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人生百年時代、骨董商ミッシエルとの出会い、フランス骨董事情

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ブロワ城訪問そしてミッシェルの骨董店へ

パリから南下してブロワの町に到着しました。ブロワ城を訪問し,ギーズ公暗殺の絵画を見ました。ブロワ城訪問は2度目です。なぜかアンリ3世とギーズ公確執の事件に惹かれていたのです。
ブロワの町の中心部を通り抜け、ロワールにかかる橋を渡り、下流に向かて約1キロメートル、行くと骨董店がありました。
ここがミッシエルの店だったのです。伊万里の大皿と壺そしてデルフトの皿と中国の壺を2000ユーロで買いました。
スクータに積んではいけないのでミッシェルに預けておくことにしました。
70日間のスクーター旅行の後、再訪問し日本に持って行く荷物つくりを手伝ってもらったり、リヨンでケガした傷の手当のために病院に連れて行ってもらったりして親しくなったのです。そしてこの次のスクーター旅行までスクーターを預かってもらうことにしたのです。
この3年後に再訪問し、ミッシェルの仕事を3日間手伝い、ミッシェルの家に泊めてもらったのです。
このようなことによって知りえたフランスの骨董事情について書いてみます。 

フランスの骨董事情

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ミッシェルの仕事は多岐にわたるのですがメインは古い家具の修理、販売です。広い店のスペースの大部分は古い家具です。テーブルの上や、戸棚の中にガラス製品、陶磁器、ブロンズ像等は並べていますがメインは家具です。広い敷地の中には家具修理工場そして大量の家具部品を収納した倉庫がありました。
フランスでは古い家具を大切にしています。新しい家具よりも値段が高いのです。
良い材料を使って丁寧に作られたアンチックもしくはビンテージの家具は修理しながら使えば、長持ちするのです。

私が手伝った時のミッシェルの仕事は、一戸建ての家を維持しがたくなった老夫婦がアパート住まいをするのを手伝うことでした。
いらなくなった大きな家具を引き取り、アパート住まいに適した家具を提供していたのです。
日本と違って、店にくるお客も夫婦連れが多く、妻の方が主導権を握って家具を見て回っています。
ミッシェルは忙しい。店で家具や骨董品を売り、工場で家具を修理し、快適な住まいづくりをするコーデイネイター役もこなしています。   
新婚夫婦の新居づくり、壮年夫婦の一戸建て住居作りの際にも、相談にのってあげながら商売をしているのでしょう。「部屋をこんな風に家具を配置して、快適な空間づくりをしてはどうですか?」と薦めていると思います。店の一区画はそのためのショウルームのようになっていました。
町の中心部にある観光客目当ての骨董店は日本の西洋骨董店とほぼ同じですが。町の中心部から少し離れたところに位置する骨董店にはミッシェルのような店が見受けられたのです。ルブランという小都市の骨董店、クレルモンフェラン、カルカッソングの骨董店はミッシェルの店と似ていました。
かなり、もうかっているようです。店兼修理工場は町のはずれにあり、住宅は町の中心部であるブロワ城の近くにあります。ミッシェルは自分の住宅を「プチシャトー」と呼んでいました。堂々たる家です。そのほかに、スイスにシャレー(山小屋)を持っているとのことです。 

私はミッシェルの店に弟子入りして、以下のことをしたいと考えました。
①ミッシェルの店で手伝いながら、フランスの骨董事情を知る。
骨董、古い家具の利用という窓を通して、仏蘭西人の生活信条、生き方をレポートしたい。
料理、バカンス、住居における快適な空間づくり等、生活を楽しむことに熱心なフランス人の生活に密着してレポートしたい。
②ミッシェルは私に「日本とフランスの間で二人で商売してみよう」と持ちかけたことがある。私が「無給で、仕事を手伝いたい。家か店の2階に家賃なしで住まわせてほしい」と言えば喜んで承知してくれたと思う。慣れてきたなら、フランスの物を日本で売り、日本の物をミッシェルの店で売ることもできるだろう。私が持っているコレクションの中で。日本の掛け軸や清朝後期の古陶磁などが売れるかもしれないと考えたのです。
③年に一回、3か月のバカンスを取り、スクーターでのフランス田舎巡りの旅をすることによってフランス人の生活、その風土、そこから生まれる郷土料理についてのレポートを書きたい。
できれば一冊の本を書きたい。日本の農文協が出している県別の郷土料理の本のフランス版のような物を出してみたい。
これは十分、実現可能な計画案でしたが62歳の時、タイ国で今の妻に出会ったことによって実現しませんでした。
ミッシェルの家には3点ほどの骨董品を預けたままです。





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