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道草(10)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その4

 三鷹の上連雀5丁目で行われていた『曙さくら祭』とは一体なぜ生まれたのか。初めて訪れた人や、たまたま遭遇した人は「なんだなんだこれは」ということになる。当然そう思われることを予測していたのか、桜の木々に『曙桜物語』と題して12灯のぼんぼりにその歩みをひらひらと吊るしていた。

 そのぼんぼり物語は、「戦争中、三鷹がまだ麦畑とけやきの林ばかりだった頃、この住宅は出来た」で始まった。続いて、住宅は10列ほどの長屋で構成され、それぞれ井戸があり、8軒が共同で使用し管理をしていたとある。
 ほどなく水道が普及したので、井戸とその周りの空地は返却して欲しいと地主さんから言われた。住民はその空間を手放したくなく、組合を作って空地の借地権を購入することで地主さんの了解を得た。組合は空地に桜を植え、さらに市と交渉して空地を公園として認めてもらい遊具も置かれた。
 「世は自動車時代に入り」借地権が切れる20年経ったときに地主さんから駐車場にしたいからと返還を求めてきた。長屋の状況も変わっていた。大きくなった子供のため自宅の庭に部屋を増築していたので、益々遊園地の緑の空間が大切になっていた。組合員の中には「返してしまえ」という声もあったが、やはりこの土地は守りたいと契約は更新された。
 「狭くても本当に大事な皆の広場だ」ということが改めて確認された。そしてみんなが守った公園に感謝するためさくら祭りをすることになった。「これが曙さくら祭」の誕生だった。
 最後のぼんぼりには「これまでに曙に生まれ、曙に育ち、曙で成人を迎えた人々が沢山いる。その人々はここが故郷だ。故郷には樹木がなくてはならない。この桜を大切にしよう」と記されている。

 実行委員長は森田節男さん。大学の先生で父親は夏目漱石の弟子の森田草平だと話してくれたが、だいぶ後になって、その森田草平が平塚らいてうと心中未遂事件を起こした人と知った。
 この特集にはチークダンスの写真を始め、ひな壇の合奏団、銭湯の主人の山岡さん、(自称)曙横丁三美人、そして祭のフィナーレを飾る仮装行列、桃太郎に扮した森田実行委員長が練り歩く写真を載せた。もちろん『曙桜物語』のぼんぼりも。
 森田実行委員長は「井戸のあった空き地は、組合を作って借地権を購入することで残った。そして20年後もなんとか更新できた。ただ次の昭和68年の更新の保証はない。今、三鷹市に市営の遊園地として市が購入して整備して欲しいと請願を出している。この『曙さくら祭』を見たら桜の木を切って駐車場にすることはなかなかできないと思わせるような祭にしたいし、この180坪の細長く狭い空間が、どれだけ地域の住民にとって大切なのか住民自身が再確認するイベントでもあるのです」と語った。

 イヤー参りました。こういうやり方で地域を変えていくのか。ということで、30歳の青二才は地域ミニコミ新聞づくりの面白さにはまっていくのでした。

メールマガジン『ぶんしん出版+ことこと舎便り』Vol.33 2024/02/19掲載


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