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【格差社会と『錯覚による自立』】自治医科大学(医学部)

(1)問題

思いやりのなさが人を混乱させる

「日本の格差社会」は格差社会なんかじゃない
① 21世紀になって、「日本は格差社会になった」と言われるようになりました。でも、昭和が終わった頃から、あるいは昭和の内からでも.「日本には格差社会が訪れる」と、言う人はいました。その頃の「格差社会」は、一億総中流と言われた状態が崩れて、国民の間に格差が現れる」という意味だったと私は理解していますが、実際に訪れてしまった「格差社会」は、そういうものではありません。「あるレベルからはずれたら、もう生きて行きにくくなる」という、そういう「隔差社会」です。

② それは「格差社会」なんかじゃありません。「あるレベルからはずれた人間達なんか知らない」という、オール・オア・ナッシングの世界です。「当人の自主性に任せたんだから、こっちは関係ない」という、我知らずの拒絶が野放しにされた社会です。そこで、「人の孤独」は心の問題ではなく、実生活上の孤立に変わります。

③ 「格差社会」を言うなら、1970年代に高度成長を達成して「一億総中流」になる前の日本は、歴然とした格差社会でした。貧乏人と金持ちの差は歴然とあって、だからこそ「差別」も平然とはびこっていました。でも、貧乏人には貧乏人の仕事があったし、貧乏人の町もありました。貧乏人の町には「貧乏な医者」もいました。「貧乏」は当たり前にありました。ところが今は、「貧乏人」という概念自体がないのです。「みんな平等」を前提にしていて、しかし、ある人達には仕事がないのです。働いてもずーっと貧乏で、この「働いてもずーっと貧乏」である人達のことを、英語を使って「ワーキング・プア」と言います。「貧乏人」とは言わないのです。まるで、「一時的に貧乏に陥っているだけで、`“貧乏人”ではない」と言っているみたいです。

④ 「貧乏人」という概念が消滅して、でも「行き場がないままの人」は、いくらでもいるのです。「町としての活気」がなくなってしまった町は、いくらでもあります。どういうわけか医者が減って、病院そのものが消滅してしまう町だってあります。しかもこの原因は、「貧乏だから」じゃありません。「生活の豊かさ」を求められる人だけが求めて、それが出来ない人は放置される―その結果の「隔差」で、ただ放置された人は、「放置された人」として置き去りにされ、「貧乏人」という名前さえも与えられないのです。

⑤ 「格差社会」と言われるものは、もう少しまともなものです。「格差」を前提にして成り立っているのが「格差社会」でいうだけです。今の日本は、「格差があるから格差社会だ」というだけです。

「思いやり」が足りない
⑥ 「格差」を前提にして成り立っている格差社会は、貧しくともそれなりに生きて行けます。でも、「格差があるから格差社会だ」であるような社会は、その格差が野放しです。「その格差はいかなるものか」ということさえも考えられず、「その原因はどこあるのか」ということも考えられません。

⑦「このままだと生きて行けない」の崖っぷちに立たされても、ただ「格差がある」です。そんな「格差社会」という言葉の使い方が出来るのは、「自分は安心だ」と言える状態にある人達だけです。そういうものは、「格差社会」なんかではないはずです。

⑧ でも日本人は、その現状を「格差社会」と言います。それで平然としていられるのは、日本人がまだ「自助努力」というものを信じているからです。あるいは、「自助努力」というおまじないで、なんとか野放しの「格差」を隠蔽することが出来ると信じるからです。

⑨ 信じているのは「自分の自助努力」だけで、他人のそれには目を向けません。「自分でなんとかすることが出来なくなった人――その状況に置かれた人に与えられるのは、「自助努力が足りない」ということを前提にした、「自己責任」という言葉だけです。必要なのは、「格差社会」という言葉を与えることではなく、「思いやりが足りない」ということを認めるだけでしょう。

「自立」という錯覚
⑩ 「障害者自立支援法」という法律があります。これは、「障害者が自立して行くのを支援し、支援することを促進させ、自立して行くことを支援するのを促進させて行こうとする法律」です。なんだかわけが分かりませんが、はっきりしているのは、支援したり促進されたりする障害者が、まだ自立をしていないということです。それでどうなるのかと言えば、まだ十分な自立の出来ていない障害者の「自立を促進するための施設」を利用するための費用を、障害者から徴収するのです。ここには「受益者負担の原則」というものが入って来ています。つまり、「まだ自立が十分に出来ていいない人達を“もう自立している"とカウントして、受益者負担の原則を適用する」とうことです。「あなたは自立をしたいんでしょう? だったら先に、“自立している人としての費用”を払って下さい」です。どう考えたっておかしいのに、でもこの「障害者自立支援法」という法律は成立してしまいました。なんでこんなものが成立してしまったのかと言えば、それは「自立」に関する錯誤がこの国にはびこっているからとしか考えようがありません。

⑪ ある自治体では、「生活保護の打ち切り」が問題になりました。生活保護を打ち切られた結果、餓死してしまった人がいて、それで「問題」が大きくなりました。その自治体は、「私は自立を目指すので、生活保護を辞退します」という文書を本人に書かせて、生活保護を打ち切っていたからです。


⑫ 「自立したい」は、意思とか願望の問題で、まだ自立が出来ていないから、生活保護を申請したのです。生活保護は、「まだ意思だけでしかない自立」を実現させるために必要なのです。それを、「自立の意思あり」だけで「支援の必要はありませんね」としてしまうのは、無茶苦茶なことです。でも、それが罷り通ってしまうのです。なぜでしょう?

⑬ それは、「自立する」と言ったら、もうそれだけで「その人間を放っといてもいいのだ」と、日本人が考えてしまうからです。つまり、相手の能力の有無を考えず、その相手に「自助努力」を一方的に強制してしまうからです。「あんたは“自立”と言った。だから、あんたにはもう自己責任が発生している。もうこっちには関係ないからね」という、とんでもない論理のすれ違いが起こっているということです。

(中略)

「自立」が社会を占拠する
⑭ 今の日本社会の救いのなさは、こうした「錯覚による自立」が社会を占拠した結果だろうと思います。「自分にとって自立というのはどういうことなのか?」を考えるのがけっこう面倒臭いというのは、「その自立した自分と他人との関係はどうなるのか?」という面倒な問題が控えているからです。「自立する」を考えると、「自分で自分をなんとかしなくちゃ」の方向にだけ行ってしまって、「他人との関係をどうするか?」がおろそかになりがちです。だから、「自分は自分なりにちゃんとしているつもりだけど、人間関係が不得意」という人が増えてしまうのです。これはおそらく、「このレースに脱落してはならない」という、受験競争激烈時代の名残りです。

⑮ 「お前がちゃんとしていなければいけない」は、「お前一人がちゃんとしていればいい」にもなって、この「ちゃんとしていなければいけない」は、十分に子供へのプレッシャーになります。「自分は“ちゃんとしている“を心がけているのに、あいつはそうじゃない」と思えば、いじめの標的はたやすく発見されます。しかも、その「あいつ」は誰でもいいのです。

今更、人を責めても仕方がない
⑯ 展望のない状況を展望のないままに検討するのは、いやなことです。救いがありません。

⑰ 早い話、「自立に関する錯覚」をそのまま引き受けて社会人になってしまった人間には、もう「どうすればいいのかを自分で考えろ」とは言えないからです。「どうすればいいのかを自分で考えろ」と言われて育った結果、「自立に関する錯覚をそのまま引き受けて社会人になってしまった人間」が生まれたのです。この人達を責めても仕方がありません。この人達に「自分のあり方を考えろ」と言うことは、事態を余計こじれさせることになるだけです。うっかりすると、「悪くない歯までガリガリと削る」ということになってしまいます。

⑱ この行き止まってしまった社会のあり方を考えるために必要なのは、「今の社会を作っている、行き止まってしまった人間のありようを責めない」というところから始まる、もっと別のアプローチだと思います。
(橋本治『日本の行く道』集英社新書、2007年より)

設問1 「医者が減って、病院そのものが消滅してしまう町」が出てきた理由を出題文に沿って考察せよ。また、その解決策に関して君の考えを記せ。(300~400字)

設問2 「錯覚による自立」が社会を占拠した結果、どのような社会現象がおこっているか。出題文に沿って考察せよ。また、その解決策に関して君の考えを記せ。(300~400字)

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(2)解答例

設問1

 地域の格差が進展し、裕福な世帯の若者が就学や就職に際して、より有利な条件を求めて、都市部に移転し、それが出来ない高齢者は地方に取り残された結果、地方では高齢化と人口減少が加速して地方公共団体の財政が悪化し、病院などの社会資本が少なくなっている。こうした課題の解決策として3点挙げる。

 第一に、企業や大学などの教育機関を地方に誘致して、教育や雇用の機会を保障する。第二に、居住地や商業施設だけでなく医療や福祉、教育機関などを郊外から街中へ集約させるコンパクトシティの考え方に基づいて街づくりを行う。

 最後に、格差の原因となっている少子高齢化とこれによる人口減少に歯止めをかける施策である。国や自治体は予算を投入して保育所の増設や保育士の増員などの措置を行い、女性が安心して子どもを産み子育てしやすいような環境を整備することが求められる。(389字)


設問2 

 現代の格差社会は、いったん「中流」の暮らしからはずれたら、元に戻れるチャンスはない、格差が固定してしまった社会である。困難な状況に置かれた人に対しては本人の能力の有無を考えず、「自助努力」を一方的に強制し、自立できない本人が悪いという、個人主義に基づく自己責任論が社会に蔓延している。その結果、相対的貧困率が上昇し、これを背景として子どもの貧困や児童虐待などの社会問題が起こっている。

 貧困問題は本来、行政が社会保障で救済するのが本筋であるが、多額の財政赤字を抱える国や自治体は生活保護の打ち切りなどで支援よりも自立を優先している。公助が期待できず自助にも限界がある。その解決策として共助が挙げられる。子ども食堂などの民間のNPO団体を立ち上げ、地域の課題を住民自らが解決に導く試みが進められている。SDGsの基本理念である「誰一人取り残さない」社会は私たちの手で実現させなければならない。
(400字)


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