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ぼくはもう、限界かもしれない。――「天使は奇跡を希う」002

 第1話 神様いそうだね

   1

 星月さんがここ、愛媛県今治市の第一高校に転校してきたのは今からひと月前。二学期の初めからだった。

 彼女が転校してきた日のことを、ぼくは忘れない。

 『星月優花です。よろしくお願いします! ユーカって呼んでください!』

 白い翼を持った女子が満面の笑みで黒板の前に立ったとき、ぼくはなんのコスプレだと思って吹き出し、同じ戸惑いを浮かべてるだろうクラスメイトたちの反応を見た。

 ……あれは、世界で突然独りきりになったような瞬間だった。

 

 みんな、あれを認識していない。

 

 クラスメイトと先生に探りを入れた結果、ぼくは自分が異常になってしまったのではというとてつもない不安を抱えることになった。映画で観た数学者のような幻覚症状に罹ってしまったのかと授業が耳に入らず、ストレスで体の感覚が消えた。

 でもその昼休み、後ろから歩いてきた女子に星月さんの羽がぶつかった。

 女子は「え!?」となり、ここに何かがあったと騒いだ。

 結局あいまいに終わったんだけど、星月さんのごまかす態度を見て、ぼくは………ものすごく安堵したのだった。

 

 とはいえ、ぼくにしか見えていないことの不可解さと、落ち着かない気持ちは変わらずあり続けている。

 どうして翼のある女の子――たぶん天使――が、正体を隠して今治の高校にやってきたのかはわからないけど、とにかくぼくが選んだ行動は「気づいてないふり」だ。

 だって、他のみんなが見えていなくて、彼女もそのつもりで学校に来ているのだから、そうするのが一番だ。

 こんな日常を飛び越えた相手に踏み込んでいけば、どうなってしまうかまったく予測がつかない。好奇心がないといえば噓になるけど、やっぱり不安の方が大きかった。

 だからスルー。ぼくは何も見えてなんかいない。彼女は毎日楽しそうだし、ぼくも平穏でいられる。これが一番。

 だというのに。

 あいつは自分が天使であることをネタにしたような、ツッコミ待ちとしか思えない言動を繰り返し、ぼくに苦行を強いてくるのだった。

「ビスマルクが推し進めた、鉄血政策というのは……」

 好きな世界史を受けていたとき、隣の佐伯さんから手紙を渡された。

 佐伯さんが目線で前を示す。そこには星月さんがいて、ぼくに向かって笑いかけてきた。

 くりっとした瞳をわざとらしくぱちぱちとさせ、こちらがつい力を抜いてしまう愛嬌を金粉みたいに光らせる。

 彼女が平均以上のルックスでナルシストキャラをやりつつ、それでもクラス一の人気者でいるのは、この天性の愛嬌と、わたしカワイイ的なことをやった直後に必ず「怒らせてないかな」とまわりの反応をそっと窺う、武道の残心に似た目配りがあるからだ。

「…………」

 手紙は小さな紙を二つ折りにした、女子が普段やりとりしているような変哲もないものだった。

 開こうとして、ぼくはふいに緊張する。

 いったいどんな内容だろう。こんななにげないふりをして、実は怖いことが書いてあるんじゃないだろうか。お前にだけ翼が見えてることは気づいてるぞ──とか。

 ぼくは息を止めながら、ゆっくりと紙を………開いた。

 

  今日の田中先生、やたらテカってない?

  微笑みさえ罪なエンジェル♥ ユーカより

 

 ぼくはもう、限界かもしれない。


七月隆文・著/前康輔・写真 

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