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「『下山の時代』の日本人」東京医科歯科大学医学部(保健衛生学科看護学専攻)前期2018年

(1)問題


次の文章を読み、後の設問に答えなさい。

 

①  戦後の日本は、敗戦によって根本的な変革のないまま、戦前を引きずって七十年を経過しました。一時は高度経済成長を遂げ、世界でも有数の「富める国」になり、ジャバン・アズ・ナンバーワンともてはやされた。子どもが増え、労働人口も増え、おまけに寿命まで世界一となりました。

②  しかし、われわれ日本人は、戦後という坂を、すでに登りきりました。経済も人口も、すでに頂点を極めてしまったわけです。

③  そして,はっきりと下山の時代に移行しています。繰り返しになるけれど、まずはそのことを認めるところから始めなければなりません。

④  「坂を登る」とか「下り坂」とか述べてきましたが、国や社会の歴史は――そして、人の一生も――、登山にたとえると、よくわかるように思います。

⑤  国土建設や経済発展に励むのは、文字通りの登山です。脇目もふらず、ひたすら山の頂上を目指して、登り続ける。重い荷物を背負って一歩一歩、無我夢中で登り続ける。人はなぜ登るのか。

⑥  頂上からの絶景を期待してのことかもしれません。今まで登ったことのない高みに到達した、という達成感を求めてのことかもしれません。あるいは、「山頂に向けて急坂を登る」そのこと自体が、目的化している場合もあるでしょう。

⑦  いずれにしても、「ゴール」ははっきりしているのです。

⑧  ですから、体の疲れも、そんなには気になりません。リュックの重さもなんのそのです。多少、「足にきて」も、我慢して歩くことができます。喉が渇いたら、ちょっとだけ立ち止まって、喉を潤せばいい。とにかく、みんなで声をかけ合い、励まし合って、山頂に向かうのです。そうやって歩き続けて、やがて人びとは、ついに頂点を極めるわけです。

⑨  しかし、それで事足れり、とはいかないのが「登山」です。ひとしきり頂上に佇(たたず)んだ後、今度はそこから「下山」しなくてはなりません。それを安全、確実にやり遂げてこそ、「登山」は成り立つのです。

⑩  ところが、世間では山登りにおけるこの後半部分が、軽視というより、ほとんど無視されているように感じられます。「目的は果たしたから、早く帰ろう」という感覚になりがちなのでしょうか。山頂という目標に向かった登りと違って、下山は本当にただの付け足しの、退屈で、無駄で、苦痛ばかりの時間なのでしょうか。

⑪  私は、そうは思いません。下山は、ただの「移動」ではない。むしろ下山こそが「登山」の真髄であり、より重要なプロセスだと考えるのです。

⑫  山を登る時、目の前に見えるのは、例えば曲がりくねった登山道です。胸突き八丁と呼ばれるような急斜面では、視界に入るのは、それこそ山肌だけになります。眼前が開け、目指す山頂が姿を現しても、まだ遥か先です。一本の登山道に連なる人たちの後を追って、黙々とそこに向かって歩みを進めなければならない。

⑬  ひるがえって、下山はどうでしょう。

⑭  眼下には、歩いてきた道ばかりでなく、その周囲の山々も、遠く下界まで見渡せる大パノラマが広がっているはず。場合によっては、中心を川が流れる平野や、その川が注ぎ込む海までの遠景を目にすることができるはずです。

⑮  下り道では、登るので精一杯だった時には振り返って見る余裕もなかった景色が、ひろびろと目の前に展開しているのです。足下の高山植物に気づいたり、低木の茂みから飛び出した雷鳥に驚かされたりというのも、下山の楽しみに感じられる。

⑯  人はまた、「頂点を極める」という目標から解放され、登ってきた時の前かがみとは違う姿勢で麓への道を踏みしめながら、さまざまなことを思うでしょう。自分の人生の″来し方行く末″に思いを馳せるのも、下山ならではの営みなのです。

⑰  言うまでもなく、山には危険が伴います。天候が急変したり、突然周囲が真っ白なガスに覆われたり、ということは高山では珍しくありません。その結果、身動きが取れなくなる、あるいは登山道から外れて迷子になる、という事故が、登山シーズンにはよく発生します。雪崩や落石や火山の噴火に巻き込まれる可能性もあります。

⑱  そうした現実の登山事故が、登っている時よりも、むしろ下山時に多く起こっているのもまた、私たちに何かを教えているように思います。

⑲  体力の消耗や目的を達成した気の緩み、早く戻りたいという焦りなどが、事故を誘発することがあります。下山のタイミングを計り損ねた判断ミス、というケースもあるでしょう。

⑳  何度も述べた、「現在の日本が下山のモードに入っていることを自覚する」意義は、そこにもあるのです。それができてこそ、下山の心構えはどうあるべきか、どのように歩いていったらいいのか、を考えることができるでしょう。

(五木寛之著孤『独のすすめ人生後半の生き方』二〇一七年より)

 

設問1 現実の登山において下山の時に気をつけなければならないことは何でしょうか。筆者の考えを踏まえて書きなさい(五〇字以内)。

設問2 筆者は「下山の時代」とはどのような時代と考えているか説明しなさい。また、日本が「下山の時代」にあるとすれば、あなたは、今後の日本人は何を目指していくべきであると考えますか。筆者の考えを踏まえて、あなた自身の意見を書きなさい(三〇〇字以内)。

(2)考え方

設問1

●危険性
天候が急変した結果、身動きが取れなくなる、登山道から外れて迷子になる、雪崩や落石や火山の噴火に巻き込まれる事故などの危険。

●事故の背景
・体力の消耗や目的を達成した気の緩み、早く戻りたいという焦り
・下山のタイミングを計り損ねた判断ミスなどが、事故を誘発することがある

●下山の際の注意事項

下山の心構えはどうあるべきか、どのように歩いていったらいいのか、を考える


 
設問2

(1)「下山の時代」とはどのような時代と考えているか

●従来の日本

・高度経済成長を遂げ、世界でも有数の「富める国」になり、ジャバン・アズ・ナンバーワンともてはやされた。

・労働人口が増加し、平均寿命が世界一となった。

●下山の時代

・日本は戦後という坂を登りきり下山の時代に移行している。

(2)今後の日本人は何を目指していくべきか

●下山の楽しみ

・余裕を持って景色を見ることができる。高山植物を見、生き物にも出会える。これらの経験は下山の楽しみに感じられる。

・自分の人生の″来し方行く末″に思いを馳せる。

(3)解答例


設問1

天候の急変や雪崩、落石、火山噴火等の遭難事故に備えて安全なルートを確認し早目の下山を心掛けること。(49字)

設問2

戦後日本は高度経済成長を遂げて豊かな国になり、平均寿命も世界一となった。しかし現在の日本は少子高齢化と人口減少を背景に経済成長が鈍化し様々なリスクを抱えている。人口減少は福祉や医療従事者の不足となって現れ、医療現場を逼迫させる。こうした課題に対してAIやロボットなどのテクノロジーを医療現場に導入する一方で、看護や介護といったケアの質を高め安全・安心を担保した上で患者のQ O Lの向上を図ることにも目を向けなければならない。平均寿命に加えて健康寿命を延伸させることにより、高齢者が密度の濃い豊かな老後を送ることができるような社会を目指すことが、「下山の時代」を生きる私たち医療従事者に課せられた使命である。
(300字)

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