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そうしてまで、優花が叶えたいこと。彼女の願う奇跡、それは――「天使は奇跡を希う」049
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星月優花は、駅前で彼と別れ、一人で歩いていた。
彼女が毎夜、必ず立ち寄る場所へと。
駅を越えた通り沿いにある、成美のパン屋。
その隣に建つ、今治タオルの小売店である。
閉店した店のわき、パン屋との間にある狭い通り道に優花は佇み――
二階の窓を見上げている。
そこには明かりが灯っていて、彼女の両親がまだ起きていることを示していた。
ここは優花の家だ。
だが今は帰ることができない。
もしそうしたなら、父と母は知らない他人が入ってきたときの顔をするだろう。
なぜなら、優花の存在を忘れているからだ。
両親だけではない。
今の優花は『世界から忘れられている』。
本当は、成美も健吾も―――新海良史も小学三年生のときからの幼なじみである。
そのときの優花は、天使の羽など持ってはいなかった。
ほどなく、優花はその場を去った。
いつものコースをたどり、夜を明かす場所へと向かう。
三島神社。
狛犬の間を抜け、鳥居をくぐり、長い石段を踏む。
こうして上るたびに、良史と二人きりで上ったあの日のことを思い出す。きらきらと幸せに満ちていた、はるか遠いあの時間を。
頂上に着くと、小さな社が鎮座する狭い境内がある。
か細い灯りのつくばかりの薄い闇に──――見慣れた悪魔が待ち構えていた。
悪魔は、小男の外見をしている。
肌は焼けたように浅黒く、毛の量が多く、目玉のぎょろりとした中年男性の外見。
優花の姿を認めたとたん、歯をむき出す獣のような笑顔を作った。髪型含め、入口の狛犬にそっくりだと優花はいつも思う。
「どうもお疲れさまです」
悪魔が愛想よく言った。
「……何しに来たんですか」
「もちろん御挨拶に。差し入れです」
和菓子店の手提げ袋を持つ、その手首から先が――真っ黒い。
それは染料で塗りつぶした黒ではなく、空洞の闇。そこだけ世界が裂かれ、裏側の穴がのぞいている魔境の輪郭。
彼は、正真正銘の悪魔である。
「このみたらし団子、おいしいんですよ?」
全身から信用のできない気配がにじむ。
ただの胡散臭い人間に限りなく似た―――別のいきもの。そのわずかな齟齬が不気味で、体の芯を寒くさせる。
優花が動かずにいると、彼はむき出した歯を隠し、袋を引いた。
なぜ優花が今、世界から忘れられているのか。
それは、彼と交わした一つの《契約》が関係している。
それは、優花の魂を担保に彼女の願う奇跡を実現させるために乗った―悪魔との賭(かけ)。
その勝利条件は、契約の力によって消失された存在の回復。優花のことを他人に思い出してもらう。
具体的には、
『三〇日以内に、新海良史が星月優花を思い出すこと』
である。
もし負ければ、彼女の魂は悪魔のものになる。
そうしてまで、優花が叶えたいこと。希(こいねが)う奇跡。それは―――……
事故で死亡した新海良史を生き返らせること、である。
七月隆文・著/前康輔・写真