左耳にふれる彼女の声が、ぼくの体の中をふわりとさせる――「天使は奇跡を希う」045
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『今治タオル工場探訪記』
『フジグラン、ミスドがやたら強い問題』
ノートパソコンの画面に、記事のレイアウトが表示されている。
ぼくたちは部室で新聞の編集作業をしていた。
「写真、このへんか?」
「そうね」
いつものように成美と横並びになってソフトを操作していると、
「おおー……」
うしろからのぞき込む星月さんがストレートに感嘆する。
「すごい、ほんとの新聞みたい!」
左耳にふれる彼女の声が、すぐ近くにいるという感覚が、ぼくの体の中をふわりとさせる。春の空気を吹き込んだ風船みたいに。
「べつに編集ソフトでやるだけだし」
「わたし、こういうのぜんぜんだもん」
ちょっとした会話で、ものすごくテンションが上がる。
あの工場見学のとき以来、ぼくはこんなふうになっていた。
「ちょっとだけやってみるか?」
そして懸命に、なんでもないフリをしていた。
「さわったとたん、ボンッ! ってなったりしない?」
「昭和かよ」
こうしてツッコむやりとりが、きれいな石をみつけたように嬉しい。
ぼくは席を立ち、星月さんに座るよう促す。
「じゃあその見出しを選択して、クリックしたまま下に……スマホやってるから、わかるだろ?」
「こう?」
「そう。で、そこでフォントいろいろ変えられるから」
「あっ、字の形が変わった! へえーっ」
変わっていくフォントの形を見ながら、ほう、と言ったり笑ったりする。その声が、横顔が、眩しかった。
ガララッ。
引き戸が勢いよく開く。
「おーやってるな」
健吾がユニフォーム姿のまま入ってきた。
今日は普通に野球部だけど、時間をみつけてはこうしてまめに顔を出す。
「何やってんの、ほづきち?」
星月さんの横から画面をのぞき込む。
「パソコン教えてもらってたの」
二人の口調はすっかりくだけている。
「『今治タオル工場探訪記』ねぇ」
読み上げた健吾がにやりとし、
「ちょっといい?」
身を乗り出し、タイピングを始める。その肩が星月さんとくっつく。ぼくの胸がチクリとする。
健吾が見出しに、こう言葉を付け足した。
『今治タオル工場探訪記 ~あっ、やわらかい~』
星月さんが、ぷっと吹き出す。
「……あっ、やわらかい……ふわ、ふわぁ~」
健吾が、もはや原型ゼロのモノマネをする。
「ふわあーーー」
とたん、星月さんが大口を開けてのけぞった。声を出さずに上体をがくんがくん震わせて笑っている。
「……ご、ごめんっ……ナルちゃん、ごめんねっ」
星月さんは謝りつつ、まだ息苦しそうにしていた。
健吾がそこまで彼女からウケを取ったのが悔しくて、なんだか焦って、ぼくもなんとかして彼女から笑いを取ろうと頭を回転させる。と、ぼくはなにげなく視線を移し――
成美と目が合った。
瞬間、成美はただの偶然とばかりついと逸らす。
そういえばこのときまでぜんぜん成美を見てなかったと、ふと思った。
「やめてよ」
成美が健吾のタイプした字を、一字ずつ削除している。
七月隆文・著/前康輔・写真