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「ケアとは何か」名古屋市立大学看護学部前期2019年

(1)問題

 
①あらゆる生きものは子を産む。子を産みっぱなしの生きものも多いが、すくなくとも哺乳類は子を産んだあと、成長するまで育てる。ここまではよい。では、介護は?

②子育ては先に生まれたものが後に生まれたものに対してする世話である。介護はこれとは逆に、後に生まれたものが先に生まれたものに対してする世話である。このような世話はどうも人間にしかみられないようにおもわれる。ためしに友人の(ア)れいちょう類学者に訊いてみた。たぶんそうにちがいないと彼は言いつつ、それに類する例を1つだけ、ゴリラの集団で見たことがあると答えた。勢力を失ってボスの地位を引きずり下ろされ、視力も失った老ゴリラの、その(イ)りんじゅうが近づいたとき、おぼつかない足で彼が移動しはじめると、群れのゴリラたちは、まるで彼がボスとして群れを率いているかのように彼の後ろについて行った。彼を「立てていた」としかおもえないと、友人は言った。

③となると、そういう(ウ)いの行為はごくまれにみられる。にしても、日々その世話をするという介護行為は人間だけにみられるものだと言ってよさそうである。いってみれば親孝行。

④親孝行は、かつて世話してもらったものが長じて世話をしかえすことである。先に生まれたものを後に生まれたものがする逆支援である。こういう「しかえし」――与えられた恩義に報いるときは「し返し」だが、危害を与えた者に復讐するときは「仕返し」となる――は、わたしたちの文化のそこかしこで日々なされている。なされるべきだとされている。

⑤「ねぎらい」というのも、言葉でなされるのであれ、一席設けるのであれ、そういう「応答のしかえし。一つに数えてよさそうだ。「おごり」への返礼ともなると中元のお返しのように厳密に同額に相当するものを贈る習慣もあれば、香典返し、結納返しのように「半返」のきまりがあるものもある。そのあたりの消息については、最近出たばかりの伊藤(いとう)幹(みき)治(はる)の『贈答の日本文化』が詳しい。

⑥ヨーロッパには、道徳についての意表をつくような教説がある。道徳や正義の起源を、商業や算術の論理に見いだす議論である。たとえば責務の観念、あるいは復讐の負い目といった感情を、負債や借金という商業的な観念に由来するとするニーチェの説。債務に対する決済。損害に対する補償というふうに、まるで天粋で量られるかのような価値の(エ)きんこう、そこに「(オ)い」や「(カ)い」といった道徳と正義の起源を見いだすベルクソンの説。「目には目を、歯には歯を」(等量の苦痛を)といった報復の論理も、損害の厳密なエ)きんこうにこそ正義があるとするものだ。

⑦これに対して、カントにみられるような道徳的なリゴリズム(注1)は一見、「善い行為には幸福な結果、悪い行為には不幸な結果」という道徳的な行為と幸福とのデカップリングを排して、そのような結合は神の意志にかかわるものであり、それをわれわれはただ希望しうるだけであって、人間としてできるぎりぎりのことは「幸福であるに値する」よう行為することだけであるとした。がこのような主張もまた、あいもかわらず幸福を徳の「報酬」と考えているとは、シェーラーの憎まれ口という。厳しい指摘である。

⑧そういう意味では、日本における「ねぎらい」や返礼の精密な習慣にも、借りを返すこと、恩義に報いるここといった面がたしかにある。しかし、親孝行、あるいは、後に生まれた者が先に生まれた者の世話をするという「ケア」の文化は、そうした贈与と返礼の論理にほんとうに回収できるのか。
「責任」を意味するリスポンドという語の接頭辞re―には、「~に対する応答」という意味のみならず、「ふたたび」「いま一度」というレベティション(反復)の意味もある。じっさい、共同体の伝統的な行事には、「これを止めたらばちが当たる」というただそれだけの理由で伝承されているものが多い。金をたっぷりもらってもしたくはない、そんなしんどい作業を長らく継続できてきたのは、ただみなが昔からくりかえしやってきたというそれだけの理由による、と考えることもできるかもしれない。

⑨(1)ケアという、人間だけにみられる文化も、贈与論よりはもうすこし広々とした場所で考えつづけたいと、いまはおもっている。

⑩  「時は金なり」(タイム・イズ・マネー)。

⑪  アメリカ独立の立役者の一人とされるベンジャミン・フランクリンの言葉として、あまりにも有名な言葉だ。ただし、出典は不明。フランクリン自身が書いたものとしては、『自伝』のなかに次のような言葉がある。「時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行ないはすべて断つべし」。これはフランクリンの「十三徳」の一つ、「勤勉」の項に書かれているものである。これに先立って、十七世紀英国の哲学者、ジョン・ロックが、人間はそれぞれの行ないをつうじて新しい価値と富を創造すべく神により命ぜられているとして、「怠情で無分別」であるより「合理的で勤勉」であれ、と書いていた。

⑫  こうした「モダン」な心の構えは、この国でも、明治の「富国強兵」以降、そしてとくに戦後の高度成長期に、人びとの心のなかに、深く、深くしんとうしていった。時間を無駄にするな、時間を有効に使え、というふうに。「能率」と「効率」が第一とされる社会では、少ない時間で多くのことをなしとげることが推奨され、怠けること、サボることは、まるで悪徳のようにいわれることになった。「ポストモダン」といわれる時代になっても、この心性はエスカレートすることはあっても、(ク)衰えることはなかった。時代は「ロハス(注2)」といいながら、他方ではしっかり年度計画と自己評価を求められる。人びとは、知らぬまに、手帳の予定表に空白があるのを怖れるようになった。

⑬  しかし、(2)無為は怠けでもサボリでもない。とりわけ介護や介助といった「ケア」のいとなみにおいては、とことん相手に合わせることが求められる。つまり、こちらがイニシアティヴをとるのではなく、相手の思いに付き添うこと、相手のペースに合わせることが(ケ)かんようだ。

⑭  「めいわくかけでありがとう」

⑮  元フライ級日本チャンピオンでのちにコメデイアンとして活躍しながら、暁の海に没したたこ八郎の墓石には、たこの言葉としてそう刻まれている。こんないいかげんなじぶん、迷惑をかけどおしのじぶんに、最後までつきあってくれた人、逃げないでいてくれた人への感謝である。その人たちはそれぞれに、その大切な時間をじぶんのためにくれた。その時間がもったいないとか無駄だとは思わないでいてくれた。そのことへの返礼だったのだろう。介護士、カウンセラー、教師、さらにはカウンターの向こうにいる人、じっと話を聴いてくれる親……。それぞれのケアのあり方に思いをはせると、ケアとは「時間をあげる」ことだと考えたくなる。英語で「リベラル・オヴ・ヒズ・マネー」といえば、彼は金離れがいいという意味。名詞にすると「リベラリティ」。これは気前のよさという意味だ。時間は(コ)かへいのように大事なものだからこそ気前よく人にあげる……。そこにこそ「勤勉」とは逆の、ケアの心があるようにおもう。
(鷲田清一 人生はいつもちぐはぐKADOKAWA二〇一六年よりー部改変)
(注1)リゴリズム:厳格主義。きわめて厳格に道徳的に規律を守る立場。
(注2)ロハス:健康的で持続可能なライフスタイルのこと。またそれを志向する市場のこと。
 
問1 太字(ア)~(コ)の漢字は読み仮名に、ひらがなは漢字に直しなさい。

問2 下線部(1)について、筆者が述べている「ケアという、人間だけにみられる文化」とは、どのようなことか40宇以内で説明しなさい。

問3 下線部(2)について、「無為」とはどのようなことをさしますか。「合理的で勤勉」という言葉と対比させて70字以内で説明しなさい。

問4 あなたは、「ケア」とはどのようなことだと考えますか。著者の意見を踏まえて、あなた自身の考えについて具体例を挙げて、600字以内で論述しなさい


(2)解答例


問1
(ア)霊長 (イ)臨終 (ウ)うやま (エ)均衡 (オ)つぐな (カ)むく
(キ)浸透 (ク)おとろ (ケ)肝要 (コ)貨幣

問2
後に生まれた者が先に生まれた者の世話をする介護は人間に特有のケアの文化である。
(39字)

問3
近代では時間を有効に使い無駄を省いて能率や効率を重視する合理的で勤勉な価値観が広がったために無為は怠情で無分別な悪徳であるとみなされたこと。(70字)

問4
 「合理的で勤勉」な態度による労働は近代の市場経済おいては、工場における機械工業に適しており、こうした生産様式が商品の大量生産をもたらして、廉価な消費財の供給により私たちの豊かな生活を実現せた。

 しかし生身の人間を対象とする医療が提供するケアは市場経済の合理性でくくることはできない。患者が来院したそれまでの人生の生活誌は各人異なる。患者一人ひとりがそれぞれ違う時間を生きており、このことを念頭においてケアを進めていく必要がある。

 認知症を患っている祖父から明日退院という日の夕刻、携帯電話がかかってきたことがある。すぐに来て、お金を用立ててほしいという。明日は家に戻るから、いま所持金がないことで不便はない。祖父の要求は理不尽であった。しかし私は理で祖父をなだめ諭すことをせず、お金を持って病院に駆けつけた。紙幣を手渡された祖父は安堵の表情を見せた。祖父の人生はお金の苦労の連続であった。病は患者の人生が集約された形で現れる。すべてを合理だけで片付けることはできない。

 私が臨床の場に立ったら、どんなに理に合わない話であっても、耳を傾けて患者の話の話を聞く看護師になりたい。私が目指すケアでは患者個々の生きる時間に時計の針を合わせて、ともに同じ時間を共有する機会を持つ。医療サービスは単なる消費財ではない。人間相互の結びつきの場として、臨床の現場を捉えることを提唱したい。(590字)

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