った順に並べる、変わった人間だと思われたい」という欲望に支配されていると診(み)立てて大過ありません。
⑦ 別にオレの家には客なんか来ないから、配架にそんな無意識的欲望のバイアスかかってないぞ、と抗議される方もおられるかもしれません。
⑧ そうでもないですよ。
⑨ だって、書棚に並んだ本の背表紙をいちばん頻繁に見るのって、誰だと思いますか。自分自身でしょう。(2)自分から見て自分がどういう人間に思われたいか、それこそが実は僕たちの最大の関心事なんです。
⑩ (3)書架に『三週間で英語がマスターできる』とか『三ヶ月で痩せられる』とか『一日三分の努力であなたも富豪になれる』とかいう本の背表紙ばかり並んでいたら、「オレって基本的に『インスタントな人間』なんだな……」という実感はしみ込んでくるわけで、そういう認識が自尊感情の涵養に益することは期待できません。でも哲学書とか世界文学全集とか詩集とかがずらっと並んでいたら、とりあえず「そういうものを読むような人間になりたい」という自分の願望ははっきり自分宛てに開示されている。
出典:内田樹『街場のメディア論』光文社.2010.(抜粋のうえ、一部変更)
問1 文中の太字(1)「無償の読者」の言葉の意味を20文字程度で書きなさい。
問2 本文で述べられている図書館の役割について、文中の言葉を使って60文字以上80文字以内で書きなさい。
問3 太字(2)に「自分から見て自分がどういう人間に思われたいか」とあるが、本棚以外で理想我の役割を果たすものの例をあげて、どのような理想我になっているかを160文字以上200文字以内で説明しなさい。
問4 太字(3)の著者の考えを要約した上で、著者の主張に対するあなた自身の考えを400文字以上500文字以内で自由に論じなさい。
なお、これらの問題は、論理的思考力、表現力、広い視点からの発想を評価するもので、個人の思想・信条・宗教などを問うものではありません。
(2)考え方
問3
教文社の赤本解答例では、音楽プレイヤーのプレイリストの例が挙げられている。
本→CD という連想はあまりにベタで、「なんだかなあ」という感想を持った。
音楽プレイヤーのプレイリスト以外の例で考えましょう。
別に本や音楽プレイヤーのプレイリストなどの物や趣味・嗜好だけに限らずにもっと柔軟に考えてください。
問4
図書館学類なので、やはり図書館を題材に書くこと。
将来、自分が司書になったとき、自分がつくる図書館がどんな図書館でありたいかを考える。
その際、「理想我」にあたる「我」=主体 をどこに設定するかがカギ。
(3)解答例
問1
自分でお金を出さないで読書遍歴を開始する人(21字)
問2
多様な趣味嗜好やリテラシーを備えた知的な読書人は社会の文化的な基礎であり、物書く人々にとっての最大の支援者となる。こうした知的な層を作りだし維持するための装置。(80字)
問3
付き合う友人のタイプが理想我の役割を果たす。趣味や嗜好が洗練されて上品で、知的な会話を好む友人が多ければ、この人たちを見て自分もその友人に列してハイソでインテリであるという自尊感情が湧く。逆に暴力的で粗野な、よく言えば漢気のある友人が多ければ、自分も強くてたくましい、不良気どりの理想我が形成される。両方のタイプの友人を持てば、顔が広くて、人を選ばず差別なく付き合う器量の大きい理想我を持っている。(199字)
問4
書架にハウツー本ばかり並んでいたら、自分は努力を惜しんで手っ取り早く結果を求める安直な人間であるという認識が起こり、自尊感情を育てることはできない。
ベストセラーの多くにこうしたハウツー本がしばしばランクインする。こうした本は短期間で売り上げを急速に伸ばすが、買って読まれるのは一時的であり、数年経ってブームが去れば人々から飽きられて読まれなくなってしまう。
公立の図書館で収納する本はこのようなハウツー本はなるべく慎んだほうがよい。一時の流行で読まれる本よりも、長期にわたって読まれ続ける、いわゆる名著や図書館のある市町村にゆかりのある作品や作者の本を収納することに注力を傾けたほうがよい。
図書館の利用者である地域の住民の理想我となるような書架作りを心掛けることによって、蔵書を通していつしか図書館が地域の誇りとなる。そんな図書館をつくりたいという。
志を私は持っている。図書館はそこに住む市民の文化レベルを現わしている。理想的な図書館作りを通して、まち文化レベルを上げてゆきたい。(465字)
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