
【障がい者との共生】教育学部小論文講座(第6回)
(1)はじめに
みなさんは、「障がい者」というと、どのような感想や印象を持っているでしょうか。
「何か特別な人」「先天的な要因、あるいは後天的な事故や病気でたまたま障がいを負った人」というところでしょうか。
そして、なかには(あえて偏見を書きます)、「不幸な人」「かわいそうな人」などという感想を口にする方もいるかと思います。
最後に、「自分とは関係がない」ということで、「正直、関心がない」。
そういう人もいるかもしれません。
これらの言明は、障がい者や障がいに対する理解が欠けているために生じる誤った見解、もしくは不十分な見解です。
まず、日本には障がいを持たれた方がどれくらいおられるか、みなさんはわかりますか?
クイズにしましょう。
2018年4月9日の厚生労働省の推計から出題します。
ちなみに障がい者とは、「身体障がい者」、「知的障がい者」、「精神障がい者」がこれに相当します。
【問題】日本の障がい者は、総人口の何%か。
①3.4%
②5.4%
③7.4%
④10.4%
正解はあとの解説で発表します。
義務教育では、障がいを持った子どもは特別支援学校や特別支援学級で、分離されて授業を受けます。
こうした事情で、普通学級で教え、学ぶ教師や子どもたちは、障がいを持つ子どもと触れ合う機会は少ないと思います。
しかし、法律※によって、民間企業での障がい者は徐々に増えつつあり、街中でも電車やバスといった公共の交通機関で健常者と障がい者とが出会う機会も多くなっています。
教育学部入試小論文では、障がい者との共生の問題は、特別支援学校を志望する受験生に出題されることがほとんどです。
だからと言って、この問題に対する理解が不十分なまま大学生になり、教師・社会人になるというのも、いかがなものかと思います。
この問題は、現在さまざまな議論がなされている、多様性(ダイバーシティ)の確保ともかかわる重要なイシューであるので、この機会にきちんと自分の意見をまとめておくことが大切です。
※法律:日本では障害者雇用促進法[1960年制定]を改正して、民間企業の障がい者の法定雇用率を2.3%(2021年4月現在)と定め、達成した企業には障害者雇用調整金を給付し、未達成の企業からは障害者雇用給付金を徴収することで、障がい者の社会進出を後押ししています。
(2)問題・「障がいのある人と障がいのない人の相互の理解」広島大学教育学部/学校(特別支援教育)後期2016年
以下の文章を読んで,あとの二つの問いに答えなさい。
① 私の妹は、療育手帳を持つ知的障がい者である。一歳半に高熱を出し、髄膜炎に罹った脳への後遺症であるらしい。妹の障がいを簡単に言えば、知能は二歳、身体は三十八歳で介助が必要な大人である。このアンバランスさが妹にとっての障害であり、社会における生きづらさなのだろうと思う。
② 私は決して優しい、いい姉ではない。お互いに幼かった頃は一緒に遊んだり、出かけたりしたが、私が周囲の視線を気にして、妹と一緒に歩くことを避けた時期もある。妹の事は隠したわけでもないが、誰かにわざわざ話さなくてもよいことであった。いちばん近くにいる向き合いたい家族なのに、距離を置いていた自分がいる。いつも真っ直ぐに一生懸命に生きている。そんな妹「ゆかちゃん」を母は「天使みたいな子だよ」と言う。
③ やがて私は結婚して、妹と離れて暮らすようになった。新しい家族もできた。もうすぐ四歳になる息子は、自分のことを「チィ」と言うので私もそう呼んでいる。息子が産まれる時、妹は母と一緒に病院の分娩室に来た。母が居るところには必ず妹がいる。痛がり苦しむ私のそばで、妹はわけのわからないことを言っていたが、それが彼女なりの私への応援だったのかもしれない。我が子が生まれ、ふと思ったことがある。私は妹の障がいをこの子に何と伝えればよいのだろうか。息子にとって叔母にあたるゆかちゃんを息子は「何かちょっと普通と違う、ヘンな人だ。」と思う時が来るのだろうか。その時、私は息子に何と言うのだろうか。これまで妹と知らずしらずのうちに距離があった私は、妹ともっと近くで関わりたいと思った。息子の誕生と同時に、妹がいる家の隣に住み、物理的な距離はもちろん、心の距離を縮めたかった。関わると言っても、妹と一歳にもならない息子と私が、ただ毎日を一緒に暮らすだけ。手のかかる子どもが二人いるみたいだった。息子をベビーカーに乗せ、ゆかちゃんはその横でベビーカーにつかまってボチボチとゆっくり歩く。妹と並んで歩くのも久しぶりだった。息子が六か月を過ぎた頃から、自分にひとつも声をかけない妹を息子は不思議そうに見ていた。妹が近付くと怖がり、私の後ろに隠れたこともあった。人見知りにしては長い。妹を見ると「怖い」と言うようにもなった。私は「怖くないよ。ゆかちゃんは優しいよ。」と繰り返し息子に言った。それからもずっと妹と息子と私は一緒に過ごした。妹の新たな一面も見られるようになった。息子が泣けば、妹はおむつを持ってきて、換えようとしていた。上手く換えられない。息子は泣く。ずいぶん手間はかかったが、こうした二人のやりとりを何度も重ね、大切に見守り続けた。いつも息子は、ゆかちゃんをじーっと見ていた。妹がお風呂で介助される姿も『大人なのに、なぜ一人で出来ないのだろう?』と言っているかのように、じっと、じっと見ていた。息子が三歳になり、言葉を話し始めた頃のある日、「新幹線に乗りたいね。」と話をしていたら、「チィは誰と行くの?」と尋ねると、「チィはね、トントンとタンタンとばあばんと、ゆかちゃん。」
④ 「ゆかちゃん」息子が初めて妹の名前を口にした瞬間だった。息子は「ゆかちゃん」の存在を避けずに受け容れている。彼の発達段階でゆっくりと時間をかけて「ゆかちゃん」の存在を受け容れたことが私は嬉しかった。
⑤ 「ゆかちゃんはね、ゆっくり歩くからね、チィもゆっくり歩くの。」と息子は続けて言った。
⑥ これは、障がいに対する同情ではない。三歳の息子が障がいを理解し、障がいのある妹に寄り添う言葉が自然に発せられたのだと思った。息子に人への優しさが育っていることもまた、嬉しかった。四歳を前にした今では、息子が言う。「ゆかちゃん、お茶はちょっとずつ飲んでよ。(水筒のお茶を)ぜーんぶ飲んだらいけんで。」と。いつも自分が言われているのに、妹のことを気にかけ、接する姿はお兄さんみたぃだ。そうか。ゆかちゃんの内側は二歳のままならば、チィはもうゆかちゃんより年上のお兄さんになったんだね。
⑦ 「障がいのある人とのふれあい」それは特別に何かをしなくても、日常の中にあった。褒めると、にこっと笑う。怒ると「もうやめて。」と言うかのように見つめられた。ぎゅっと抱きつかれたときは、『怖い思いをしたのだろう。』とハッとして気付く。日常の暮らしにはそうした一瞬がある。そうした瞬間的な心の重なりを「ふれあい」と呼ぶのかもしれない。些細なしぐさや視線、表情を見過ごさずに受け止められる自分でいたい。(a)一瞬の「ふれあい」は弱いかもしれないが。積み重ねていけば強い絆になるだろう。
⑧ 鳥取県が取り組む「ふれあいサポート運動」は、障がいの特性を理解することから始まり、障がいのある人とない人が共に生きる社会をつくるための取り組みである。決して「してあげる」という押し付けではない。(b)私は、息子の姿から障がい、そして障がいのある人をありのままに受け容れる姿勢とその過程を学んだ。障がいを理解させるために、言葉の説明なんて要らなかった。まだ言葉も発しない幼い息子が障がいを理解できたのに、人はなぜ心にバリアを張るのだろう。障がい者の姉である私は、いつからなぜ妹と距離を置くようになっていたのだろう。私の心の中で絡まっていた糸がすうっと解けていく気がした。
⑨ これから先に息子が成長していく途中で、妹への見方が変わったり、妹と接する距離が変わることがあるかもしれない。その時が来れば、息子はもう覚えていないかもしれないが、ゆかちゃんとチィが互いに優しく接していた日々のこと、息子が初めて「ゆかちゃん」と言った時のやりとりをしっかりと息子に伝えようと思う。そして、母が私に言ったように、私も「ゆかちゃんは、天使みたいな大人だよ。」と言うのかもしれない。
(出典:川樹恵子『ゆかちゃんとチィ』平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集http://www8cao.go.jp/shougai/kou-kei/27sakuhinshu/kou_saiyushu.htmm1より引用。出題にあたり、下線および(a)と(b)の文字を加筆した。)
問1 太字(a)および太字(b)で述べられていることを、障がいのある人と障がいのない人の相互の理解が深まるための手だてについての提言として受けとめたとき、この提言に対するあなたの考えを800字以内で述べなさい。
問2 あなたが特別支援学校に勤務する教師であったと仮定して、障がいのある人と障がいのない人の相互の理解を深めるために、どのような取り組みを実践したいと考えますか。具体例をあげながら、1,000字以内で述べなさい。
(3)考え方①差別や偏見を乗り越える
まず、冒頭で述べた、前書きで、障がい者に対して私たちが考えがちな感想や印象に対する批判から書いていきます。
「何か特別な人」➡「私たちと変わらない人間」、ただし、障がいに応じて、社会や市民が配慮しなければいけない。
「先天的な要因、あるいは後天的な事故や病気でたまたま障がいを負った人」➡確率論で語るなら、障がいに至る事故や病気は「たまたま」のレアケースとなりますが、誰でも自分が将来、障がいを持つ可能性は排除できない。自分のこれから生まれてくる子どもや、家族が将来、障がいを持たずにこのまま一生を安んじるという断定的な意見に対して、まったく保証できない。
ここで、最初のクイズの答えを発表します。
「③7.4%」が正解です。
意外と多い、という感想をみなさんは持たれたのではないでしょうか。
体や心などに障害がある人の数は約936万6千人との推計を厚生労働省は公表しました。前回2013年の推計(約787万9千人)より、約149万人増えています。日本の全人口に占める割合も、約6・2%から約7・4%に高まりました。
14~16年に実施した障害者への生活実態調査からの推計で、身体障害者は約436万人(前回より約42万3千人増)、知的障害者が約108万2千人(同約34万1千人増)、精神障害者が約392万4千人(同約72万3千人増)。
増加の背景には、高齢化率の上昇が挙げられます。
いつ自分や家族が障がいを持つようになるかわからない。ですから、「自分とは関係がない」というのは、あまりに視野狭窄(きょうさく)であることがわかります。
ましてや「不幸な人」「かわいそうな人」などという感想は、「幸福である自分とは関係ない」という暗黙があるようで、しかも、障がいを「不幸」と結びつけることは、自己の価値観を無条件にひとへ適用するという意味で、傲慢(ごうまん)であるとも言えます。
いかにもありそうな意見に対して、さんざん批判してきましたが、このような考え方は少なからず、私たち(この私も含めて)が陥りがちなものです。
障がい者との共生を考える場合、まず、このような差別や偏見を乗り越えることから始めなければなりません。
(4)考え方②理想的な共生
それでは、私たちは障がいを持たれている方とどのような関係をつくっていけばいいか。
そのヒントは問題文のなかにあります。
ここでは、例として私の経験を書かせてもらいます。
ある日の午後、横浜での授業に向かうために、京浜東北線の座席で私は本を読んでいた。
「ちょっと」と呼ぶ声がする。
電車は駅で停車し、車椅子に乗った女性がホームにいて、どうやら私に向かって声をかけているようだ。
なんでも、電車に車椅子を乗せるのに隙間があって難しいので、私に手伝ってほしいという。
丁寧な懇願というよりも、「ちょっと、後ろを押してよ」という、ぶっきらぼうな調子で、私はやや面食らった。今までこうした場面で介助をしたことがないので、うまくできるかどうかという不安もあった。
けれど、私は意を決して席を立ち、ホームと電車の隙間に気をつけながら、車椅子を電車内に乗り込ませることができた。
このときの女性の態度がとてもよい印象に感じた。
申し訳ないとか、恥ずかしいとか、そういった感情は一切なく、障がいを持っている自分がひとりでできないことを、人が介助するのは、当たり前といった意識があったような気がする。
この「当たり前」というのがなかなか誤解を招く表現で説明するのが、説明するのが難しいのだけれど、これは「障がい者の権利意識」とか、「健常者の義務」とか、そういう堅苦しいものではなく、困った人がいたら助けるのが「普通の人として、当然の振る舞い」といった印象の「当たり前」になる。
だから、介助する方もされる方もいたって自然で、たとえば、自分の持ち物が手から落ちたらそれを拾う、という感覚で日常化、オートマチック化している状態、これが障がいのある人とない人との「当たり前」の関係である。
介助する方は「何かよいことをしている」と気負うことなく、される方も引け目を感じたり、借りができたと思うことのない、ごく「当たり前」の行為として、成立していることが望ましい。
このとき、このようなことを感じた。
そうしたら、その車椅子の女性になんだか親近感がわいてきて、次の駅まで世間話をして過ごした。
(安倍政権に対する批判をどちらからともなく話し出して、妙に息が合ったことを、つい昨日のように覚えている。いきなり、見も知らない人と政治の話題はふつう口にしない)
受験生のみなさんも障がい者の方と触れ合った経験が何かあれば、それをもとに考えて書くようにしてください。
(5)参考資料(慶應義塾大学環境情報学部2016年問題資料)
C.関根千佳、ユニバーサルデザインのちから社会人のためのUD入門、生産性出版、2010.pp.187一189(一部編集、改変)
① ボストン郊外に、パトリックオーハンスという小学校があります。MITやハーバード大のそばの知的レベルの高いエリアですが、この小学校はインクルーシブ教育をごく普通に実践しています。校長先生は全盲です。視覚、聴覚、肢体不自由、知的、学習、発達などの、さまざまな障害を持つ子どもと、障害を持たない子どもが、一緒に学んでいます。同じカリキュラムを個別支援のプログラムに基づいて行い、それぞれの伸び率が大変高いため、障害を持たない子どもの親からも、この小学校で学ばせたいという希望が後を絶たない人気校になっています。あなたの身近な特別支援学校で、障害のないお子さんが入りたがる人気校は、存在していますか? 将来、あなたのお子さんが事故や病気で障害を持ったとしたら、その後の教育はどうなるのか、考えたことはありますか?
② 高等教育における障害学生の比率も、欧米では5~8%と言われますが、日本では0.09%と、ほとんど100分の1です。アメリカなどの大学では、保育園と障害学生支援センターのないところはありえません。どんな小さな大学でも存在するのが当たり前、ないと公民権違反です。そしてそのトップは重度障害を持つ女性であることも多いのです。「ハーバードでは、学長も女性よ」と楽しそうにマリー・トロティアさんが言いました。彼女は障害学生支援センターのトップで、重度障害を持つ法学教授でもあります。ハーバードでは、終身教授がみんな超高齢になっても教授会に来るので、学内の歴史的建造物も全部ユニバーサルデザインにしなきゃならないの、と楽しそうに語っていました。スタンフォード大学の障害学生支援センターで、障害学生は何人いるのかと、これも当事者のリーザ・シェフトマンさんに聞いたら、「知らないわ」とあっさり言われて面食らいました。
③「だって、女子学生の数とか、中国系学生の数って、把握していないでしょ。ニーズがあれば支援するのがここの仕事だもの。視覚や聴覚、学習障害の学生で、教科書の電子化やノートテイク(出題者注:筆記通訳のことで、聴覚障害者の「耳の代わり」をすること)が必要だったら来るけど、車いすの学生なんかもうここへは来ないのよ。だって学内のバスはみんなリフト付きで、運転手は車いすの扱いに慣れている。近所の不動産屋は、アクセシブルなアパートをたくさん知っていて、学生の障害に合わせて適切な物件を紹介できる。みんな。ごく一般の市民として生活できるのだから、私たちの支援を必要としないのよ」。
④この言葉にはアメリカの状況をよく知っていたはずの私も、かなりショックを受けました。日本では、視覚や聴覚障害の学生への支援はまだボランティア程度で、法的な保障は一切ありません。学内も段差だらけで、バリアフリーがやっと始まったばかりです。障害を持つ学生が進学できるような環境の大学は、日本ではまだ数校しかないのです。障害学生支援センターを持つ大学は数えるほどです。大学に障害を持つ学生が入学すると、地元のテレビや新聞が取材にきます。珍しいからです。
⑤これは何を意味するのでしょうか? 厳しい就職活動を過ぎて、やっと社会人になったみなさんの多くが、これまでその人生の中で、障害を持つ人と触れ合う機会がなかったということを意味しているのです。同じような環境、同じような偏差値、同じような授業を受けて、みなさんは社会人になりました。でも、あなたがこれから仕事をしていく社会全体では、もっともっと、多様な人間が生活しています。それが、あなたのこれからの顧客なのです。
⑥あなたの会社がものづくりにかかわっているとしたら、あなたの製品を使う人の中に、もしかしたら手の不自由な人がいるかもしれません。サービス業にかかわるとしたら、お客様の中に耳の不自由な方が来るかもしれません。行政職で広報誌を作るとしたら、視力の弱い人のことを考えて書く必要がありますね。そのような、さまざまな人々のイメージを、学生のうちに身につけることなく、あなたは社会人になってしまいました。社内にも障害を持つ同僚はあまりいません。学生時代には海外からの留学生や年齢の違う社会人学生から受けた刺激は大きかったと思います。それも多様性の理解につながっていました。でも、多様な障害などのニーズのある友人を理解するという経験を、今の日本の学生は奪われた状態であるともいえます。
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