「送る」とっさに口にしていた。言い訳だと自分の中で感じながら――「天使は奇跡を希う」047
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深夜になって、新刊を買っていないことを思い出した。
それを自覚すると、今の気分を紛らわせる刺激がほしくなって、ぼくはすぐに家を出た。
暗い道を自転車で走る。商店街の書店はとっくに閉まっているから、ファミマに向かう。人気作だからコンビニでも置いてるはずだ。今は少し遠回りしたい気分で、ちょうどいい。
港は人影もなく、夜の海が持つ原始の怖さを浮標(ブイ)や建物の灯りがちかりちかりと和らげている。その広い視界が、燻(いぶ)されたようなぼくの心をほんの少し解き放ってくれる感じがした。
海を過ぎると、ライトアップされた今治城とファミマが見える。
星月さんがいた。
ファミマの壁の、明かりがぎりぎり届くか届かないかのところで、座っていた。
彼女をみつけた瞬間、ぼくの中にあった靄が消え去る。弾むようにペダルを踏む。
「何やってんだよ」
目の前に来たぼくを、星月さんがぱちりと見上げる。
「おー、ちわっす。新海くんこそ」
「ぼくは、買い物だよ」
「ユーカは絶賛、ぶらぶら中だよ」
「…………」
星月さんはあっけらかんとした顔でいる。たしかに前にも聞いたし、ぼくも天使だからと納得した。
でも。
「……危ないだろ、やっぱ」
今はそんな理屈も忘れて心配になった。夜中ずっと、彼女が一人で外にいるっていうのは。
「なんかあったらどうすんだよ」
「平気だって」
「平気じゃない」
とはいえ、彼女には夜を過ごす場所がない。
――そうだ。
名案だと思った。
「だったら、うちに――ぶッ⁉」
羽先を顔面にぶつけられた。
「今『ぼくの家に来るか?』とか言おうとしたでしょ? エロい!」
「ちげーよ! 普通に心配してたんだよ!」
「彼女いる人が、そういうこと言うのは駄目です」
おどけた調子ながら、星月さんからははっきり一線を引く意思が伝わってきた。
その線に、ぼくは言い知れない痛みを感じた。
と、彼女が地面に手をつけ、立ち上がる。
「じゃあ、また明日」
「どこ行くんだ」
「朝まで過ごす場所、一応あるんだ」
「どこ」
「内緒。静かでいいところだよ」
言って、去ろうとした。
「送る」
ぼくはとっさに口にしていた。
「危ないから」
言い訳だと自分の中で感じていた。
心配なのは噓じゃない。でもそれより何より――少しでも一緒にいられる時間を延ばしたい、という願いだった。
星月さんは、どうしようかというふうに目線を上げる。
「途中まででいいから」
滑稽なくらい必死だった。
「……じゃあ、駅のあたりまで」
彼女が笑う。
ぼくの胸の内が、軽やかな空気に満たされる。
彼女がぼくの自転車の荷台を見てきた。
二人乗りをしたら、駅まであっというまに着いてしまう。そう気づいた瞬間ぼくは、
「歩いていこう」
と言っていた。
「暗いし危ないし――そう、いきなり羽バッサバッサやりそうだからな」
「やんないよ」
「いーや、やる。げらげら笑いながらやる」
憎まれ口っぽく言う自分が止められない。
彼女はむぅと唇をとがらす。
こんなやりとりが、世界で一番嬉しいことのように感じる。
七月隆文・著/前康輔・写真