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お米の匂いがするね――「天使は奇跡を希う」016
道路の端っこにある、車と歩行者を分ける白い線。
それに水色の線がくっついてストライプになっている。
「これがしまなみ海道を示すラインなんだよ」
背中越しに星月さんの声が聞こえる。
二人乗りなんて何年ぶりだろう。
一人乗りとは違う重心。ペダルの重さ。
いつもは風通しのいい背中にある存在感と体温。
ぼくの腰にそっと回された細くてやわらかな腕の感触。
そして──
「春からこっちに引っ越してきたんだけどさ」
「うん」
顔を合わせない、近い距離の会話。
「小三から小四まで、一回住んでたんだ」
「そうなんだ!」
声、でかいな。
「ねえ、どんな感じだった?」
ずいぶん食いついてくる。
「どんな感じ……」
「思い出とか」
ああ。
「みんな、すげえ歓迎してくれたな。『東京から? スゲー!』みたいな感じで。いろいろ聞かれた」
「たとえば?」
「東京でも漫画のワンピースって流行ってるの⁉ とか」
「そりゃ流行ってるよねぇ」
「まあな」
二人でくすくす笑う。
わきの車道を時折車が通りすぎていく。
片側には田んぼと住宅があり、もう片側にはJRの線路が続いている。
まっすぐな道に敷かれた水色のラインに沿って、ぼくはペダルをこぎ続ける。
「それでそれで? 歓迎会的なこととか、やった?」
「やった。健吾―― 一組の野球部やってる友達がそのときクラスメイトで。
中心になってやってくれたよ。ぼくの誕生日も近いから、それも兼ねて」
「へえ。どんなことしたの?」
ぼくは思い出す。
「健吾の家でやって……みんながプレゼントくれたんだ」
広い日本家屋のリビングで。テーブルには鯛の刺身とかせんざんきとか
地元の名物料理が並んでいて、それを食べたあとみんなが列を作って渡してくれた。
当時流行ってたキャラの文房具とか図書カード。あんなに一気にたくさんプレゼントをもらったのは人生で初めてで、これからもないかもしれない。
中でも特に印象に残ってるのが……
「今治タオルで作ったバースデーケーキをもらったなぁ」
「……タオルのケーキ?」
「ああ。白いタオルをロール巻きにして、スポンジに見立てて、
ちゃんとケーキみたいにしてたんだ。えっ、てなって。記憶に残ってる」
「それは誰にもらったの?」
誰だったかな。
……ああ。
「成美だ。うん。ほら、部室にいた。あいつもそんときからの仲でさ」
「そっかぁ。なるほど」
笑顔でうなずく気配がした。
道はまだまだ、まっすぐ。
田んぼではすっかり実った稲穂が垂れていて、乾いた香ばしい匂いがした。
「お米の匂いがするね」
「ああ」
「あの踏切、かわいいね」
「まあ、わかる」
休日の朝の穏やかな気配。
「じゃあ今治は、思い出の地なんだね」
「うん」
「戻ってきて、嬉しい?」
そのとき、後ろから電車の音が聞こえてきて、すぐにわきの線路に流れ込む。
過ぎていく車窓がかすかに透けて、ほとんど乗ってないなと思っているうちに最後尾が遠ざかっていった。
余韻が走ってきた自動車の音と混ざり合い、そのどちらもが消える。
「……また戻ってきたのは、理由があってさ」
気づくとぼくは、そんなことを口にしていた。
どうして話そうとしているのか。
ひたすらまっすぐ進むだけの退屈を埋めたいと思ったのか、それとも誰かに話したかったのか。心のハードルが下がっている自分をぼんやり意識した。
「クラスでいじめがあったんだ。中三のとき」
七月隆文・著/前康輔・写真