見出し画像

天国での戦争一 (サンプル)

 第一章

 一 始めに 

 日本島(にほんとう)という島がある。かつて、日本国(にほんこく)と呼ばれた島である。

 これからこの島の話を進めて行く前に、この島の成り立ちや、社会の仕組みを説明しておく。

 21世紀の初頭から、石油マネーとレアメタル資源で潤ったロシアは、軍備拡大の道を選んだ。当時、高度成長の真っ只中にあったロシアの隣国中国も、軍備拡大を押し進めた。それに伴い日本は、極東最大の軍港であるウラジオストクおよび、中国は上海の南の海に位置する舟山軍港(しゅうざんぐんこう)を監視するため、空母3隻と、空母の護衛艦としてのイージス艦7隻を建造する旨を発表した。経済的にいえば真のアジアのリーダーとなっていた中国は、日本のこの動きに警笛を鳴らした。

 日本と共に、ロシアと中国の動きを監視し、中国からのクレームに対しても、日本に同調すると思われていたアメリカは、曖昧な態度を繰り返し、ついにはソッポを向いてしまった。

 当時、アメリカの経済は悪化の一途を辿っていた。株価こそは史上最高を繰り返すものの、国内の実質経済、とくに製造業はボロボロで、中間所得層は壊滅状態にあった。数%の富裕者層と、9割以上の貧困層だけで形成された国、それがアメリカだった。

 汗を流さず、金融技術だけで一部者が大金を稼ぐ国に、輝く未来はない。基軸通貨であるアメリカドルの価値は下がり続けた。世界各国の有識者達からは、基軸通貨の変更が声高に叫ばれるようになった。

 さて、困ったアメリカは何をしたかというと、これが面白い事に、表面上では敵対していた中国に擦り寄り、秘密裏に、中国人民元により、ドル資産を、持続継続的に大量購入してもらう契約を取り交わしたのだ。中国もただで契約をしたのではない。アメリカはそれまで、中国が他国との貿易決済に、自国通貨である人民元を使うことを認めていなかった。しかし、それをドル資産の買い入れと交換で、認めたのだ。人民元は、国際通貨としての地位を手に入れたのである。

 時は流れ、面目だけの基準通貨ドルは、ユーロと人民元の前では無力だった。その事実はアメリカ政府を弱気にさせ、かつての世界のリーダーとしての発言力は過去の威光となった。アメリカ政府の政治的発言の全てが、英語圏の企業集団の声を集積したものに代わった。

 EUと共に世界の経済を二分していた、新しい世界の経済リーダーである中国に同調することこそが、アメリカ合衆国の国益を守るうえで、最優先だという答えを、企業集団がだしたのならば、アメリカ政府はその通りに動かなければならなかった。

 アメリカ政府は、日本の空母、及び、イージス艦建造に異議を唱えたのである。

 中国は日本の海域に、連日連夜無断で侵入してきた。それに続きロシアの戦略偵察機が日本の国土の高々度を飛び交った。どちらの国も、一昔前の骨董品での挑発ではなく、れっきとした最新鋭の〝兵器〟と呼べる代物での挑発だった。

 もちろん日本は、これらの挑発にのることもなく、両国を監視し続けた。が、中国の最新鋭イージス艦艦隊が日本の海域を我が物顔で航行してゆくのが普通になると、雲行きは怪しくなってきた。頼みのはずのアメリカは、今や世界の経済を牛耳っている中国に弱腰で、中国の艦隊がアメリカ連合艦隊の庭先であるフィリピン沖に無断で停泊しても、警告するどころか、冷えたビールを差し入れする始末だった。

 結局のところロシアと中国と日本の間で、実際に戦闘は起きなかった。が、日本の空母とイージス艦の建造発表をきっかけに、世界の〝日本飛ばし〟が始まった。早い話が、国家間での仲間外れである。イジメである。

 これまでの世界経済は、太平洋でも大西洋でも、行き着くところは中国だったが、一応その前に日本に立ち寄るのが、暗黙の了解だった。これは、世界に散らばった日本の商社マンや外務省の役人、はたまた製造業の技術者達が日本を飛び出し、世界に残してきた実績と信頼と尊敬の賜物だった。けれどもはや、主観をはさむ余地もないほどに成熟した資本主義は、ヨーロッパ各国、ブラジル、インド、メキシコの日本飛ばしを皮切りに、拍車がかかり、誰にも止めることはできなかった。

 日本飛ばしの余波は、直ちに日本経済へとおよんだ。まずは、21世紀初頭より、法人税の安いアジア諸国への本社機能移転を推し進めていた日本の中小企業が、完全に本拠地を大陸へと移していった。これは、海外に支店や工場を持つという意味ではない。法人の移民という意味である。つまり、海外へと移っていった元日本企業から、日本国への納税はないということになる。輸出産業が国の根幹を支える収入源である日本の税収は大幅に減少し、それに伴い日本国内での雇用も激減した。

 大不況が始まった。

 かつての円高時代に、日本の大企業がM&Aにより買収し子会社化していた海外の企業は、グローバルに展開し、日本国内での収入と、海外の子会社での収入が完全に逆転した。海外からの送金により、日本国内の大企業はなんとか食いつないでいる状態だった。

 税収不足に喘ぐ日本国政府は容赦しなかった。海外からの送金に、多額の手数料を納める法案を可決してしまったのだ。これにより、海外からの送金は、個人や企業を問わず、銀行を通して多額の手数料が国に徴収されることになった。企業内の固定費はますます膨れあがり、大企業におけるリストラはもはや、やむを得ない状況となった。日本国内の雇用はますます悪化していった。

 円安となった為替の波に乗り輸出をしようにも、すでに構築された海外の工場から世界に製品を流通させた方が、あらゆる面でコストが安くあがった。日本国内の輸出向け商品を製造していたほとんどの工場は、その役割を終えたのであった。

 年を追って衰弱してゆく日本国は、国を飛び出した〝移民企業〟に対し脱税行為であると、本拠地移転に猛反発し続けるも、企業のグローバル化が徹底的に行き渡った日本国をのぞく他の先進国からの猛反発にあい、日本国の声は、撃沈された。

 時を同じくして、欧米とアジア各国は、日本企業、それに優秀な個人をすすんで海外に移住させる共同政策を発表した。日本からは、優秀な人材と大企業までもが、従業員とその家族もろとも海外へと移住していった。つまり、国を捨てたのだ。

 〝円〟の価値は落ち続けた。日本政府は、国民も、公務員すらも養っていけなくなった。国家体系が崩壊した日本国は、〝日本〟という島国を放棄し、大陸に渡った元日本国企業に頼らざるおえなくなった。旧日本政府はアジア大陸に土地を借り、〝新日本国(しんにほんこく)〟として再出発することとなった。

 二 放棄された日本列島 

 捨てられた国〝日本〟は、〝ある意味〟では再生の道をたどっていた。人間の手により街にされていた場所は、人が住まなくなり、手入れが行き届かなくなるにつれ、ツタや雑草などの植物に浸食されていった。

 近代社会の目で見れば、街は荒廃する一方ではあったが、しかし、かつての自然に溢れた土地が、自信を取り戻していっているともいえなくもなかった。

 愛知、岐阜、三重と3県にまたがって流れている木曽川、揖斐川、長良川の堤防は、年月が経つにつれ老朽化していった。

 人間の手により強制されていた川の流れは、台風が偏西風にのって東海地方にやってくる秋ごとに流れを変えるようになった。元々は名古屋市街だった場所に、多量の養分を含んだ土砂で形成された自然堤防や、大型の三角州、それに河川敷を出現させた。この土地は、捨てられた国に残された人間達にとって恰好の農地となった。

 最初この土地では、キャベツや大根といったありふれた野菜が栽培されていた。が、ここでの暮らしが『サウス・アメリカ・ハンドブック』という海外版地球の歩き方に掲載されるやいなや、自体は一変した。

 世界中のバックパッカーが、韓国や台湾、それに中国やロシアの漁村でチャーターした漁船に乗り込み、捨てられた島〝日本島〟にやってくるようになったのだ。

 世界的〝廃墟国ブーム〟の到来だった。バックパッカー達は、あらゆるものを日本島に持ち込んだ。ドルにユーロに人民元といった世界で使える通貨はもちろん、コーヒーや酒といった嗜好品も持ち込んだ。物資ばかりではない。最新とされる思想も、持ち込まれた。

 日本島を訪れたバックパッカー達が必ず訪れる〝聖地〟があった。それが〝ナゴヤ〟だった。サウス・アメリカ・ハンドブックの日本島の紹介欄には、〝捨てられた国、ニホントウにあり、旧ニホン人が暮らす集落がある。そこがナゴヤだ!〟と書かれていた。旧ニホン人見学ツアーなるものが、バックパッカー達の間ではちょっとしたブームになった。

 西暦2X43年を過ぎたあたりから、近代化しすぎたインドのコルカタでは物足りなくなったバックパッカー達は、競うように日本島に向かった。

 最初バックパッカー達は、自分達が楽しむ分だけのマリファナを日本島に持ち込んだ。そのうちに、長期滞在する者の間で、大麻の自給自足をする者が現れた。日本島には政府が存在しないのだから、麻薬を取り締まる警察官も当然存在しなかった。路地だろうが空き地だろうが、どこへでも大麻は植えたいほうだいだった。

 マリファナの原材料となる大麻は、温暖な気候であれば、ほっといても育った。たまに自身の尿等を肥料としてやればなお育ちは良かった。長期滞在者達は名古屋を去る前に、ここで暮らしていた地元の若者達に、大麻の種と栽培方法、それにジョイントやハシシの作り方を教えた。彼等が去ったあと、名古屋で暮らす若者が中心となり、大麻栽培が活発化していった。

 木曽三川の流れにより形成された土壌で栽培され、収穫された大麻から作られるマリファナは、最良のトリップを得られるとして、名古屋にやってくる世界中のバックパッカー達を魅了していくようになる。

 評判は人づてやインターネットを通じ、たちまちのうちに世界中に広がっていった。サウス・アメリカハンドブックの改訂版には、〝世界一のマリファナが、とにかく安価で手に入る世界で唯一の場所。それがナゴヤだ!〟として紹介されるまでになった。思わぬ事から外貨を獲得する手段を得た名古屋市在住の若者達は、さっそく気の合う仲間同士で集まり、大麻の栽培に本腰を入れだした。

 かつて大根やネギが植えられていた土地には、天狗の団扇のような大麻の葉が所狭しと並ぶようになった。年を追うごとに栽培技術は向上していった。

 世界中から、この名古屋市へと麻薬のバイヤーがマリファナの買い付けに訪れるようになった。1回に取引される量が、週単位で倍になっていった。名古屋の若い大麻栽培家達の収入は増える一方だった。そのマリファナマネーを求め、海外からは続々と商人が名古屋に訪れるようになった。

 彼等外国人商人は、車や宝飾類、それに武器まで、なんでも揃えて名古屋市の大麻栽培家達に高く売りつけた。ボラれていることに気づいた大麻栽培家達が、外国人商人を私刑する事件が相次いだ。 

 武装した大麻栽培家達どうしの抗争もあとを絶たなくなっていった。名古屋市内全域が、戦場と化していった。

 当初からいた大麻栽培家達は完全にギャングに成り下がり、5歳から60歳に至るまでの男女を奴隷として使い、大麻を栽培させ、収穫した大麻からマリファナを作らせるようになっていった。

 見るに耐えない暴力の連鎖に国連は、平和安全維持軍を名古屋におくりこんだ。ただ弾をばらまくだけで、戦闘の基礎を知らない名古屋市のギャング共は、勢いだけで安全維持軍に立ち向かってゆき、完膚無きまでに返り討ちにされてしまう。

 力が弱ったギャング達に追い打ちをかけたのが、自分達が支配していた奴隷達の発起だった。大麻畑で働かされていた奴隷達は、ギャングを襲い武器を奪い取ると、たちまちのうちにギャング達を皆殺しにしてしまった。そのあと彼等は、名古屋市内に設置された国連平和維持軍の本部に出向き武装解除をした。国連は平和維持軍の撤退とともに、〝仮の統治機関〟を日本島に設立して去っていった。

 その機関が、『暫(ざん)定(てい)自(じ)衛(えい)隊(たい)』である。アジア全域に散らばっていた元日本国自衛隊出身者の子孫を中心に設立されたこの組織は、名目上は日本島の〝治安維持〟をうたっていたが、実際のところは仕事にあぶれていた新日本国の若者の雇用対策として作られた組織にすぎなかった。

 日本島に上陸した暫定自衛隊は、瞬く間のうちに、新しく組織された大麻栽培家達により買収されてしまった。元々は平和維持なんてものに興味の欠片もない暫定自衛隊の若者達が、こうなるのは当たり前のことだったのかもしれない。

 暫定自衛隊のお仕事は、ホント夢のようなお仕事だった。月々支払われる給与には、危険手当なるものが上乗せされ、大麻栽培家達から暫定自衛隊には、暫定自衛隊員達全員の月々の給与よりも多額な袖の下(賄賂)が贈られた。福祉面もなかなかどうして充実しており、暫定自衛隊に所属している者なら誰でも、6ヶ月に1度は精神衛生上、長期の休暇をとり、香港や上海にいかなければならない。とされていた。

 暫定自衛隊が暇を弄んでいる間も、名古屋市内では連日連夜、大麻栽培家どうしの激しい抗争が続いていた。彼等に武器を横流ししていたのが、まさに現場で命を張って抗争を食い止めなければならないはずの、末端の暫定自衛隊員達だった。大麻栽培家達が殺し合えば殺し合うほどに、現場の暫定自衛隊員達の懐は潤った。

 沢山の若い血が流れた。名古屋市内を流れる天白川(てんぱくがわ)や山崎川(やまさきがわ)に、死体が浮いていない日などはなかった。川面に浮く死体には、蟹や海老が群がっていた。この光景を見て気持ち悪いという感情を抱く者は、もうこの島にはいなかった。あまりにもありふれた光景だったから。

 三 新しい力

 元々奴隷層にあった幼児達の年齢が17、8歳になった頃、ある名古屋市の組織に変化がおきた。彼等は従来の大麻栽培家達がとってきた、幹部が10人ほどに対し奴隷が100人くらいとする集団体系から、戦士、農家(生産者)、会計、営業と役職を細分化した組織を作った。これらの組織は、一人のリーダーのもとにみんなが平等な集団だった。

 持続継続的な安定収入と、平和な生活を得るために組織化されたこの集団は、抗争においても連携のとれた素晴らしい力を発揮した。彼等は名古屋市内に乱立していた大小の敵対組織を、次々と席巻していった。

 名古屋市内に乱立していた多くのギャング集団や大麻栽培組織は、毎日のように繰り返された抗争の末、数百もあった中小の組織は壊滅したり、吸収されたりと組織の再編が進み、緑に浸食された街はようやく落ち着きを取り戻していった。

 気づけば名古屋市内の組織は大きく3グループに分けられるようになっていた。

 延構成員人数が5万人を越えるとされる『覚(かく)王(おう)山(ざん)の組(そ)織(しき)』を筆頭に、大麻の栽培技術と確かな流通に長けた『大高(おおだか)の組織(そしき)』。それに純粋無垢な暴力だけを生業としている『栄(さかえ)ルージュ』。この三大組織が、絶妙なバランスのもと、廃墟と化した名古屋市を牛耳っていた。と、同時に世界における麻薬ビジネスの新しいトップランナーとして、今まさに先頭に立とうとしていた。

 四 天国の丘の住人 

 広葉樹林の上に降った雨は、何層にも積み重なった枯れ葉や枯れ枝の隙間に染み込んでいき、バクテリアが分解した腐葉土の中をくぐり抜け、洗われ、天国の丘の北側にある岩肌に沁みだしていた。その清水は、玉砂利が敷かれた池にためられ、主に天国の丘の住人達の、食事や飲料水に使われていた。1年を通して15度にも満たない水で炊く米は、格別だった。

 カミカゼは自宅の土間にある釜戸に藁を盛った。釜戸の上には、清水と米が入れられた土鍋が置かれている。藁に火がつけられた。藁は、目をみはる早さで一気に燃えあがった。藁が燃え尽きる前に、一つまみ、また一つまみと、カミカゼは釜戸に藁を足していった。

 土鍋から、香ばしい薫りと共に、白い泡の混じった水分が吹きこぼれだした。

「赤子泣いても蓋とるなってね―」カミカゼは独り呟き、右手に持っていた太めの棒切れで藁をつつき、釜戸の火を弱めた。

 土鍋は、常時グツグツ音を立て、細かな白い泡を吹いていた。

 カミカゼは、太い棒切れから菜箸のような細い棒切れに持ち替え、土鍋の蓋を棒切れで押さえつけた。棒切れから、カミカゼの手へは、土鍋の中で煮えたぎっている米のグツグツ感が伝わってきた。このグツグツが止まった時、米は炊きあがる。

 徐々に、土鍋からの吹きこぼれの量が減ってゆく。出来上がりも近い。カミカゼは頻繁に、土鍋の蓋に棒切れを押しつける。

「よっしゃ、でけたでけた―」

 カミカゼは、右手に厚手の布切れを持ち、それで土鍋の蓋を持ち上げた。真っ白く、密度の濃い湯気がカミカゼの顔一面にまとわりついた。

「よし、焦げてねぇな」カミカゼは湯気を吸い込み言った。 

 炊きたての米は、素速く土鍋から檜のおひつに移された。そこでしばらく蒸らされる。

 カミカゼは杉の一枚板で作られた調理台の上に置かれた桜の木のまな板に、さっき丘の畑から失敬してきた長ネギを置いた。

「ちょっとカミカゼさん! そんなんで切らないでくださいっす!」畳敷きの和室の方で、ずっと調理を見守っていたヒロトは吠えた。

「たくっ! テメェは男のクセにいちいち細けぇんだよぉ!」

「そんな血まみれのマチェット(山刀)でネギをきざまなくてもいいっす―」

「交戦したあとは、いつも綺麗に洗っております!」カミカゼは言い返した。

「そういう問題じゃないっす」

「鉄分補給にバッチりよ!」

「他人の血で? ああ~」ヒロトは魂の抜けそうな溜め息を吐き言った。

「んなことはどうでもいいからよぉ~、おひつをそっちに運んどいてくれや! それと鰹節を削っといてくれ!」

 ヒロトは土間に下り、おひつを抱え、居間兼、客間兼、寝室として使われている和室におひつを運んだ。

 ヒロトはおひつを抱えたまま畳の上に立っていた。

「おひつは直に畳の上に置きゃぁいいぜ! 押し入れの中にちゃぶ台があっから、だしとけ」

「あ、はいっす―」

 ヒロトは押し入れからちゃぶ台をだした。折りたたみ式の足を出し、和式の真ん中に置いた。直径60センチほどの円型ちゃぶ台は、小柄だがガッチリしていた。

「オーク材なんだぜ、そのちゃぶ台」カミカゼは土間から怒鳴るように言った。

「えっ?」

「オメェ、オーク材を知らねぇのか?」

「はい―」ヒロトは目を伏せこたえた。

「ウィスキーの樽を作る高貴な木材だよ!」

「・・・・・・、そんな外人みたいな木が、なんでこんな場所にあるんすか?」

「あってわりぃのかよ?」

「すいませんす―」ヒロトは、土間からマチェットが飛んでくる前に謝った。

「オークっつぅのはよ、樫の木だとかナラだとかの総称なんだよ。そこら辺に生えてんだろ、樫の木やナラなんて」

「そうなんすか?」

「たくっ! おまえは狙撃手だろ? 狙撃手が森の木を知らなくてどうすんだよ? 敵の狙撃手が森に隠れてたら、自分の木の知識しか頼るものがない場合だってあんだぜ?」

「ぼく、森にはいかないっすから―」

「チッ! 勝手にしろ―」

「そういえば鰹節って」

「ケヤキのタンスの一番右上に削り器と一緒に入ってっから―」

 ヒロトは言われた通りタンスの引き出しを開けた。

「黒い塊があんだろ?」

 ヒロトは引き出しの中をつま先立ちで覗き込み、首を傾げていた。

「なんとなく先がとんがってて、長細いヤツ。その横にあるカンナを逆にした様なヤツが、削り機―」

「ネコの糞かと思ったっす」ヒロトは呟きタンスの中の鰹節(かつおぶし)と削り機を取り出した。

 土間ではカミカゼの男料理が進んでいた。釜戸の上に鉄製のフライパンがのせられた。カミカゼはフライパンを睨み付けている。と、右手に持っていた鯨(くじら)の肉片をフライパンの中に静かに落とした。鯨の肉片の中から油が溢れ出し、熱しられたフライパンを激しく叩いた。香ばしいニオイが、小屋の中に充満した。

「よっしゃ、ここで―」カミカゼはフライパンの中の鯨肉に、胡椒(こしょう)と塩をふった。

「ヒロト、これたのまぁ―」

 カミカゼは、常滑焼きに盛りつけた鯨のステーキと、小鉢をヒロトに渡した。小鉢の中には、イカとワケギを酢味噌であえたものが入っていた。

「今日の晩飯の汁物はなんにすっか昨日の晩から考えてたんだけどよぉ、そこの天白川の河口の方で鰯(いわし)が大漁だっていうもんだから、大高城辺りの漁師から今朝仕入れたんだ」

 カミカゼは、香ばしい湯気を立たせた土鍋をちゃぶ台に置いた。中身は鰯のつみれ汁だった。

「なんか変な箸休めだけど、これもちゃぶ台に運んどいてくれや」

 ヒロトは、こんがり揚がった手長エビの素揚げを手渡された。これをチベットの岩塩で食す。岩塩はとても高価で、カミカゼが中国人の商人から入手したものだった。

 茶碗に米が盛られた。湯気を立てている銀シャリの上に、今しがたヒロトが削った花鰹(はながつお)が無造作に乗っけられた。米の湯気に、透き通るくらい薄く削られた鰹ぶしが優雅に舞っていた。そこにきざみネギが少々ふりかけられた。

「醤油をちょっと垂らしてからやってみろよ」カミカゼは、醤油差しをヒロトに差し出した。「おい、ホントにちょっとでいいぞ。これよぉ、〝下の民〟が作った溜まりだから味が濃いんだわ」

 ヒロトは、花鰹の上のネギの一部を湿らす程度に醤油をかけた。

「よっしゃ! あとは一気にかっ込め!」

 ヒロトは言われた通り、米と花鰹とネギを同時に口の中に放り込んだ。美味い! ヒロトは目を見開きカミカゼを見た。箸の動きが止まっていた。

「ほらほら! どんどんかっ込め! 鰹節が踊ってるうちに食い終わらねぇとおかわりさせねぇぞ!」

 ヒロトは視線を茶碗に落とした。そしてメシをかっ込んだ。噛んでも噛んでも、味が湧き出してくる。これだけで立派な料理になっていた。

 5杯一気にかっ込んだところで、ヒロトの腹も少しは落ち着いた。肋が浮き上がった痩せ形で、身長が150センチにも満たないヒロトだが、その食欲は、天国の丘一だった。

「ほら、鯨のステーキも熱いうちに食え! 昨日よぉ、中川運河(なかがわうんが)の青空市場(あおぞらいちば)にいったら、たまたま常滑沖で鯨があがったっていって、下の民の連中が持ってきてたのよ。たまたま中国の商人が胡椒と岩塩を持ってたもんだからよぉ、今日は絶対に鯨のペッパーステーキをたらふく食うって決めてたってわけよ。さてさて、価格が鯨の肉の10倍もする胡椒をたっぷりかけて、オレも食うかな!」

 ヒロトの箸が再び動き出した。手長エビの素揚げは、細長い手足はカリカリと食感が楽しく、身の部分からは噛めば甘いお汁が飛び出してきた。

 カミカゼ特性の鰯のつみれ汁は、噛むと粒状にされた生姜が口の中を洗い、次から次に放りこんでも、まったく飽きることがなかった。

 幸せとは、こういうことなのかもしれないと、ヒロトは鯨のペッパーステーキをオカズに銀シャリをかっ込みながら思った。

「おいヒロトォ、テメェ聞いたか?」カミカゼは言った。

 ヒロトは目の前の御馳走に夢中になっている。カミカゼの言葉に食べる手を止めようとしない。

「たくっ! テメェのその小さな身体のどこにそんなに食いモンが入っていきやがるんだ―」カミカゼは呆れた風にそう言うと、箸で手長エビの素揚げを掴み、口の中に放り込んだ。

 簡素な作りのカミカゼの自宅の中には、2人の咀嚼音しか聞こえない。たまに皿か茶碗に箸が当たった時に、風鈴の音に似た甲高い音が聞こえる程度で、音らしい音は、本当に2人がモノを噛む音くらいなものだった。

「やっぱりオレ様は目利きだぜ。この鯨最高だな!」カミカゼはステーキを口に入れ言った。

 ヒロトは箸を止め、ジッとカミカゼの方を見ている。正確に言うと、カミカゼの前に置かれた皿の上の鯨のステーキを見ている。

「んだよ! やんねぇぞ!」カミカゼはヒロトの物欲しそうな視線に気づき言った。「もっと味わって食いやがれ、このバカヤロウ!」

 ヒロトはおひつに手を伸し、茶碗に銀シャリをおかわりしようとした。が、おひつはもう空だった。

「食い過ぎだテメェは! たくっ! オレなんてまだ一杯目だぞ?」

「そんなこと言っても、カミカゼさんが食べるのが遅いのがいけないんすよ」

「オメェよ、遅いもなにも、オレが料理してたの見てたろ? 食いながらどうやって調理すんだよ? ええ?」

「そんな目くじら立てて怒ることじゃないっす」

「たくっ―」カミカゼは目の前の料理に戻っていった。 

「カミカゼさん」

「あぁん? オレの鯨はやんねぇぞ」

「違うっす。さっき言いかけたことって何だったんすか?」

「ああ、アレか。アレはオメェ、アレだよ、アレ。覚王山とこの連中が、最近石油を独り占めにしてやがるから、ちょっと懲らしめてやろうかって話しが出てるってことだよ」カミカゼは話し終えると、鯨のペッパーステーキを一つまみ口の中に放り込み、すかさず茶碗の中の銀シャリを、口の中にかっ込んだ。

「懲らしめる話しって、それカミカゼさんが1人で言ってるだけでしょ? ぼくはヤダっすよ。関わらないっすよ!」ヒロトは語尾を強め言った。

「なぁヒロト、男っつぅのはよぉ、やらなあかん時があるんだわ。ちょっとくらい力貸せや」

「絶対それは、〝やらなあかん時〟には入らないっす」

「オメェ、怖(こえ)ぇのか?」カミカゼはオチョクるように言った。

「な、何言ってんすか! 伊達にぼくは大高で狙撃兵をやってないっすよ!」

「ほぉ~、勇ましいこって―」

「そんなことより、その話はボスやマシヤマ君は知ってるんすか?」

「あぁん? オメェはホント馬鹿野郎だな。あんな石頭共に言っても通じるわけがねぇだろ。まぁでも、今回の場合、マシヤマはどうにかなるかもな」カミカゼは左の頬を吊り上げ、口元をニヤリとさせ言った。

 五 暴走か、行動か 

 この世界に石油は余っていた。先進国ではすでに、スマートグリッド化による高効率な電力網は実現化しており、また、石油を原料とする物作りにおいても度重なるイノベーションがおきていた。それに加え、石油に変わる安価な原料が次々に誕生していた。

 石油に頼る時代はかつての固形物燃料の石炭から、液体燃料の石油にとってかわられた時代以上のスピードで、変革し終えていた。ただ、先進国といえど、軍が所有する艦艇の全てを、建造に多額の資金がかかる原子力船にするまでの予算はなく、一部のエリート部隊を除き、旧型の化石燃料を使った機関で航行している艦艇がまだ残っていた。このためだけに、海外資本の石油メジャーの〝化石燃料部門〟が残されているといっても過言ではなかった。

 名古屋市のシバタ地区を西に向かって突っ切ると、いたるところがひび割れしたコンクリート製の護岸にぶつかる。護岸の下には強い海流が流れており、そこだけが女性のウエストのようにクビレタ地形になっているのがよく分かる。対岸の護岸もやはり、今にも朽ち果てそうなコンクリート製の物だった。

 ここにはかつて、大型トレーラーが2台並んで走行できる橋がかかっていた。が、今はない。覚王山の組織が今年の2月に、海外の石油会社が所有管理していた貯蔵タンクを買収した時に破壊してしまったのだ。

 今、対岸の貯蔵タンク群に陸路で行くためには、名古屋高速道路から分岐している名港トリトンにのり、潮見町(しおみちょう)インターチェンジで下車しなければならない。

 覚王山の組織が橋を破壊するまでは、ここは誰でも出入り自由な場所だった。主に伊勢湾内を航行する軍の船舶や、下の民の漁船や商船に売る目的で貯蔵されていた燃料は、郊外の集落でひっそり暮らしていた者達が軽トラックにポリタンクを積んでいっても、大高の組織がタンクローリー車で乗り付けても、分け隔て無く格安で売ってもらえた。しかし今では、燃料を手に入れたくても、対岸の潮見町に渡ることすらできないのが実情だった。

 構成員が500人を越える大高の組織には、タンクローリー車が常備されていた。この大型トラックで運ばれる大量の石油は、日常生活で使われるものではない。全て大麻のビニールテント栽培に使われるものだった。 このまま石油を売ってもらえないまま冬を迎えてしまえば、大高の組織の冬の主軸である大麻のビニールテント栽培に被害がでることは必至だった。

 一方で、バイクや自動車等の日常に使う分の燃料は心配はいらなかった。大高の組織の領地内には、月水金の午後4時過ぎになると、燃料を満載した小型のタンクローリー車が行商にやってきたからだ。この行商人は、覚王山の組織の者だった。

 燃料1リットルあたりの価格は5人民元と、ずいぶんと高価だった。大高の組織が自分達の手で潮見町へと仕入れに行っていたときは、1ガロン(約3,785リットル)あたり約1人民元で購入できたのだから、今はその時の五倍もの燃料代を払っていることになる。

 ちなみにこの世界にはもはや〝円〟という通貨は存在しない。グローバル化、国をあげての企業統合、利便性等から、この世界にある通過は、ユーロと人民元とドルのみである。ドルはかつての経済大国アメリカのプライドのもと、なんとか形はとどめている、といった感じで、ドルを手にした者のほとんどがすぐに闇で、しかも格安でユーロか人民元に換金する。(ドルは人民元による定期的な買い付けにより、基軸通貨の座をなんとか守っていたが、各国の貿易決済はユーロでも人民元でも可能となっており、あまり意味をなしていなかった。)

 大高の組織はもとより、近辺の小作農からも、覚王山のこのやり方には不満の声が上がっていた。各組織の代表者が、覚王山の広報に対し、本格的な苦情を言い始めたのは春の終りで、いよいよ大高の組織が、今年初めての大麻の栽培に向けて準備を開始する頃だった。

 大高の組織では、緊急の幹部会が開かれた。

「いっそうのことやっちゃった方がいんじゃありませんかね」大高の組織で、突撃歩兵部隊の隊長をしているカミカゼは、天国の丘の6代目ボスに言った。

「それはマズイでしょう。うちに勝ち目はない!」参謀長のマシヤマが、興奮気味に異議を唱えた。

 ボスは、腕を組んだまま無言で目をつむり、何やら考えている。

「マシヤマ! テメェは銃が恐いだけだろ? 力には力しかねぇだろぉがぁ!」カミカゼは吠えた。

「『ヘブン・ザ・ヒル』の在庫はあとどれくらいある?」ボスは生産管理部の責任者に聞いた。

「今年とれたてのフレッシュのヤツが半年分に、倉庫に貯蔵してあるのが1年分です。合計で1年半分てとこです」

「・・・・・・そうか」とボス。

「やはり冬に作っておかないと、1年で一番の出荷が見込まれる夏に在庫が切れてしまうかもしれません―」生産管理部の責任者は言った。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 会議室は完全に沈黙した。

「市場への流通量を減らして、なんとか在庫を2年分くらいには伸ばせないか?」場の沈黙を破ってボスは言った。

「そんなことをしたら大変です! 今市場での流通量を減らすなんてことをしたら、覚王山の組織の連中に市場を完全に独占されてしまいますよ!」生産管理部の責任者は声を荒らげ言った。

 大高の組織がマリファナを出荷しているのは、名古屋市港区は金城埠頭(きんじょうふとう)にある麻薬市場だった。ここには世界中から上質の麻薬を求め、昼夜を問わず麻薬仲買人達が集まってくる。アジア大陸に転居した旧日本の大手ゼネコンの手で建造された全天候型アーケード式の麻薬市場は、超高効率な太陽光パネル式発電システムにより稼働している照明と空調システムを備えており、365日快適な環境が維持されていた。市場の中では、24時間どこかで競りが行われており、そこには秩序があった。

 ところで彼等が話している『ヘブン・ザ・ヒル』とは、大高の組織が世界に誇るマリファナのブランド名である。ヘブン・ザ・ヒルの歴史は、〝ケンジとコジマさんの丘〟と呼ばれる畑から始まった。

 天国の丘の中で一番の北側に位置するこの丘は、防風林用の雑木林が北側から南をまたいで西側に達しているため、1日に作物にあたる日光は、夏至を迎える6月の初夏の下でもよくて3時間といった最低の土地である。

 地面も元々はアスファルトで舗装された公園の駐車場をむりやりほじくり返した場所で、いたるところに黒いアスファルトの欠片が転がったままの荒れ地だった。

 元は大高の組織の兵隊だったコジマさんが、戦いの恐怖から逃れるために自ら選んだのが、農夫としての道だった。そして組織から彼に与えられたのが、この荒れ地だった。

 栄ルージュとの戦闘で、9歳の息子を亡くした当時のコジマさんには、終始覇気がなく、食事はほとんど摂らず、肋骨が浮き上がるほど痩せ細り、たまに口に入れるのは息子の遺骨に備えていた乾燥米くらいで、ホントそれは空気を吸う屍といってよかった。

 彼は一本の苗を荒れた丘に植えた。それは、栄ルージュに襲われた時、9歳の息子が命をかけて守り通した大麻の苗の中の一本だった。息をせずに虚空を見上げていた息子の右手に握られていた一本の緑。それがこの苗だった。

 コジマさんにより〝ケンジの苗(なえ)〟と名付けられたそれは、コジマさんや周囲の者の予想とは裏腹に、すくすくと育っていった。太陽光線の当たらない食物の常として、それは光りを探しもとめ細く長く、上へ、上へと伸びていった。

 コジマさんがケンジの苗を不毛の土地に植えた年は、あらゆる意味で奇蹟の年となった。今までミニトマトだって育たなかった土地に植えられたケンジの苗は、蝉の鳴き声がアブラゼミからツクツクボウシに変わる8月の終り頃、見た目の軟弱な茎や葉からは想像もできなかった見事な〝バッツ〟を実らせた。バッツとは、大麻の葉と茎の間から伸びる萼(うてな)のことで、ようするに花の〝ガク〟のことである。人をハッピーにするマリファナは、主にこのバッツの部分を乾燥させて作られる。

 当時コジマさんの手伝いをしていた農夫は、今もなお天国の丘に引き継がれているひょろ長く伸びたケンジの苗を見上げながら、「あまりに栄養がねぇもんだから、養分のほとんどをバッツに集中させたんだろうな―」と呟き、独り当時を振り返る。

 直径3センチ程でも立派なレベルにはいる大麻のバッツだが、ケンジの苗からとれるバッツときたら、かるく直径5センチを越えるものばかりで、なかには直径10センチに迫る超特大のモノまで収穫することができた。今までこんな巨大なバッツなど誰も見たことはもちろん、聞いたこともなかったものだから、大高の組織の人間達の慌てようったらなかった。 なかでも当時大高を仕切っていた初代のボスは、「およそ人間が口に入れるモノで大型に育つモノっていうもんは、だいたいが大味だ」と言い、ケンジの苗から収穫された超特大バッツに期待をよせていなかった。が、天日干しが終り、カサカサに乾燥したケンジの苗からとれたバッツで作ったジョイントを吸ったボスは目をこれまでかとばかりに大きく見開くと、そのまま白目を剥き、後頭部から地面に卒倒してしまった。

 初代のボスは1時間ほど倒れ込んだまま動かなかった。ボスを起こしたり介抱しようとする者は、ただ一人として現れなかった。つまるところ、その場に居合わせた者全員が、ケンジの苗からとれたバッツでキマリまくってしまったのである。

 彼等の目に見えるモノは何もかもがカラフルで、クロワッサンのような羊雲が浮かんだ秋の空には、何百何千という虹色の橋が架かっており、その虹の橋の始まりはどれもこれも、キマリまくった彼等がへたり込んでいる丘の上から空の彼方へと伸びていっていた。

 彼等に見えた光景は、まさに天国だった。初代のボスは「天国の丘だ、ここは天国の丘だ~!」と真剣な表情で叫びちらしていたという。このボスの一言がきっかけで、今まではただの〝大高緑地公園跡〟と呼んでいた大高の組織の根城を、〝天国の丘〟と呼ぶようになった。そしてケンジの苗からとれたバッツは、2XX3年オランダで開催された世界バッツ見本市で最優秀賞を受賞した。これを機に大高の組織の『ヘブン・ザ・ヒル』は、世界に広まっていった。2X2X年あたりから世界で続いていた遺伝子組み換え大麻の世界的トレンドは、再び純粋な種から栽培された大麻へと変わっていったのである。

『ヘブン・ザ・ヒル』ブランドを擁する大高のマリファナは飛ぶように売れるようになった。大高の組織は、以前のように廃墟と化した名古屋市内をうろついている米兵や、ギャングの密売人などに、マリファナを安く卸す必要もなくなった。持続継続的に大金が転がりこむようになった大高の組織は急速に拡大していき、今現在の500人体制になるまで2年とかからなかった。

 会議室内は沈黙していた。カミカゼが、激しい貧乏揺すりをしているため、会議室の机の上に置かれた湯飲みの中の韓国製コーン茶は、小刻みに揺れていた

「やっぱりよぉ、覚王山のヤツらをやっちまうのが手っ取り早いぜ!」カミカゼは苛立った口調で言った。

「だから、せっかく商売が順調なのに、わざわざ抗争なんてをして、今まで積み重ねてきたものをパァにする必要性はどこにもないでしょ?」マシヤマは皮肉に満ちた口調で言った。 

「オメェになんて言ってねぇよ!」カミカゼは横目でマシヤマを睨み付け言った。

「参謀長として、無謀な作戦を認可するわけにはいかないんです!」マシヤマは強い口調でカミカゼに言い返した。

「たくっ! いつからオメェが参謀長になったんだよ。自称もいいとこだぜ―」カミカゼは言った。「マシヤマぁ~、オメェ早いとこシンガポールに帰った方がいいぜ―」 

 マシヤマとカミカゼのやり取りに、ボスや他の幹部の面々からは溜め息が洩れた。

「まあとにかく、ここはなんとか穏便にいきましょうや。マシヤマさんが言われる通り、今ここで事を起こすのは馬鹿げていますよ」突撃歩兵部隊の曹長が、カミカゼをなだめるように言った。

「たくっ! どいつもこいつも根性がねぇというか、度胸がねぇというか。なにもオレはよぉ、覚王山の連中を皆殺しにしようって言ってんじゃねぇんだぜ! 潮見町一帯を覚王山の魔の手から〝解放〟しようって言ってんだぜ!」カミカゼは興奮気味に言った。

「同じ事でしょ。こっちがちょっかいをだしたら最後、相手は待ってましたとばかりに全面戦争を仕掛けてくるに違いありませんよ―」マシヤマは言った。

「たくっ! オメェの兄貴は強くて勇敢で人徳があったぜ! それに比べてこのもやしっ子は度胸の〝ど〟の字もねぇや、まったくよぉ―」

 マシヤマの兄であるユウジは、大高の組織にあって過去最高のボスと言われた逸材だった。が、そんな彼も、20年と3年を生きてあの世へと旅立ったのだ。その死は謎につつまれおり、名古屋界隈では、いくつかの仮説が転がっていた。

 中でも一番有力な仮説は、覚王山の組織に暗殺されたとするものだった。天白川の河川敷で見つかったユウジの亡骸は、首がはねられ、身体には、これでもかというくらいの銃(じゅう)痕(こん)があったという。穴だらけの死体が土手にたてかけてあったことから、おそらく死んでから射撃の的にでもされ、弄れたのだろうということになっていた。

「兄さんと私は、実際にはまったく接点がなかったんだ。兄さんと私を比べる方が間違っている!」マシヤマはムッとした表情でカミカゼに言い返した。会議室にイヤな空気が漂った。ボスがその場に立ち上がり、両手で机を叩いた。全員がボスに視線を向けた。

「今日のところは解散だ! 来週また会議を開く。それまで各自、良い案はないか考えておいてくれ! それとカミカゼとマシヤマ、おまえらはもっと冷静になれ! いいな!」ボスは言うと、従卒役の少年を引き連れ会議室から出て行った。

 会議の終わった晩、カミカゼはコソコソと、けれど慌ただしく動いていた。全身を、黒い戦闘服で包んだカミカゼは、天国の丘の見張り役の交代時間を狙って、丘から真っ暗闇の名古屋市内へと消えていった。

 カミカゼの背後には、2人の、これまた全身を真っ黒な戦闘服に包んだ者が続いていた。1人は細長く、もう1人は戦闘服に着られているといっていいほど小さな体型をしていた。

「ヒロト! もう少し静かに歩け! さっきからオマエしゃかしゃかうるせぇぞ―」カミカゼは後ろを振り返り、小さい声で、しかし強い口調で言った。

「だって、だって、これ大きいんすもん―」ヒロトはぶかぶかの戦闘服の裾を掴みながら言った。

「だから私が言ったでしょ! ヒロト君には大きいって! 何が〝大は小を兼ねる〟ですか。めちゃくちゃ不便そうじゃないですか!」マシヤマは先頭を行くカミカゼの背中に向かって言った。

「オメェはごちゃごちゃうるせぇなぁ―」カミカゼはマシヤマの方を振り返り不機嫌そうに言った。

「前方から車が来るっす!」ヒロトは言った。

 カミカゼとマシヤマは、前方に目をやった。上下左右に激しく揺れる車のヘッドライトが遠くに見えた。ガタガタな道を、相当なスピードで走っているのが分かった。

「チッ! こんな時間にあんな場所走ってるヤツらなんてもんは、〝自(じ)警(けい)団(だん)気(き)取(ど)り〟のヤツ等くらいしかいねぇぜ!」カミカゼはツイテナイ、といった感じの表情と口調で言った。

「自警団気取りさんか・・・・・・」マシヤマもカミカゼに続き不安気な声をだした。カミカゼとマシヤマの傍らで、ダボダボの戦闘服を着たヒロトは、何が何だか分らないといった様子で、大きな目をパチくりしては、カミカゼとマシヤマの顔を交互に見上げていた。

 どんな組織にも〝困ったさん〟はいるものである。大高の組織にも自警団気取りと呼ばれる困ったさんが存在した。自警団気取りの組織のなかでの役割は、大高の組織が、天国の丘以外に所有している大麻畑のパトロールだった。

 大高の組織は、名古屋市緑区で一番の広陵地帯である滝の水地区一帯、大府市西の広陵地区一帯、本部から少し離れた知多半島に位置する東浦地区一帯に広がる水郷地帯に、大きな大麻畑を所有していた。それぞれの栽培所には、常に12名1組の機関銃小隊が駐在していた。

 自警団気取りのパトロールとは、この守備隊や、そこで汗を流して働いている農夫達が、農作物を着服していないかだとか、作業を怠けていないかだとかを見張る、言ってみれば現場監督のような仕事だった。

 自警団気取りは、毎日1分の狂いもなく各栽培所を見回った。これだけを見れば、とても真面目で優秀な現場監督ともいえる。が、彼は真面目すぎるがゆえに、ちょっとした悪事でも許せなかった。

 たとえば、女、子供から物を盗んだという理由だけで、その者の片手を日本刀で切り捨ててしまうこともあった。彼は、自分こそが正義であり、自分こそが法律であるから、どんな事件に対しても、自分自身がその場でこしらえた条文にのっとり、被告人に対し判決を言い渡し、かつ、実刑をも行使するのであった。

 彼はいつだって腰から日本刀をぶら下げていた。それこそが彼の正義を実行するうえで一番大事な道具だった。組織の中の少年同士の喧嘩の仲裁にはいったと思ったら、その勘違いな正義を腰から抜きさり、ろくに当事者達の話しも聞かないまま、治安を乱した罪として、少年達を切り捨ててしまうこともしばしばあった。

 自警団気取りはいつも、天国の丘の住人達に〝ミンチマシーン〟と呼ばれている五人組を引き連れている。この五人組は、いかなる時も、鋼鉄製のボディーアーマーを全身にまとっており、いつも肩からは『TK-89』という、中国で開発、生産された突撃銃(とつげきじゅう)をぶら下げていた。 ひとたび五人組の連中が戦闘に突入すると、それはもう見るに堪えない残酷な時間の始まりだった。標的にされた相手には、向こう側がはっきり見える銃痕が何カ所にもわたって開けられ、道端には挽肉状になった人の欠片が鮮血とともに落ちていた。戦闘のあとに道端に転がっている遺体を見ただけで、それが五人組によるものだとハッキリ分かったのだった。

 自警団気取りの朝は早い。この日も陽の出とともに仕事に出かけていた。この日彼等が向かったのは、本部から一番遠い東浦地区にあるショッピングモール跡地の栽培畑だった。JR武豊線跡の高架下をくぐり抜け、荒れ果てた休耕田地帯の一本道を進むと、その先には廃屋となっている巨大なショッピングモールの跡地が見えてきた。

 ここは、すぐ前を境川(さかいがわ)と逢妻川(あいづまがわ)という川が並んで流れており、川幅は軽く1㎞ほどはあった。整備のされることのなくなった堤防は、もう幾度となく決壊し、緑の風に揺れる葦原(あしはら)の中からは、ところどころコンクリート製の土手が顔をだしてはいるのだけれど、もうほとんど人が手を加える前の河川敷に戻っているといってよく、その証拠に、何百メートルと続く立派な葦の群生が、川の岸辺から自然堤防の中腹まで穂先を揺らしていた。

 幅にして約100メートル、長さにしておよそ7㎞はある自然が作り上げた広大な自然堤防の上で、大麻の露地栽培は行われていた。ここでの栽培は、台風等によってもたされる大水が出る前の4月初旬から、9月初旬まで続けられ、最後の刈り入れが終わると、今度はショッピングモールの裏手に広がる広陵地帯に作られたビニールテントでの栽培が主になる。広陵地帯の作物への水やりは、主にエンジンポンプを使っての川からの汲み上げによってされていた。

 廃屋となったショッピングモールの屋上には、川の向こうからやってくるであろうと想定されている敵勢に備えた機関銃小隊の連中が、土嚢を積み上げた陣地を築いていた。

 ショッピングモール跡地に到着した自警団気取りは、殿様のような待遇を受ける。ようするに、コイツを怒らすとややこしいのである。

 みんなから心底尊敬されていると勘違いしていた自警団気取りは、機嫌良く初夏の風が吹き抜けてゆく自然堤防上の大麻畑を見回った。自警団気取りは、広大な自然堤防上を隈無く見て歩いた。全ての畑を見回り終わった頃には、軽く昼を過ぎていた。勝手にシエスタ制度を導入していた自警団気取りは、昼食をすますと昼寝をした。自警団気取りは午後3時には目を覚まし、次の栽培畑へと向かった。

 自警団気取りが全ての仕事を終え天国の丘に向かって出発した時には、すっかり陽は暮れていた。元々はアスファルトの道路だった道も、今では雑草や、木の根がアスファルトを突き破り、まあどこもかしこもホント走りにくい道となっていた。

「今年の夏は長くなりそうだな~」軽トラックの助手席に座った自警団気取りが、荷台から真っ暗闇の田園風景を睨み付けている五人組達に向かって言った。

「なんでですか?」五人組の中の一人が聞き返した。

「6月も半ばだというのに、赤トンボが一匹残らず山に飛んで行ってしまっているからですよ!」自警団気取りは助手席の窓から顔をだし、荷台に向かって叫んだ。

「そんなもんですかね!」五人組の一人が、薄く叩き伸された鋼鉄製の蛇腹状の覆面を上唇の上まであげ、軽トラの助手席にむかって叫び返した。と、大きな口を開けた拍子に雨虫と呼ばれる蚊くらいの羽虫の大群が、彼の口の中に入った。彼はツバとともに虫を口から吐き出した。

「夏が長いといやなんだよな~、蒸れるから―」五人組の一人が愚痴っぽく言った。

「ま、オレ達の仕事は、年がら年中汗をかくことさ―」その横で、また別の五人組が言った。

「あっ!」軽トラを運転していた五人組の一人が何かに気づき声を上げた。助手席から顔を出し、荷台の者達と会話を楽しんでいた自警団気取りが、「どうしましたか?」と聞いた。

「今、前方に人影が見えちゃったんですよ―」運転手は言った。

「やめて下さい、突然―」自警団気取りは声を潜め言った。

「ちょうどあの廃墟のとこなんですがね、確かにアレは人影でした―」運転手は左手の指をフロントガラスに押しつけながら言った。その先には、廃墟と化したコンビニの建物があった。

「私には何も見えませんがね―」自警団気取りは言った。

「ヘッドライトが当たったとたん、サッと消えたんです!」運転手は興奮気味にこたえた。

「私は幽霊なんてものは信じやしませんよ! だからちっとも怖くはありませんよ!」

 誰もそんなことは言っていないのにと、運転手は呆れた表情を浮かべている。

「車を停めて下さい。私が幽霊などいないことを証明してみせますから」自警団気取りは言った。

「ぼくたち見つかったんすか?」ヒロトは言った。

「たぶん大丈夫だろ―」カミカゼはめんどくさそうにこたえた。

「もっと早く気づかないと―」マシヤマは呆れた口調で愚痴った。

「エンジン音が、近づいて来たっすよ?」ヒロトは脅えた声で言った。

「チッ! 大丈夫だって。そのまま通り過ぎていくさ」カミカゼは苛立った声で言った。

「あ、停まった―」マシヤマは言った。

 廃墟と化したコンビニの駐車場に、一台の軽トラが停止した。と、荷台から人が素速く飛び降りた。マシヤマは、人が荷台から飛び降りた時に立てた着地音に、いちいちビクっと首をすくめた。 

「1人、2人、3人・・・・・・、4人、5人、・・・・・・6人か―」人が歩く音を聞き分け、カミカゼは相手の人数を小声で数えた。「間違いない、自警団気取り達だ―」

「どうするっすか?」ヒロトはカミカゼを見上げ聞いた。

「ここは正直に説明しましょうよ。相手が悪すぎます―」マシヤマはカミカゼに言った。

「この前も、滝の水地区の麦畑の中で蜂の巣にされたヤツが出たって聞いたっす―」ヒロトはカミカゼにすがるように言った。

「背後から奇襲でもかけりゃあ1発よぉ、あんなヤツ等」カミカゼは虚勢を張って少し大きな声で言った。

 コンビニの周りを歩いていた足音が止まった。牛蛙の低く醜い鳴き声が辺りに響いていた。どうも近くに水辺があるらしかった。

 マシヤマもカミカゼもヒロトも、一斉に息を止めた。再び足音が聞こえだした。今度は色々な角度から足音が聞こえる。足音の主達は、左右バラバラに展開しているようだった。

「囲まれる―」本当に小さな声でカミカゼは呟いた。

「両手を挙げて投降しましょう―」マシヤマは、声を震わせ小声で言った。その横でヒロトが首をゆっくり縦に振り、マシヤマの意見に同意していた。

「はい! 隠れんぼは終わりぃ~!」突然暗闇からカミカゼ達3人に向けて、オチョケタ口調が襲いかかった。マシヤマ、カミカゼ、ヒロトはビックリし、3人同時に小さくその場に飛び上げってしまった。

 カミカゼは暗闇に慣れた目を凝らし、オチョケタ声がした方を凝視した。6人の人間が、逆扇状の陣形で、カミカゼ達を完全に包囲していた。コイツ等は、雑草の一本だって揺らさずに近づいてきたのかと、カミカゼは変に感心した。囲んでいるヤツ等の一人が、胸ポケットから懐中電灯を取り出した。

「うゎ!」マシヤマは、懐中電灯で顔を照らされ、思わず呻き声をあげた。

「眩しぃ」ヒロトは言った。

「・・・・・・」カミカゼは顔を照らされても無言だった。

 6人は、逆扇状の陣形を保ったまま、カミカゼ達との距離を詰めてきた。背中にコンビニの壁を背負っていたカミカゼ達に、逃げ道はなかった。カミカゼは、両腰にぶら下げいるマチェットの柄に手をかけた。と、その瞬間、相手の銃口が一斉にカミカゼの手元に集まったのが分かった。

 カミカゼは冷や汗と共に手を引っ込めた。逆扇形の中から1人の人間が前に出てきた。カミカゼ達の顔を至近距離から懐中電灯で照らした。

「こちらの君はエミさんの弟さんで、こちらのアナタはユウジさんの弟さんじゃありませんか。はぁ~。まあ、今回は見逃しましょう。が、オマエは別だ! なぁ~、元栄ルージュの用心棒さんよぉ!」自警団気取りはカミカゼを軽蔑しきった流し目で睨みつけ言った。「ユウジさんをヤッたんだもんなぁ~おまえが。なぁ、どうやって弔い屋(とむらいや)を買収したんだよ? ウラサト地区の弔い屋っていやぁ~よぉ、口は堅いは頑固だわ、おまけに賄賂はぜってぇに受け取らないことで有名じゃねぇか。なぁ、ここだけの話し、マジでどうやったんだよ?」

「おいテメェ。マジで叩っ斬るぞ―」カミカゼは両腰のマチェットの柄に、再び手をかけた。と、自警団気取りの背後で逆扇状に展開していた五人組が、陣形を崩さず一瞬にしてカミカゼに詰め寄ってきた。

 カミカゼも負けじと、素速い横っ飛びで、開けた場所へと移った。が、瞬く間に五人組に取り囲まれてしまった。突撃銃の銃口は、全てカミカゼの身体を狙っていた。五人組の銃口の先は全て違っていて、カミカゼから見て左前に立っている者は頭。カミカゼから見て右斜めに立っている者は心臓。カミカゼから見て左斜め後ろに立つ者は右足の膝小僧の裏。カミカゼの真後ろに立つ者は肝臓。カミカゼから見て真横に立っている者は側頭部、といった感じに狙いを定めていた。

 それと、カミカゼの身体を貫通した弾で相撃ちにならないように 五人組は絶妙な間隔を開け、カミカゼを包囲していた。こうなったらもう、破れかぶれといった感じのカミカゼは、躊躇することなく両腰のホルダーからマチェットを抜き構えた。

 5人組が、半歩、後ずさった。カミカゼのマチェットは、五人組といえど脅威だったのだ。カミカゼは、一歩踏み込んだと同時に、自分から見て正面に立つ2人の首を持っていこうと考えていた。もう、覚悟は出来ていたのだ。肉を切らせて骨を断つ。これがカミカゼの作戦だった。

 ボクサーのようにマチェットを構えたカミカゼは、正面の相手に向かってにじり寄っていった。カミカゼを取り囲んでいた五人組は、カミカゼから発せられる殺気に押され、一歩、二歩と後ずさっていった。と、カミカゼは右手を素速く振った。右手に持たれていたマチェットの刃先が、カミカゼの背後にいた五人組の1人の首にぶち当たって火花を立てた。

 五人組が着込んでいたボディーアーマーの間接部分は蛇腹状になっており、1回目のカミカゼの攻撃をなんとか防ぐことが出来たのだが、マチェットの攻撃を受けた蛇腹部分はへこんでしまい、蛇腹と蛇腹のつなぎ目には隙間が空いてしまった。

 すかさずカミカゼは、二回目の攻撃をした。カミカゼのあまりに早い身動きに、五人組達はいまだ呆然としていた。それに、今カミカゼに向かって発砲をすれば、同士撃ちはさけられなかった。

 カミカゼは咄嗟に計算したのか、はたまた偶然か、五人組が構えた銃口の先には、カミカゼと、五人組の中の1人が、必ず重なるようになっていたのだった。

 5メートルもない至近距離から突撃銃を発砲すれば、いくら鋼鉄製のボディーアーマーを着込んでいる五人組といえど、怪我は免れない。カミカゼに弾が命中したところで、カミカゼの身体を貫通した弾が、五人組の中の1人を傷つけることになる。そのため五人組は、カミカゼに対し反撃するのを躊躇した。

 カミカゼは、1回目の攻撃によりへこませた蛇腹部に、マチェットの刃先を下から上に向かって突き刺した。刃先は、ほんの数ミリの差で、五人組の肌に届かなかった。刃先から伝わる振動により手応えを感じなかったカミカゼは、蛇腹の隙間に突き刺したマチェットを、グリグリと動かし、蛇腹の隙間を広げにかかった。状況を理解しだした五人組が反撃に移った。

 五人組の1人を攻撃しているカミカゼの背後から、残りの4人が銃剣で襲いかかった。カミカゼは蛇腹の隙間に突き刺したマチェットを抜いた。と、その勢いを利用して、背後から襲いかかる者の脛(すね)を切りつけた。

 カンッ! と甲高い金属音が鳴り、火花が散った。カミカゼに攻撃を受けた者は、ボディーアーマーのおかげで、裂傷を負うことはなかったが、強い衝撃によりひっくり返ってしまった。残りの五人組達は怯むことなくカミカゼに襲いかかった。突撃銃の先端に取り付けられた銃剣が、容赦なくカミカゼの首、心臓、手首と、急所目がけて押し寄せてきた。

 カミカゼは、一度に2本も3本も襲いかかってくる銃剣の鋭い先端を、両手に持ったマチェットの剣先で器用にかわすと、少しの隙も見逃さず、相手が銃剣を突き出し伸びきった腕の一番先にある銃を握りしめている指を目がけてマチェットで斬りつけた。五人組の着込んでいたボディーアーマーは、もちろん指先までをも鋼鉄の蛇腹で覆っていたのだけれど、カミカゼのあまりに鋭く重い一撃に、指の骨はボディーアーマー越しに粉砕してしまい、握力を失った指は強制的に、攻撃を受けた五人組の手から、銃を奪い去った。彼は急ぎ銃を拾い上げようと屈んだ。カミカゼはその者の顎を目がけておもいっきし蹴り上げた。足は、顎にもろに命中し、蹴られた者は、そのまま仰向けなって気を失ってしまった。

 カミカゼに襲いかかる者は、残り3人になった。マシヤマにヒロト、それに自警団気取りは、廃墟と化したコンビニの壁に背中を預け、まるでルールのある格闘技でも見ているかのように傍観していた。

「こっちだ! こっちにこい!」カミカゼの真正面に対峙していた五人組の1人が、残りの2人を呼んだ。カミカゼの前に、残り3人となった五人組の面々が横一列に並んだ。

「これでカブることはない―」仲間を呼んだ五人組の1人が呟いた。と、カミカゼに向けて銃の引き金を引いた。それに続き、残りの2人も銃の引き金を引いた。銃口からは、激しい火炎が吹き出していた。

 銃による攻撃を受けたカミカゼは、寸前のところで人間離れした横っ飛びをし、致命傷を避けた。が、なおも五人組による銃の攻撃は続いた。

 カミカゼは横っ飛びを繰り返し、その動作の中で、右手に持っていたマチェットを、発砲をしている五人組の1人の手元目がけて投げつけた。マチェットは激しく回転しながら宙を舞い、銃の引き金を引いている五人組の中の1人の指に命中した。

 カミカゼに襲いかかる相手は、残り2人になった。カミカゼ自身も、致命傷は受けていないものの、身体のあちこちから出血していた。勝負を長引かせたら、飛び道具を持っていないカミカゼが圧倒的に不利だった。

 五人組の2人は、カミカゼから距離を置きだした。近距離では分が悪いと、ようやく気づいたらしい。五人組の2人は、カミカゼから10メートルほど距離をとったところで立ち止まり、そして銃を構えた。銃口の先のカミカゼは、仁王立ちしていた。五人組の2人の銃口が、一斉に火を吹いた。

 カミカゼは横っ飛びをし、第1波の攻撃をかわした。が、カミカゼが避けても避けても、五人組の2人から放たれた銃弾は、的確にカミカゼを追いかけてきた。

 カミカゼは、銃の弾切れを狙って攻撃することにした。まもなく、五人組の2人のうちの一方の突撃銃の弾倉が空になった。

「ロ~ディ~ング!」弾倉が空になった五人組が、もう1人に向かって弾倉交換をすることを叫んで知らせた。すると、知らせを受けた者はカミカゼをその場に釘付けにしておくための、的確な援護射撃を始めた。

 五人組の弾倉交換の素早さは神懸かっていた。横でカミカゼ達の戦いを傍観していたヒロトが1回の瞬きをし終わる頃には、弾倉交換は終わっていた。カミカゼは2人に、まったく近づくことができなくなった。それどころか、段々と追い詰められていってしまった。

 五人組の銃弾を避けているうちに、カミカゼの背後には幅5メートルほどの小さな川が迫ってきた。水量も数十センチと、ホント小さな川だったが、今のカミカゼの行動を制限するには十分すぎるほどの規模だった。

 川に近づいてきたカミカゼの気配に驚いたのか、30センチはある巨大な牛蛙が、音を立てて川の中へと飛び込んだ。カミカゼは横目で川の様子をうかがった。幅の狭い川の両岸いっぱいには葦が群生していた。と、一発、二発と銃弾が、カミカゼの身体の肉を削ぎ落としかすめていった。カミカゼはバランスを崩した。五人組はそれを見逃さなかった。2人は一斉射撃をカミカゼに浴びせた。

 カミカゼは、背後にある川の葦原に飛び込んだ。川岸に群生していた葦が、上手い具合にカミカゼの姿を隠した。四つん這いになって川の中を下流に向かって進んだ。川の流れに逆らわずに進めば、立てる物音も小さいと思ったのだ。

 五人組は今すぐにでも川岸に近づきたかった。が、葦に身を潜めたカミカゼが、突然斬りかかって来るかもしれないと思うと、慎重に歩を進めることしかできなかった。

 五人組が川岸に到着した頃には、川にカミカゼの姿はなかった。2人は延々と川の中を捜索したが、やはりカミカゼの姿はなかった。それもそのはず、カミカゼは川の下流岸より陸地に上がり、サッサと天国の丘へと退散していたのだ。

「もうそのへんにして戻ってきなさい」自警団気取りは、川の中で捜索をしていた五人組に向かって言った。

 天国の丘には、東西南北にそれぞれ出入り口があった。各出入り口には、厚さ10センチ程のコンクリートで作られたトーチカが備えられていた。この堅固な防御陣地の中には、複数の兵士が待機できるスペースがあり、常に5人以上の兵士が24時間態勢で見張りについていた。

 トーチカには、ブタの貯金箱の硬貨投入口のような横に細長い線が一本走っていた。そこが見張り口であり、攻撃をする場所だった。横に細長い見張り口からは、四六時中、機関銃の銃口が外界を威圧していた。

 五人組との戦いから退散してきたカミカゼは、身体中の擦り傷から血を滲ませながらも、天国の丘の西口へと辿り着いた。大高の組織にあって突撃歩兵部隊の隊長であるカミカゼの位は、上から数えた方が早いのだけれど、位が役に立つのは抗争時くらいなもんで、平時においては、農民も兵士も、皆同じ扱いを受けた。

 組織内で警察的役割をしていた歩哨中隊の面々、つまりトーチカの中の兵士達は、相手の位に関係なく組織内部の不正を取り締まっていた。もちろんカミカゼも例外ではない。カミカゼは、両手を頭の上に掲げながら天国の丘への入り口に近づいていった。

 トーチカに取り付けられたサーチライトが、たちまちのうちにカミカゼの全身を照らした。サーチライトのあまりの光力の強さに、カミカゼは目をつむった。続いてトーチカに取り付けられている拡声器から「何者だ?」という声が飛び出した。

「オレだ! カミカゼだ!」カミカゼは眩しさに耐え、目を半開きにして大きな声でこたえた。

「カミカゼ隊長ですか?」トーチカの拡声器は言った。

「そうだ!」カミカゼは叫び返した。

「なにか証明できるものはありますか?」トーチカの拡声器は丁寧な口調で言った。カミカゼは左の腰にぶら下げていたマチェットを右の指でさした。

「いや、あの、そうじゃなくて、もっと具体的なモノでお願いします!」トーチカの拡声器は言った。カミカゼは、両手を頭の上に掲げ直すと、トーチカに向かって歩き出した。近距離からトーチカ内にいる兵士達に自分の顔を見せるのが、一番の証明だと思ったのだ。

「止まれ! そこから動くな!」拡声器の声色が変わった。トーチカに備え付けられている機関銃の銃口が、カミカゼに向いている。カミカゼは大きな溜め息と共に、その場で立ち止まった。

 一方で、自警団気取り達は、天国の丘の南口からなんなく丘のなかへと帰還していた。いつもより少し遅い帰還にトーチカの中の歩哨兵は心配しただとかのおべんちゃらを、自警団気取りに言った。

 自警団気取りを乗せた軽トラックの荷台には、マシヤマとヒロトも乗っていたのだけれど、彼等2人は五人組に囲まれ外からは見えないようにされていた。  

 丘に帰ってきたマシヤマとヒロトは、大急ぎでジーンズとフランネルシャツの普段着に着替え、カミカゼを捜しに行った。カミカゼに割り当てられていた天国の丘内の住居に、カミカゼの姿はなかった。帰ってきた形跡も、なかった。マシヤマとヒロトは、丘中を駆け回りカミカゼの姿をさがした。

「まだ帰ってきてないみたいっすね?」ヒロトは言った。

「アイツ、直撃弾を受けたかもしれないな―」マシヤマは心配そうに言った。

「えっ! それってどっかで野垂死にしてるってことっすか?」ヒロトは驚いた表情と声で言った。

「いや、そこまで話は進んでいないよ。せいぜい瀕死ってとこだろうね、アイツのことだから―」マシヤマは冷静な口調で言った。

「確かに。もの凄く頑丈っすもんね、カミカゼさんは―」ヒロトは言った。

「シッ! ちょっと静かに!」マシヤマは口の前に人差し指をやり、ヒロトの話を遮った。丘の西側から、拡声器特有の、高音が割れた雑音混じりの声が聞こえた。

「西の出入り口だ」マシヤマは駆けだした。ヒロトもあとに続いた。

 西側のトーチカから発せられた拡声器の音は、天国の丘内に響き渡っていた。屋内にいるものには聞き取りにくかったかもしれないが、屋外にいる者にはハッキリと聞こえた。

 天国の丘の南側に設営されている青空カフェで、仕事終りに濃いめのデミタスコーヒーを飲んでいた自警団気取りの耳にも、拡声器の音がハッキリ聞こえていた。カミカゼにヤられて完全にグロッキーになっていた五人組のうち3人を除く残りの2人が、自警団気取りの元へと駆けつけてきた。

「班長、たぶんカミカゼのヤツですぜ、アレは」五人組の1人は言った。

「そうでしょうね」自警団気取りはデミタスコーヒーを口に含みこたえた。

「どうしますか?」もう一人の五人組が聞いた。

「どうするもこうするも、丘内でヤるわけにはいかんだろう―」

「まだヤツは丘内に入っていません。西のトーチカ前で止められています」五人組の一人は声を弾ませ言った。自警団気取りは、小柄なカップに入ったデミタスコーヒーを一気に飲み干し「サイレンサー付きのライフルを持ってこい」と小声で言った。五人組の2人は同時に顔を見合わせニカリとし、右手に持っていたものを自警団気取りに差し出した。

「おぉ~、準備がいいなぁ~」自警団気取りは目尻に皺を寄せ、感心した様子で言った。

 自警団気取り達が天国の丘の西側の出入り口に着くと、そこにはマシヤマとヒロトの姿があった。自警団気取りは、彼等の背後からそっと近づくと、2人の耳元で突然「わっ!」と大きな声をだした。

 マシヤマもヒロトも心臓が縮こまり、マシヤマに至っては少しお漏らしまでしてしまった。びっくりした様子の2人があまりに面白かったのか、自警団気取りは「がははははは!」と、ダンプカーの排気音のような笑い声をあげた。

「やややややめてくださいよ!」マシヤマは、地べたに尻餅をついたまま言った。

「まあいいじゃないですか」自警団気取りは言った。

「班長! アイツあんなところで半べそかいてますぜ!」五人組の1人が、トーチカの手前に座り込んでいるカミカゼを見つけ言った。尻餅から復活したヒロトが、五人組の2人が持っている銃をマジマジと見ている。

「サイレンサータイプのライフル―」ヒロトは呟いた。

「あ、ああ、そうですね―」五人組は、ヒロトよりも位が低かったため、丁寧な口調でこたえた。

「なんに使うんすか?」ヒロトは聞いた。

「い、いや、それは―」五人組は言葉を詰まらせた。

「カミカゼ君をヤっつけるんですよ」自警団気取りはヒロトに言った。

「喧嘩はもう終わったんすよ?」

「まっ、一種の仇討ちってとこですかな」自警団気取りは、いまだ地べたに尻餅をついたままのマシヤマを見下ろし言った。

 マシヤマは無言のまま自警団気取りを見上げた。

「君がシンガポールからやって来る前の話ですから、ピンとはこないかもしれませんがね。アノ男は、我が最愛のボスであったユウジさんをヤったんですよ。まあ、つまりアナタのお兄さんをね―」自警団気取りは言った。

 マシヤマは無言で自警団気取りの口元を見上げていた。

「アノ日ユウジさんと一緒にいたのは、カミカゼの馬鹿だけでしたからね。ヤツが栄ルージュの用心棒を辞めてうちにやってきて間もなかった頃ですよ。ユウジさん自らがスカウトしてきたもんですから、誰もカミカゼの野郎に文句を言えなかったんですけど、みんな不信感でいっぱいだったんです―」自警団気取りは、1人回想に溺れていた。薄汚れた野戦服の胸ポケットから煙草を出して火をつけた。

「こんな煙草の一箱を買うのだって覚王山の下っ端に頭を下げないといけない。外国から入ってくるモノ全てに、覚王山に関税を払わなければいけない。ホント馬鹿馬鹿しいと思いませんか? ホントあと一歩だったんですよ! ユウジさん率いる大高が覚王山の息の根を止めるのも―」自警団気取りの口調は、熱を帯びてきていた。自警団気取りの傍らでは、五人組の2人が夜空を見上げすすり泣いている。

「あの、ちょっといいですか?」小柄なヒロトは自警団気取りを見上げ言った。

「・・・・・・はい、なんでしょうか?」自警団気取りはしんみりとした口調で言った。

「カミカゼさんは、ユウジさんのことをスゴク尊敬しているっす。あんなに尊敬している人を売るなんて、カミカゼさんにはできないと思うっす」ヒロトは言った。

「役者よのぉ~。カミちゃんも―」自警団気取りはわざと戯けた表情と口調で言った。傍らでは、五人組がグヮングヮンと激しく縦に首を振っていた。

 

「テメェら何やってんだ?」カミカゼは、トーチカの横で話し込んでいた自警団気取り達を見て言った。いつの間にか自身の証明に成功し、丘の中に入ることができたらしい。

「おいヒロト! オレのマチェットってどうなってる?」カミカゼは言った。

「さっき五人組の方に投げつけた右用のヤツっすよね?」ヒロトはこたえた。

「まあ右用もくそもねぇけど、まあいつも右の腰にぶら下げてるやつだわな―」

「アレなら現場から回収してきて、カミカゼさんの部屋に置いてあるっす!」ヒロトは声を弾ませ言った。カミカゼが元気だったのが嬉しかったのだ。

「ありがとよ! アレはユウジさんの形見だからよぉ、オレの中じゃ常になくしちゃいけねぇランキング1位なんだよ―」カミカゼは優しい笑みを浮かべ言った。

 カミカゼとヒロトが話す横で、自警団気取りと五人組は悔しそうに舌打ちをした。

「おいおい、また物騒なモン持ってんな、〝5人ゴミ〟のお二人さんは―」カミカゼは、五人組が肩にかけていたサイレンサー付きのライフルを睨み付けながら言った。「なんだなんだ、それでオレでもやろうっていうのかい?」カミカゼは、左腰にぶら下げていたマチェットに手をかけた。辺りに緊張が走った。

「カミカゼ! やめなよ! ここは丘の中だよ!」相変わらず尻餅をついたままのマシヤマは大声で言った。

「男にはよぉ~、やらにゃあ~いかん時があるんですよ!」カミカゼは威圧的な巻き舌で怒鳴った。

「だったら今はその〝時〟じゃないよ!」マシヤマは怒鳴り返した。

「じゃあ何時、こいつらをバラせばいんだよ! えぇ!」カミカゼは、地べたに尻餅をついたままのマシヤマを見下ろし言った。

「君が無実なことは丘のみんなが知っている。私の兄さんがヤられたあの日、君は最後まで兄さんの側にいて、君が兄さんの身代わりになり、腹部に銃弾を受け、瀕死の重体を負った姿を、丘のみんなが見ている。あの日あの場所で、私の兄さんである3代目が襲撃されたのだって、ヤツ等が事前に情報を収集していただけのことだ。なんせ私の兄さんは、アノ覚王山の組織に始めて刃向かった人間だったのだから、ヤツ等が兄さんを消しにかかるのもしょうがない話しだったんだ。だから君にイチャモンをつけているのはこの人達だけだ! 君は平然としていればいい! いちいち相手の挑発に乗る必要なんてないんだ! だから、永久にないんだよ、君がこの人達をバラす時なんて―」マシヤマは強い口調で、カミカゼを諭すように言った。マシヤマの目には涙が浮んでいた。

 カミカゼは口から大きく息を吐き出し、マチェットから手を引いた。と、五人組はライフルの銃口をゆっくりカミカゼの頭部と胸部に向けた。傍観していた自警団気取りも、左脇下のホルスターから拳銃を抜き、カミカゼの背後に移動した。

 自警団気取りの手に持たれた拳銃は、45口径の弾を発射することができるものだった。至近距離で人間の身体に命中したならば、その部位を含む周りの部位をも道連れにし、身体に大きな穴が空いてしまう。それほどの威力を持つ拳銃の先を、自警団気取りはカミカゼの後頭部に突きつけた。

「ちょっと待ってください! アナタ達はなんの権限にもとづいて私刑を実行するのですか!」マシヤマは、フラフラと起ち上がりながら叫んだ。が、狂牛病にかかった牛のように足元は頼りなく、見た目と口調とのギャップが激しくて、迫力に欠けた。

「私の独断と偏見です!」自警団気取りは言った。

「ならばその独断と偏見とやらの〝内容〟をお聞かせくださいませんか?」マシヤマは言った。

「内容? そんなものはありませんよ―。ただ憎いんですよ、コイツが。何故こんな新参者がユウジさんのボディーガードに任命された? あの時もしも私達がいつものようにユウジさんのボディーガードをしていたら、我々の命にかえてでもユウジさんをお救いできたのに。

 何故、私達を降格させてまでも、こんなギャングの用心棒くずれのクズを大高の組織にユウジさんは入れた? 私は全てに納得をしていない。ユウジさんがもはやこの世を去っていても、私の中でこのことが整理されることはない―」自警団気取りは、拳銃の引き金に手をかけた。

「隊長―」カミカゼの正面に立っていた五人組の1人が、呆気にとられた口調で自警団気取りに言った。自警団気取りは、言葉を発した五人組に視線を走らせた。五人組は、顎先を小刻みに動かしていた。自警団気取りは、五人組の顎先を自身の目で追った。

「!!!!!!」自警団気取りの視線は、目を真ん丸く見開き止まった。身長が150センチにも満たない小柄のヒロトが、いつの間にか自警団気取りの右脇に立っていた。ヒロトの手には、22口径の拳銃が持たれていて、その銃の先端は、自警団気取りの右の肋骨に向けられていた。

 ヒロトの存在に気づいた自警団気取りは、慌ててカミカゼの後頭部に突きつけていた拳銃を降ろそうとした。一秒でも早く、ヒロトに対し晒している自身の肋骨を隠したかったのだ。

「動くなっす!」ヒロトは言った。

 自警団気取りは、銃口をカミカゼの後頭部に突きつけた姿勢のままで止まった。

「ぼくの22口径を、肋骨と肋骨の間から撃ち込んでも、アナタの心臓を貫くことは出来ないかもしれないっす。けど、22口径の小さな弾丸でも、アナタの中で激しく暴れ回り、内臓をひっちゃかめっちゃかにしてしまうことぐらいはできるっす!」ヒロトは確信に満ちた口調で言った。

 自警団気取りは流し目で、傍らに立っていたヒロトを見た。ゾッとした。ヒロトの目は鋭く、一片の曇りもなかった。ヒロトには、いつでも拳銃の引き金を引く準備ができていた。

「ヒロト君! 今からぼくがボスを呼んでくるから、しばらく1人で頑張っていてくれたまえ―」マシヤマはそう叫ぶと、狂牛病にかかった牛のようにふらついた足をガクガクフラフラさせながら、ボスがいる北側の斜面の建物へと向かった。

 六 真夜中の裁判

「今ここに、6代目ボスの立ち会いのもと、臨時野外裁判を開廷する!」マシヤマは叫んだ。マシヤマの足の震えは先程よりだいぶましになっていたが、誰が見ても立ったままの姿勢で、激しく貧乏揺すりをしているように見えた。

 カミカゼと、自警団気取りを、天国の丘の住人達がグルリと囲んだ。総勢200人ほどの傍聴人が集まっていた。

「今回のカミカゼに向けての私刑(リンチ)は、何を根拠に行おうとしたのか?」ボスは自警団気取りに質問した。

「カミカゼ君の、夜間無許可での外出の件と、私の部下3人に対しての傷害です」自警団気取りははっきりした口調でこたえた。臨時野外裁判所に、傷を負った五人組の中の3人がやってきた。そのうち1人はいまだに気を失っており、丘の住人の手によって、引きずられてきた。

「1人の者は指の骨を粉々にされ、また1人の者は脛の骨を粉砕され、また1人の者は、顎の骨を砕かれ、今もなお意識を失ったままです。よってここに、カミカゼ君に対し私刑を求刑いたします!」自警団気取りは、検察を気取って言った。

「カミカゼがやったという証拠は?」ボスは言った。

「傷ついた彼等を見てください! これこそが証拠です!」自警団気取りは声を荒らげた。

「異議あり! それだけでは証拠として不十分です! カミカゼ君自身の自白によるものか、第三者による目撃証言等も必要とすべきです! それと、アナタはアナタ自身のカミカゼさんへの恨みにより、カミカゼ君を攻撃したんじゃありませんか! アナタの主張では、あたかもカミカゼ君からアナタ方に仕掛けていったようになっていってるじゃありませんか!」カミカゼの弁護を買って出たマシヤマが反論した。

「君は何を言っとるんだ! 確かにこの3人は、そこに突っ立っているカミカゼにやられたじゃないか! その現場に君もいただろう!」自警団気取りは怒鳴った。

「マシヤマ君、本当かね?」ボスは聞いた。

「いえ、あまりに暗かったので、火花と罵声くらいしか、わたしには確認できませんでした!」マシヤマは堂々とした口調でこたえた。

「代々、大高の組織のルールでは、何人たりとも、如何なる時も、求刑する者が証拠を立証しなければならない。この場合、アナタの部下がカミカゼにヤられたということを、求刑するアナタ自身が立証しなければならない―」ボスは、重々しい口調で自警団気取りに言った。「怪我人だけを見せられて、『はいそれではソイツは私刑!』というわけにはいかない。それより問題は、組織内のルールを無視し、自らカミカゼをヤろうとした、アナタ自身のやり方のほうが問題である。組織内の揉め事は、如何なる時も、丘の住人の声を聞き判断すべきであり、一切の自力救済的手段による解決行為は認められないし、絶対的に禁止であることを、最古参のアナタが知らないわけはないですよね? よって、アナタのカミカゼに対しての求刑は取り下げる!」

 臨時野外裁判場が、拍手と歓喜の渦に包まれた。

 自警団気取りはボスに言い返すこともなく、項垂れていた。

「静粛に! 静粛に!」ボスは、興奮冷めやらぬ会場をなだめた。そして言った。「次にカミカゼ。君が無許可で夜間外出をしたというのは本当かね?」

「はい本当でございます!」カミカゼはこたえた。

「何故です?」ボスは聞いた。

「今日の昼の会議で話し合っていた潮見町の偵察のためです」カミカゼは言った。

「偵察? というと?」ボスは眉間に皺を寄せ聞き返した。

「オレはあくまで、覚王山の連中とは、血で決着をつけるべきだと思っています。まずは最初に、潮見町を占領すべきだと思います。とりあえず燃料を確保すれば、数の上で不利なオレ達でも、覚王山の連中に勝てる割合がいくらか増すと思うので―」カミカゼは力強い口調で言った。場内には、不安に満ちた声や、賛同による歓喜等、様々な声が飛び交った。

「君の勝手な行動により、今日にでも覚王山の組織と事を構えることになっていたら、君はどう責任を取るつもりだったのかね?」ボスは厳しい口調で言った。

「オレは1人でもやりますよ!」カミカゼは間髪入れずこたえた。

「くだらない! まったくもってナンセンスだ!」横からマシヤマが声を上げた。「覚王山とウチが戦って勝てる確立なんて、どうやってもゼロだ! だったらこちらも上手く使われる道を選んだ方がいい! ウチが経済的に有利に立てば、ウチの発言力も増してゆく。財力と人材、それに人脈さえ手に入れてしまえば、組織の構成員数なんてものはただの見栄だけになる! カミカゼ君、頼むからあまり1人で暴走しないでくれ!」

「ふん! オマエだって今日、オレについてきたじゃないか!」カミカゼはマシヤマに向かって言った。

「・・・・・・。ソレは、君が、本が手に入るかもしれないって言うから―」マシヤマは視線を落とし、弱々しい声で反論した。

 再び場内がざわつき始めた。

 カミカゼの徹底抗戦の主張と、マシヤマの保守的主張のどちらを支持するかで、裁判を傍聴していた丘の住民達の間で論争が起こっていた。

「静粛に! 静粛に!」ボスは叫んで場内を静かにした。そして大声で、「なんにせよだ! 無許可の夜間外出は許されない! カミカゼにマシヤマ、それにヒロトの三者に問う! 今日、お前達は本当に無許可で夜間外出をしたんだな?」

「はい!」カミカゼ、マシヤマ、ヒロトの三者は、同時に声を張り上げた。

「よし! ならばオマエ達は罰を受けなければならない。今日から1ヶ月の間に、天国の丘および、近郊に暮らしている子供達が喜ぶような娯楽施設を企画し、作り上げなさい。全て3人だけでやりなさい。他の者の手を一切借りてはいけません。いいね? わかったね?」ボスは強い口調で3人に言った。3人は、小さな声で返事をした。

「これにて裁判を閉廷する! みなの者解散!」ボスが大声を張り上げ、夜中の臨時裁判は終了した。

 七 いつもの3人

 カミカゼ、マシヤマ、ヒロトの3人は、カミカゼの住居に向かった。まず、身体中に擦り傷を負ったカミカゼの手当をした。次に、ボスから与えられた指令について3人は意見を交わした。丘の中に遊園地を作ろうだとか、動物園を作ろうだとかの現実離れした意見が数多くでた。

 なかでも、16歳までを先進国であるシンガポールで過ごしたマシヤマの意見は飛んでいて、やれテレビゲームのアミューズメントパークを建設しようだとか、1㎞×1㎞の巨大迷路を作ろうだとかの意見を、大真面目な顔で言っていた。結局この日は意見がまとまらず、3人の会議は翌日に持ち越された。

 次の日の朝、3人は丘の東側にある青空カフェに向かった。このカフェの名物は、下の民より仕入れた知多牛のロース肉で作ったトンカツを、大高の組織が滝の水地区で運営している小麦畑で栽培した小麦から作ったパンに挟み込んで食すカツサンドだった。これを目当てに、天国の丘の東口ゲートの前には、毎朝長い行列が出来ていた。

 3人が青空カフェに着いた時にはすでに、行列は始まっていた。3人は1時間ほど並び、ようやく熱々のカツサンドにありつけた。炭火でキツネ色に炙られたパンの中には、黄金色に光衣があった。パンと一緒にそれを優しく前歯で噛むと、サクッとした歯ごたえが上顎と下顎に伝わってくる。歯ごたえの振動が最後の方になると、特性ソースの香りが鼻の中を駆け抜けてゆく。衣の中のロース肉は柔らかく、一噛みごとに甘い肉汁がこぼれ落ちた。

「しかしうめぇ~な~」大口を開けてカツサンドにかぶりついたカミカゼが、歓喜の声を漏らした。 

 一方ヒロトは、無言でカツサンドにむしゃぶりついている。

「ここのカツサンドに勝るモノを、私はシンガポールでも食べた事がありませんよ!」マシヤマは目を見開き言った。

「おいマシヤマ! オメェって『餃子のゆうこ』の餃子を食ったことってあるのかよ?」カミカゼは、唇の周りにソースをベタベタつけた口を開き言った。

「噂では聞いたことありますが、まだ食べたことはないなぁ~」

「あれもまた絶品だぜ!」とカミカゼは言うと、再びカツサンドに囓りついた。

 身体は小柄だが、人一倍食欲旺盛なヒロトは、カミカゼとマシヤマよりも早くカツサンドを平らげていた。ヒロトは、2人が食べ終わるまで手持ちぶさたとなり、「ちょっとぼくお茶をもらってくるっす」と言い、席を立った。

 しばらくして、ヒロトがお盆に急須と湯飲みをのせて戻ってきた。急須と蓋の間からは、お茶の葉とお湯が溢れ出していた。芝生の上にお盆を置いたヒロトは、急須の蓋を左手で押さえると、右手で持った急須をスナップを効かせ勢いよく傾け、湯飲みにお茶を注いだ。

「どうぞっす―」ヒロトは、湯飲みに注いだお茶をカミカゼとマシヤマにすすめた。2人は湯飲みに手をかけ、良い塩梅の温度になったお茶をグイッと口の中に放り込んだ。

「プーアル茶か~」マシヤマは感心した声をあげた。

「オレはジャスミンティーのほうがよかったなぁ。これも悪くねぇけどよ」カミカゼは、一言余計なことを言いながらも、満更じゃない様子でお茶を飲み干すと、湯飲みをヒロトに差し出し、二杯目を要求した。

「ところで昨日の続きですけど、どうしますか?」マシヤマは言った。

「どうするもこうするも3人しかいねぇからなぁ~」カミカゼは二杯目のお茶を口元にもっていきながらこたえた。

「やれることはかなり限られるっすよね」ヒロトは空になったカミカゼの湯飲みに3杯目のお茶を注ぎ、続いてマシヤマの湯飲みにもお茶を注ぎながら言った。マシヤマはヒロトに、軽い会釈をした。

「現実的に考えて、一ヶ月という期限で、しかも3人で出来ることっていったら、従来からある施設とかを利用するしかないんじゃないかな」昨日の夜とは打って変わって、現実的な意見をマシヤマは言った。カミカゼもヒロトもうなづいた。

 3人は、マシヤマの意見を取り入れ、従来からある施設や物を利用することで落ち着いた。

 3人は青空カフェを出て、天国の丘で一番の高台に位置する南側の丘に登り、グルリと辺りを見渡した。何か利用できそうなものはないかと探したのだ。

 丘の北側の斜面の下に、キラリと光るモノが見えた。それは溜池だった。天国の丘の住人達の生活水は、全てが井戸水で、主にこの池の水は、丘内に植えられている大麻用の農業水だった。池の広さはざっと見た限りでは周囲1キロメートルと、比較的大きな溜池で、丘の住民達からは『琵琶ヶ池(びわがいけ)』と呼ばれていた。 

「あれだ!」マシヤマは叫んだ。

「ナルホドね~」カミカゼも何かに気がついたようだった。

「なんすか?」ヒロトはポケッとしている。

「釣り堀ですよ! 釣り堀! シンガポールでも一時大ブームだったんですよ! あれより大きな池にピラルクだとか大ナマズだとかの超大型魚を放流して、客に釣らせていたんですよ! 世界中から釣りファンが訪れていたんですよ!」マシヤマは声を弾ませ言った。

「今オレもアノ池にデッケェ魚を放して釣らせたら、チビ助共が喜ぶだろうって考えていたところだ!」カミカゼも声を弾ませ言った。

 3人の計画は、天国の丘内にある溜池を釣り堀にすることで一致した。

 次に、池に放流する魚種を何にするかについての話し合いがされた。元々カミカゼは大の釣り好きで、今回利用される天国の丘内にある溜め池内にも、以前からマブナやヘラブナといった釣魚を放流していた。今回この池に放流する魚種は、もっと大型になるものが好ましいということで3人の意見は一致した。

「金城埠頭の市場の横の波止場で、外国人ブローカー達がなんかキラキラしたモンを投げて魚を釣ってるけどよぉ、アレは何を釣ってんだぁ?」カミカゼはマシヤマに聞いた。

「アレはルアーフィッシングといって、小魚に似せた〝ルアー〟と呼ばれる疑似餌を竿とリールで操り、肉食の魚を釣っているんですよ。金城埠頭は海ですから、あそこで釣れる魚は、スズキにヒラメ、それにアジとかじゃないですかね」マシヤマは得意気に小鼻を膨らませながら説明をした。

「ほぉ~。じゃあよ、淡水でもそのルアーってやつで釣れる魚はいるのかよ?」カミカゼは興味津々てな感じで目を見開き聞いた。

「シンガポールの釣り堀の中にいたピラルクーだとか大ナマズは、ほとんどルアーで釣られていましたけど・・・・・・。他にルアーで釣れる淡水魚っているのかなぁ~」

「ライギョなんてどおっすか? アイツが水鳥の雛や、おっきな牛蛙を丸呑みにする瞬間を、ぼくは何度も見たことがあるっす―」ヒロトは言った。

「ああ、確かにライギョはポカン釣りで釣れるからなぁ。ルアーとかいう疑似餌を使えば釣れるかもな―」カミカゼは言った。

「ライギョって、ニシキヘビみたいな模様のある、ウネウネした魚でしょ?」マシヤマは眉間に皺を寄せて聞いた。

「オマエがいつも美味い美味いっていって食ってる白身の刺身あんだろ? あれがライギョだよ」カミカゼは、何言ってんだこいつ、てな感じでマシヤマを睨み付け言った。

「えぇぇ! ずっとヒラメだと思ってた―」

「あの魚は小骨と寄生虫が多いんだけど、それに気を付けさえすれば、まぁ美味い魚だわな―」カミカゼはシレッと言った。

 果して天国の丘内の溜池には、ルアーフィッシングで釣っても面白く、食べても美味しいということで、大量のライギョを放流することに決まった。

 さっそく3人は、ライギョを捕獲すべく、東浦地区のショッピングモール跡地前にある境川へと向かった。この境川の自然堤防上では、大高の組織が大規模な大麻栽培を営んでいる。栽培に使用する目的で、川と平行に、幅3メートルほどの用水路が掘られており、その水の中には気持ち悪いほどの数のライギョがウヨウヨしていた。

 3人は用水路の一方に巨大な四つ手網を設置し、もう一方から水をバシャバシャ足で掻き回し、ライギョを四つ手網に追い込んだ。1回の漁で、軽く50匹ほどのライギョが網にかかった。昼過ぎから夕刻までに、ざっと500匹以上のライギョを捕獲することに成功した。

 ライギョという魚は面白い魚で、水の中で暮らしているくせに、水に溺れる魚である。つまり、何十分かに一度は、水面に顔を出し、外気から酸素を取込まなければ死んでしまう魚なのだ。これは運搬には好都合で、水で湿らせた大きな布でライギョをくるみ、身体の表面が渇かないようにしてやるだけで、地上でも相当長い時間ライギョは生きている。

 軽トラック5台分のライギョが、この日のうちに琵琶ヶ池へと運ばれ放流された。池に放されたライギョたちのうち何匹かは、白い腹を上にして死んでしまったけれど、大多数のモノは元気よく、池の水面に浮かんでいた水草の下をめがけて泳いでいった。

 カミカゼ、マシヤマ、ヒロトの三者がよかれとやった今回のライギョ放流事業であったが、これが思わぬ事件を引き起こした。ライギョが放流される前、琵琶ヶ池の中には、マブナとヘラブナ、それに少量の鯉やクチボソしかいなかった。そこへ肉食の大食漢であるライギョが大量に放たれたのである。

 池の中に敵のいないライギョは、まさに天下無敵状態で、それをいいことに、池の中に浮かぶオニバスや蓮の葉の下に潜んでは、フナや小魚を襲撃し荒食いした。たちまちのうちに琵琶々池内のフナ族は食い尽くされてしまい、最終的にはライギョ同士で共食いを始めたのだった。

 天国の丘や、その近隣に住む子供から大人までが今まで楽しんでいたフナ族の釣りができなくなったと、池にライギョを放流したカミカゼ達のもとへは、毎日大量の苦情が寄せられた。

 かくして琵琶々池の『ライギョ撲滅大作戦』が決行された。相手は優に1メートルを超えるライギョである。そんなサイズのヤツが最低100匹は池の中にはいた。なかでもラグビーボールほどの頭をもった、通称『ラガーボールヘッド』は、目測でも優に2メートルはあった。

 殿様蛙をエサに使ったポカン釣りに、鯉の幼魚を生き餌に使った泳がせ釣りまで、あらゆる釣りが試された。最終的には船と投網までが持ち出された。が、ラガーボールヘッドは、水草の奥深くに潜んでおり、釣りの仕掛けや投網の魔の手から逃れ続けた。

 おかしなもので、当初カミカゼ達が計画したライギョ釣りは、住民達の間でまったく流行はしなかったけれど、ラガーボールヘッド退治大作戦は大盛況で、連日連夜、琵琶ヶ池の湖畔には、大高の組織の者や、近隣住民達が、大勢押しかけてきていた。中にはテントを持参で、野宿をしながら釣りをしている者もあった。

 この状況を見たマシヤマは、カミカゼとヒロトにある提案をした。それは、ラガーボールヘッドに懸賞をつけるというものだった。マシヤマのこの案はすぐに可決された。ラガーボールヘッドを生け捕りにした者には、『餃子のユウコ』の餃子1年分、または、中国から輸入した『恩田(おんだ)社』の『ハンター蕪(かぶ)』という、高性能バイクが贈られることになった。このことは名古屋市内はおろか、名古屋市近辺の知多半島や、三河地区に暮らしている者達にも伝わった。

 当初は、大高の組織と、その近隣に暮らしている者達だけが参加できるイベントであったが、ラガーボールヘッドがあまりに釣れないため、他の組織の者にも、イベント参加が認められるようになった。

 琵琶ヶ池の周囲には、どこからきたのかテキ屋の屋台が立ち並び、毎日が縁日のような賑わいをみせていた。大高の組織とは敵対しているはずの、覚王山の組織の者や、栄ルージュのチンピラ共まで、ありとあらゆる組織の者が、天国の丘へと集まってきていた。しかし、ラガーボールヘッドは釣り上げられることはなかった。ラガーボールヘッド以外の1メートル級の大物ライギョのほとんどが、釣り上げられ、刺身や干物にされてしまっていたのに。

 琵琶ヶ池に集結していた、自称、百戦錬磨の釣り人達は、口を揃えて同じことを言った。それは、ラガーボールヘッドのヤツは大変賢く、昼間は池の水面に広がっている水草の下からまったく出てこないというものだった。

 ならば夜に狙えばよさそうなものだけれど、ラガーボールヘッドは、水草の上に落ちてくる獲物にしか口をださないそうで、仮に太い糸や針といった大仕掛けでラガーボールヘッドの口に針をかけたとしても、魚の抵抗+水草の重みで、竹製の釣り竿はあっという間にノサれてしまい、弾力の限界を超え、堅い堅いラガーボールヘッドの口からは、すぐに釣り針が外れてしまうとのことだった。

 これを聞いたカミカゼは決断した。彼の自慢だった琵琶々池の水草を取り去ることにしたのだ。もともと琵琶ヶ池に蓮や菱、それにオニバス、ガガプタ、ジュンサイといった水草をいれたのはカミカゼだった。彼は大変な釣り好きで、琵琶ヶ池にライギョを放流する前には、フナやヘラブナといった魚を琵琶ヶ池に放流しては釣りを楽しんでいた。そのフナやヘラブナの隠れ場所や産卵場所になればと、池に大量の水草をいれていたのだ。

 カミカゼは、〝草魚〟という水草を主食にする魚を池に放流することにした。草魚という魚は、水辺に生える草から、水面に浮かぶ水草まで本当によく食べる魚で、草で育つくせに体長はバカでかくなり、なかには3メートルを優に超す個体もいる。その草魚は、東浦地区のショッピングモール跡地前を流れる境川と、逢妻川の合流地点に多く生息していた。追い込み漁で大量の草魚を生け捕りにしたカミカゼは、その草魚を琵琶ヶ池に放流したのだった。

 最初は慣れない環境にとまどっていた草魚であったが、時間が不安を取り除いたのか、放流から一週間と経たず、湖面の水草を食べ始めた。これはライギョにとっては一大事で、自分達の隠れ家を丸裸にされて面白いわけがなかった。

 ライギョは、水草と戯れている草魚に攻撃をしかけた。まずはライギョ軍団の隊長であるラガーボールヘッドが草魚界の雄、通称『水草之介太郎(みずくさのすけたろう )』(命名者はカミカゼ)に頭突きをかました。優に3メートルを超す水草之介太郎の魚体は大きくヒラを打った。白い魚体に夏の陽射しが当たり、岸から戦いを見ていた者達の目をチカチカさせた。池の周囲では「おぉぉ~」という地鳴り似た低い歓声が起こった。

 草魚も負けてはいなかった。細長い身体をひるがえしての〝水草之介アタック〟が炸裂した。水面に飛沫が飛び散り、小さな虹が架かった。強い衝撃を受けたラガーボールヘッドの身体が一瞬、仰向けになった。が、すぐに態勢を整えた。気づけば、水草之介太郎の周りを、十数匹のライギョが取り囲んでいた。水草之介太郎は鯉族の威信をかけて戦った。こんな大陸からきたニシキヘビのような魚体をしたチンピラに負けたくはなかったのだ。しかし彼は勘違いをしていた。草魚もまた、大陸から移植された〝異邦人〟だったのだ。

 昼夜を問わず、長きに渡った戦いは、意外な結末を迎えた。ライギョ軍団の一匹が、水中で鼻唄をうたっていた時のことである。草魚たちにもそれは、どこかで聞いたことがある歌だった。自分達の先祖は、関東平野を流れる利根川水系から中部地方にやってきたと、遠い昔に母から聞かされたことを、草魚は思い出していた。そうだ、あの母が唄ってくれた歌だ! 草魚の胸が熱くなった。一匹の草魚が、鼻唄を歌っているライギョに「その歌をどこで?」と話しかけた。

「我等が先祖から代々伝わる大陸の歌です。私は親から教わりました」ライギョは鼻唄を歌うのを一旦やめ、こたえた。

「大陸の歌?」草魚たちはビックリした声をあげた。

「はい、大陸の歌です。我等は大陸から日本に連れてこられたんです。正確には朝鮮半島らしいですけど。確かあなた方も大陸ご出身のはずでは?」

「私達が?」水草之介太郎は言った。

「私等の遠い先祖も、揚子江(ようすこう)の支流域の三日月湖(みかづきこ)の浅瀬でよくトグロを巻いては日向ぼっこをしていたそうです。まぁ、アナタ達のように揚子江の本流の中を泳ぐ度胸も泳力も、私等ライギョにはなかったのですけどね―」ラガーボールヘッドは話しに割り込んできて言った。

「揚子江?」水草之介太郎は聞き返した。

「はい、揚子江です。私も見たことはないですけど、本当に大きな川だそうですよ。川幅も長さも世界級だとか。アナタ方の先祖は、そこから連れて来られたんですよ」ラガーボールヘッドはしみじみと言った。

「それが本当のことならば、我々は何故戦っている? 異国においてたくましく生きている、同胞みたいなものじゃないか!」3メートルを優に超す水草之介太郎の大きな目からは、大粒の涙がこぼれた。周りにいた2メートル級の草魚も、おもわずもらい泣きをした。草魚達の涙は、流したそばから池の水に溶けてゆき、池の水面が少々ではあるが上昇した。

「そういえば昔、そんなことをレンギョから聞いたことがあったような―」1匹の草魚が呟いた。

「レンギョはいいよ、群れで川面を飛べるんだから―」他の草魚が呟いた。

「ああ、アレは見ているだけで爽快だね」また別の草魚が呟いた。

「オレ達にもあれだけの結束力があれば、利根川流域で今も生活できたものを―」最初に呟いた草魚が愚痴った。

「愚痴はやめなさい―」水草之介太郎は静かに、けれど力強い口調で言った。

「どうです、ここらで〝手打ち〟といきませんか?」ラガーボールヘッドは言った。

「ええ、そうしましょう」水草之介太郎はこたえた。

「見届け人は、大高の森の番人であるハシブトガラスの〝砦のジョニー〟に頼みましょう」ラガーボールヘッドは言った。

「アナタ、空の方にも顔が利くんですか!」水草之介太郎は驚いた声を上げた。

「ええ、まあ。長いことこの池にいれば陸も水も関係なくなりますわ」ラガーボールヘッドは照れながら、しかし得意気に言った。

 草魚とライギョ達の手打ち式は、月明かりのない新月の晩に行われた。双方を代表して、ラガーボールヘッドと水草之助太郎が互いに池の水で杯を交わすことになった。

 闇夜から、1羽のカラスが湖面のオニバスの葉の上に降りたった。大高の森の番人〝砦のジョニー〟だった。砦のジョニーはクチバシに、一枚の笹の葉を咥えていた。巨大な円形のオニバスの葉の端っこまで慎重に歩いていった砦のジョニーは、黒く太いクチバシに咥えていた笹の葉を、ソッと池の水面に浮かべた。水面をユラユラ漂う笹の葉に、砦のジョニーはクチバシで水滴を垂らした。笹の葉の上には、一粒の大きな水滴がこんもりと盛り上がっている。

「ではこれより、私、砦のジョニーの見届けにより、琵琶ヶ池におけるライギョ一家と、草魚一家の手打ち式をおこないます。両家の代表者は水面へどうぞ―」砦のジョニーは神妙な面持ちで言った。

 砦のジョニーがのっかっていたオニバスの周りを、池の魚族全員が取り囲んでいる。池の周囲では、ラガーボールヘッドを狙って釣りの仕掛けを池に垂れていた釣り人達が、池から仕掛けを回収し、この世紀の手打ち式を見守っていた。

 ラガーボールヘッドと水草之助太郎が、両族を代表して水面に口を出した。

「では、両族の代表は、どうじに笹の葉の盃に口をつけてください」砦のジョニーは言った。ラガーボールヘッドと水草之助太郎は、ソッと笹の葉の上にのった大粒の水滴に口をつけた。琵琶ヶ池の水面が、一斉に弾けた。池に住んでいる全ての魚族が、両族の手打ちを祝って飛び跳ねたのだ。

「なんかすげぇことになっちまったなぁ~」池の湖畔で手打ち式の様子をみていたカミカゼは言った。

「魚にも感情があるんですね」マシヤマは感心した様子で言った。

「夢のような光景っす」ヒロトは言った。 

「で、どうすんだよ? ラガーボールヘッドは?」カミカゼはマシヤマとヒロトに聞いた。カミカゼとしては、ラガーボールヘッド率いるライギョ族を、これ以上駆除したくはなかった。ライギョによって食い尽くされた鮒族は、そこら辺の水路を網でさらえば、掃いて捨てるほど捕れるのだから、また捕ってきて池に放せばいいだけの話だとカミカゼは考えていた。

「これだけの盛り上がりをみせてますからね。今ここでやめるわけにはいかないでしょ―」マシヤマは、池の周囲に張られたラガーボールヘッド狙いの釣り人達のテント村を眺め言った。横でヒロトもうなづいていた。

「でもだぞ、アレだけのライギョはなかなかどうしていねぇぞ! それを捕って殺そうだなんて、なんか殺生な話じゃねぇか!」カミカゼは、力のこもった口調でマシヤマとヒロトを説得した。

「とりあえずボスに聞いてみましょうっす!」ヒロトは言った。

 3人は、ボスの住居がある丘の北側に向かった。ボスの住居は、童話の『3匹の子豚』の中に出てくるような赤煉瓦を積み重ねた可愛い建物だった。建物から一本、空に向かって煙突が伸びていた。これがボスのこだわりだということは、天国の丘の住人の全てが知っていた。

 3人を代表してカミカゼがボスの住居のドアを叩いた。が、中から返事はない。もう一度強く叩いた。が、やはり中から返事はかえってこなかった。

「もう寝てるんすかね―」ヒロトはボソッと呟いた。

「考えてみれば深夜ですからね、今は。」マシヤマは言った。

「だったら起こすしかねぇだろ!」カミカゼは口を尖らせそう言うと、後ろにむかって何歩か下がった後、突然助走をつけてドアに跳び蹴りをかました。が、ドアはびくともせず、おまけに大した効果音をたてることもなかった。カミカゼは、マシヤマとヒロトの呆れ顔に腹を立てたのか、額に青筋を浮かび上がらせた。

「火事だぁ! 火事だぁ!」カミカゼはボスの住居の前で叫んだ。周囲の住居の室内では、石油ランプに淡い光が灯った。が、ボスの住居では何の変化もなかった。

「おいおい、死んでんじゃねぇのか、ボスのやつ?」カミカゼはイタズラ坊主丸出しの笑顔で言った。マシヤマとヒロトは無言で首を振った。

「ちょ、ちょっと! ちょっとって! おいやめろよカミカゼ! もう明日でいいじゃないか!」マシヤマは、ボスの住居の屋根によじ登りだしたカミカゼの右足を掴みながら言った。

「放しやがれこの意気地無しのモヤシ野郎!」カミカゼは、面白くってしかたがないといった感じの表情で怒鳴った。マシヤマは迫力に押され、手を放してしまった。難なく屋根の上によじ登ってしまったカミカゼは、ボス自慢の煙突の方に歩いていった。

「まさか―」ヒロトは顔を引きつらせた。

「入っていっちゃった―」室内へと伸びている、煙突の中へと消えていったカミカゼを見上げながらマシヤマは言った。

 八 鉢合わせ

「うわあぁぁぁぁぁぁあっっぁぁあだぁっぁっぁぁぁ!」ボスの住居の中から人の叫び声が聞こえた。カミカゼのものなのか、ボスのものなのか、はたまた第三者のものなのか、誰の声なのかまったく分からない叫び声だった。

「何が起こってるんだ?」マシヤマは、ボスの住居の中から聞こえてくる奇声に耳を傾けながら、ヒロトと顔を見合わせ言った。

「突然カミカゼさんが家に入ってきたもんだから、きっとボスがビックリして声をあげたんじゃないすかね―」ヒロトは落ち着いた口調で言った。

「やっぱりその〝線〟か―」マシヤマは呆れた表情で言った。

 ボスの住居のドアが、中から開けられた。住居の中から石油ランプの淡い光が、外へと洩れだし、マシヤマとヒロトの足下をやんわり照らした。

「なにをやってる! 早く締めろ!」住居の奥からボスの怒鳴り声が聞こえた。

 開けられたドアの横には、青ざめた表情のカミカゼが立っていて、ドアの前に立っていたマシヤマとヒロトを無言で住居の中へと手招きした。マシヤマとヒロトは、カミカゼの仕草に従い、ボスの住居の中へと入っていった。

 マシヤマがボスの住居に入ると、ドアのすぐ横の壁に張り付くように〝人〟が立っていて、

「うゎっ! ビックリした―」とマシヤマは声を上げて驚いた。その〝人〟は、ボスでもカミカゼでもなかった。マシヤマは恐怖のあまり、その〝人〟を凝視することができなかったが、後に続いていたヒロトは、ジッと下からその〝人〟を見上げ、

「誰っすか? この人―」と、冷めた口調で言った。

 部屋の奥で、ボスは項垂れていた。部屋の真ん中に、細長い木箱が置かれていた。艶消しの黒で塗られたその木箱に、ヒロトは見覚えがあった。もちろんマシヤマは、その木箱がなんであるかはすでに気づいていて、もう今すぐにでもここから逃げ出したかった。

「あ、前にぼくのお姉ちゃんが入れられてたヤツっす―」ヒロトはそう言いながら、木箱に近づいて行った。

 細長い木箱の正体は棺桶だった。部屋の真ん中に置かれていた棺桶の蓋は少し横にずれていて、中を覗くことができた。ヒロトは好奇心のおもむくままに棺桶の中を覗きこんだ。青白い肌の男の顔が、白目を剥いていた。顔面には大きく、×の印がナイフか何か鋭利なモノで肉をえぐられ刻み込まれていた。口もだらしなく開いていた。

 今まで、大麻栽培組織どうしの小競合いの現場に何度か居合わせたことがあったヒロトは、人間の死体なんてものは、何体も見たことがあった。が、それにしても今回の死体は、気味が悪く、ヒロトは股間がスゥスゥする感触を覚えた。ヒロトもマシヤマと同じく、一刻でも早くボスの住居から逃げ出したくなった。

「まあ、落ち着いて聞け―」項垂れていたボスが、ヒロトの傍らに歩いてきて言った。「これは事故だ。事件じゃない―」

 ボスは、一番厄介なヤツらに見つかってしまったと思った。

「誰がどう見たって殺しだろ? これは!」カミカゼはボスの背中にむかって言った。動物的感が人一倍鋭いカミカゼは、完全に〝何か〟に気づいていた。

「違う、事故だ!」

「実際のとこはどうなんだよ? おいっ! 弔い屋! なんか言えよ、この野郎!」カミカゼは、住居の入り口に立っていた〝人〟に向かって怒鳴った。

 マシヤマもヒロトも、これが弔い屋? といった感じのびっくりした表情で、怒鳴っているカミカゼから、その〝人〟に視線を移した。カミカゼに怒鳴られた〝人〟は、頭と顔をアフガンスカーフで覆い、上着には穴だらけのフランネルシャツを羽織り、下はヨレヨレのジーパンで、靴にいたっては、足の親指が飛び出す穴が開いているほどのボロをはいていた。正直、物乞いにしか見えない。

「弔い屋さんて、ものすごく清潔な恰好をしているってぼくは聞いていたっすけど、実際はこうなんすか?」ヒロトは、ボロに身をまとった男の足から頭のテッペンまでを凝視しながら言った。

「私もそう聞いていました―」マシヤマは横目で、住居の入り口に突っ立っているボロを着た男を観察しながら言った。

 ボロを着た男は、身体をユラユラっと揺らし、 

「あっしは、弔い屋さんのような立派なモンじゃないです。ただ、大高の6代目に―」と喋り出した。と、大高のボスは途中で男の話を遮るように「もう遅い!」と大きな声をだした。ボロを着た男はその場で項垂れ黙ってしまった。

「そうだ、こいつは弔い屋だ。ここにある死体を持ってきたのはコイツだ―」とボスは冷静な口調で言った。続けてボスは何かを話そうとしたのだけれど、眉間に皺を寄せ、怒りに打ち震えているカミカゼが横目に入り、話の続きをするのをためらった。

「覚王山の連中にヤられたんだろ!」カミカゼは大高のボスに向かって怒鳴った。ボスは、その巨体を丸め、弱々しくうなづいた。

「しかし彼は、金城埠頭の市場に商品を配送するドライバーでして」弔い屋はボスをかばうようにカミカゼに言った。

「おい弔い屋ぁ~、配送ドライバーだったら殺されてもいいのかよぉ?」カミカゼは両目を見開き、両腰にぶら下げているマチェットの柄に手をかけた。

「カミカゼやめろ―」ボスは覇気の無い声で言った。住居の中という狭い空間では、近接攻撃を大の得意とするカミカゼに、誰もかなわなかった。ボスでさえ、一度マチェットを抜いたカミカゼを止める自信はなく、ただ恐怖だけが足の爪先から頭のテッペンまでを支配していた。

「ウチの配送ドライバーは、刃物で顔を切り刻まれて殺されてもいいってのかよぉ~。おぃ~、こたえろ! 弔い屋!」カミカゼは、両腰のマチェットの柄に手をかけたまま、ジリジリと迫って行った。弔い屋の足がガクガク震えだした。威圧感に押されるように、弔い屋の震える足は、一歩、二歩と後ずさりをした。弔い屋は斬られると思った。覚悟を決めようと思った。しかし、やはり、死にたくはなかった。

「そ、そういう意味で言ったんじゃございません。し、信じてください―」弔い屋は声を震わせ言った。

 カミカゼは、弔い屋の前で仁王立ちしていた。弔い屋は、恐怖のあまり膝が激しく笑い出し、立っていられなくなり、その場に尻餅をついてしまった。履いていたヨレヨレのジーパンの股には、みるみるうちに黒いシミが広がっていった。失禁していた。それを見たカミカゼは、弔い屋の股間を右足で軽く蹴り上げ、薄く笑った。

 弔い屋の呼吸は早くなり、とうとう自分では呼吸をコントロールできない過呼吸状態になってしまった。カミカゼと弔い屋のことを、背後で見ていたマシヤマは、過呼吸状態で苦しそうにしている弔い屋を見かねて、傍らにいた大高のボスに言って、ビニール袋を一枚もらった。

 マシヤマは、カミカゼと弔い屋の間に割って入った。

 カミカゼは、仁王立ちをしたまま弔い屋を見下ろしていた。マシヤマは、全身を丸めて震えている弔い屋の前に座り込みビニール袋を差し出した。

「袋の中に口を入れて、自分の息を吐いて吸ってください。もっとゆっくり。そうです、その調子―」マシヤマは、弔い屋の右肩を抱きながら言った。弔い屋の呼吸は、しだいに落ち着いてきた。

「しばらくはその調子で、息を吸って吐いてを繰り返してください―」マシヤマは優しい口調で言うと、その場から離れた。マシヤマは弔い屋の傍らを離れる時に、背後で仁王立ちをしていたカミカゼの肩を抱き、もう落ち着くようにと言った。カミカゼは鼻から大きく息を吹き出し、両腰から手を外した。

「ボス、説明をしてください―」マシヤマは言った。横でカミカゼがボスを睨み付けている。

「ああ―」ボスは低い声でこたえた。

「おぃおぃおぃおぃおぃ、マジか?」カミカゼは声を次第に荒らげながら言った。「ヒロトのヤツ、弔い屋の過呼吸もらっちまったぞ!」

 カミカゼと弔い屋のやり取りをじっと見ていたヒロトは、極度の緊張からか、過呼吸に陥り、苦しそうに部屋の隅に座り込んでいた。すぐにマシヤマがヒロトに駆け寄り、弔い屋にやったことと同じことを、ヒロトにさせた。

「チッ! こりゃまじぃぞ! 1回ソイツがでると癖になるからな。もうコイツは戦闘で使いモンにならんかもしれんな―」カミカゼは、過呼吸に苦しんでいるヒロトを見ながら言った。

 マシヤマの介抱のおかげで、ヒロトの呼吸も落ち着き、ようやくボスの話しが始まった。

「まぁ、なんていうか、カミカゼが言う通り、コイツは他の組織の者によってヤられた」ボスは、部屋の中央に置かれた棺桶に目を向け言った。「ただ、ただだぞ! まだ分からんのだ。コイツをヤったのが、覚王山のヤツらなのかは―」

「オレ達に手を出してくるヤツ等なんざぁ、覚王山くらいしかねぇだろ!」カミカゼはボスに噛みつくように言った。

「いや、あのな、カミカゼ、落ち着いて聞けよ―」ボスはだだをこねる子供を諭すように言った。

「オレはさっきから落ち着きまくってるぜ!」

「・・・・・・もしかしたらだぞ。もしか、したら、」ボスは慎重な口調で言った。ボスの目は真剣そのもので、カミカゼの目を強く見つめていた。「栄ルージュのヤツらに襲われたかもしれんのだ―」

 カミカゼは黙って目をつむった。

 栄ルージュは、名古屋第三位の勢力だ。この組織は、覚王山の組織や大高の組織とは大きく異なっていた。覚王山にしても大高にしても、組織の目的は〝生きてゆく〟ことであり、抗争で血を流すことではなかった。これに対し栄ルージュは、純粋無垢の暴力集団で、自分達の食い扶持は〝100%他人から奪う〟がモットーの組織だった。自分達が腹が減った時は、他の組織の部落を襲撃したり、市場へ商品を運び込んでいる輸送車を襲ったりして空腹を満たした。

 そのヤリ口は残酷極まり、栄ルージュに襲われた者はたいてい、両手両足の生爪をペンチで剥がされ、鼻や耳も削ぎ落とされ、半殺しにされ、道端に放置されていた。

 彼等は滅多なことでは殺しをしない。それは、自分達の食い扶持を維持するためである。他の組織を襲う度に皆殺しにしていたら、自分達に変わって作物を育てる者がいなくなるからである。そのため彼等は、自分達の恐怖を相手に植え付ける術を選んだのだった。栄ルージュが殺しをする時は、他の組織との抗争時か、襲撃した相手が激しく抵抗した時に限られていた。

「こいつが運転していたトラックの中の荷は?」カミカゼは重々しく両目を開き、棺桶を見たあと、弔い屋の方を向き言った。

「ト、トラックの荷は全部ありませんでした―」声を震わせこたえた。

「コイツが運んでいたモノが〝何か〟ってことを聞ぃてんだよぉ―」カミカゼは低い声で言った。

「そ、それは手前共もまだ、調査の方が進んでいませんでして―」弔い屋はこたえた。カミカゼは身体の正面を弔い屋の方に向け、無言で睨みつけた。

「トラックの中の荷は『ヘブン・ザ・ヒル』だ。今年収穫した大麻から作ったヤツだ―」ボスはカミカゼに言った。

 カミカゼは、ただでさえ大きくギョロッとした両目を見開き、驚いた表情でボスの横顔を見た。

「まだ6月も半ばですよ? 大麻を収穫するには早すぎる―」カミカゼの横で話を聞いていたマシヤマは言った。

「いや、問題はそこじゃねぇ―」カミカゼは小声で呟いた。

「え?」と、マシヤマ。

「だから問題はソコじゃねぇんだよ。大麻の収穫が早いだとかは問題じゃねぇんだよ。実際、天候さえ落ち着いてりゃ、一ヶ月くらい収穫が早まる時もあるもんだ―」カミカゼは落ち着いた口調で言った。

「じゃあ、君が言う問題って?」

 カミカゼは右足で部屋の床を軽く蹴ったあと、話を始めた。

「まあ、なんつぅか、オレはよぉ、元々栄ルージュにいた人間だからよく知ってんだけどよぉ。ご存じの通り栄ルージュっつぅ組織は、略奪行為を生きる糧としているフザケタ組織だ。でもよぉ、一応組織っていうもんを保っていくには〝鉄の掟〟っつぅか、規則っつぅか、まあ、決まりみたいなもんがあんだよ。

 栄ルージュっつぅ組織はよぉ、元々は改造バイクを転がしてた荒くれ者の集まりだから、まぁとにかく発足当時は内部外部問わず揉め事が頻発したんだよ。中でも酒と麻薬のトラブルは最悪で、身内で殺し合う事が頻発したんだな。酒は奇数日しか飲んじゃ駄目で、麻薬もヘロインにコカイン、それにLSDっつぅ常習性の強ぇ(つえ)のは絶対に禁止されたんだ。それでも酒と麻薬による揉め事は絶えなくて、そのうちに、中毒にならねぇマリファナだって例外じゃなくなったんだ。とにかくトリップできるモンは全て禁止になったんだな。

 組織内の規則が強化されるにつれ、規則に背いた者への罰は重くなるばかりでよぉ。と言っても、最初は規則に違反しても、熱した鉄のプレートで〝×〟印の焼き印が身体に押される程度だったんだ。まあ、馬鹿共の宿命っつぅか、次第にその焼き印の数を誇るヤツがでてきやがってなぁ。我先にと規則を破るヤツが大勢でてきたんだ。

 それで罰の強化が図られたんだ。オレが在籍していた当時で、マリファナをヤッたってだけでも、人差し指と中指をもってかれたぜ。1回目でこれだ。二回目は見せしめの公開集団リンチだ。身体中がパンパンに膨れあがるほど蹴られ殴られ、最後には逆さで木に吊されるんだ。息が途絶えても、木からは降ろしてもらえねぇ。ここからが見せしめの本番よぉ。カラス共がその死骸を突きにやってくんのをみんなして見守んのよぉ。たくっ、思い出しただけでもケッタクソ悪(わり)ぃぜぇ―」

 カミカゼは話が終わると、右足で部屋の床を軽く蹴っ飛ばし、下を向いて黙りこんだ。部屋の中は静まりかえり、誰が最初に声を発するかの無言の探り合いが数分間続いた。ようやく震えがおさまったマシヤマは、今こそ自分がこの場を仕切る場面だと思った。

「と、いうことはですよ。今回、大高の組織の配送ドライバーをヤったのは、栄ルージュではないとカミカゼは思うわけですね?」

 カミカゼは無言でうなづいた。

「ボス、一つお聞きしますが、アナタの先ほどの発言は、覚王山の組織に対し好戦的なカミカゼの気を散らすための工作というわけではないのですか? どうでしょうか、おこたえください―」マシヤマはボスに身体の正面を向けて言った。

「オレは大高の6代目の称号に誓って言う! 断じて違う!」ボスは、不機嫌そうにこたえた。

「弔い屋さんの目から見てどうですか?」マシヤマは、住居の入り口付近でぐったりしている弔い屋の方を見て聞いた。

「いや、あの、私どもの方では、その、まだ調査の途中でして―」弔い屋はたどたどしい口調でこたえた。カミカゼは鋭い流し目を弔い屋におくった。再び弔い屋は恐怖に震え上がり、完全に沈黙してしまった。

「あの、過去の事例からいってどうでしょうか? たとえば過去にですね、今回のように顔を×印で切り刻まれた遺体が見つかったこととかはないでしょうか?」マシヤマは、カミカゼの鋭い視線に脅えている弔い屋に、淡々とした口調で質問を続けた。深く頭を垂れ、脅えきっていた弔い屋ではあったが、質問にこたえることも業務の一つと、重い口を開いた。

「貴方様は今、過去の事例はどうかと言われましたが、私、実は、まだ、弔い屋の見習いでして、経験を積んでいないものですから、こたえたくても、こたえようがございません。師匠から聞いた話で申し訳ございませんが、師匠が言うには、このように顔を切り刻まれたご遺体というのは、過去には随分と沢山あったそうです。街が安定した現在においては、珍しいと付け足しておりましたが・・・・・・」

「チッ! 見習いなんか送り込んできやがって!」カミカゼは右足で床を強く蹴りながら言った。

「幹部レベルからなんだよなぁ~。いっぱしの弔い屋が動いてくれるのは―」ボスはカミカゼに聞こえるように大きな独り言を言った。

「なんでだよぉ。なんでそんな差別をするんだよ? 幹部だろうが幹部じゃなかろうが、こういうことがきっかけで全面抗争が起こるんじゃねぇのかよ?」カミカゼは言った。

「最近では、そのようなことは皆無です。全面抗争は、お互い血と金が流れるばかりで百害あって一利なしですから。だいたいが金銭でかたがつきます―」弔い屋は、カミカゼの方を真っ直ぐ見据えて言った。カミカゼは、鼻で溜め息を吐き、目を閉じて黙った。

「ところでカミカゼ、何でこんな夜中にオレの家に来た?」大高のボスは聞いた。

「あぁん? ああ。なんでって聞かれると、何だったっけ? マシヤマ、オレ達ってここに何しにきたんだっけ?」

「野外裁判の判決で言い渡された娯楽施設の件できたんですよ」マシヤマは頭を掻きむしりながらこたえた。

「ああ、そ~だそ~だ―」カミカゼは力なく言った。

「ああ、あれな。聞いてるよ、オマエ等、琵琶ヶ池にライギョを放して池の中をメチャクチャにしたらしいな」ボスは片頬に笑みを浮かべ言った。

「いやいや、アレはアレで大盛り上がりですぜ! 今だって池の周りを釣り人達が囲んでいるくらいですからね―」カミカゼは恥ずかしそうにこたえた。

「まあ今回は、これで勘弁してやる。それにしてもカミカゼよ。頼むから1人で無茶だけはしないでくれよ。オマエ1人の組織じゃねぇんだから。頼むぜ―」ボスは目を細めカミカゼを見ながら言った。カミカゼは申し訳なさそうに項垂れた。

「あ、寝てる―」マシヤマは言った。ボスの住居に居合わせた者全てが、マシヤマの視線の先を追った。過呼吸に疲れ果てたヒロトが、壁にもたれかかり寝ていた。

 カミカゼはヒロトの傍らに歩いていき、ヒョイと片腕でヒロトを持ち上げた。カミカゼの腕の中で、ヒロトは目を覚ますことなく寝ていた。カミカゼは、棺桶の中の遺体に軽く会釈をすると、そのまま無言でボスの住居を出て行った。マシヤマもカミカゼに倣い、棺桶の中の遺体に両手を合わせお辞儀をし、ボスと弔い屋に深々と頭を下げたのち、暗闇に消えてゆくカミカゼの背中を追い、ボスの住居を早足に去って行った。 

 ボスはカミカゼとマシヤマが、天国の丘を包む夜の闇に完全に溶け込んでゆくのを確認したのち、住居のドアを閉め、中からカギを掛けた。続けて、屋根の上に飛び出した煙突へと繋がっている暖炉の中をアルコールランプで照らし、煙突内に誰もいないことを確認した。

「一時はどうなるかと思いましたよ!」今の今まで住居のドア付近で元気なく項垂れていたはずの弔い屋が、シャキっとした直立不動の姿勢でボスに言った。

「まったくだ! ホント冷や汗もんだったな―」

「しかし、あのカミカゼの威圧感たるや。流石はその名が名古屋市全土に響き渡っているだけはある―」弔い屋は、心底感心した様子で言った。

「アレは演技じゃなくてマジだったのか?」ボスは片頬に笑みを浮かべ言った。

「まあ、半分は本気でしたよ」

「よし! これ以上面倒くさくなる前に、さっさとこれを始末しといてくれ―」ボスは、部屋の中央に置かれた棺桶に目を向け言った。

「そうですね―」

「それで、だ、弔い屋。今回アチラさんに要求する賠償金はどれくらいが妥当だね?」ボスは言った。

「まあ、そうですね。ヤられたのは下っ端中の下っ端ですからね。相場としては、向こう3年間、一年あたり5万ドルってとこじゃないですか? まあ相手は天下の覚王山ですから、もうちっとふっかけても大丈夫っちゃ~、大丈夫だと思いますけどね―」弔い屋はすまし顔でこたえた。

「5万ドルか。よし! じゃあその線で交渉頼むわぁ」ボスは、勢いよく両手を張り合わせ言った。弔い屋は「かしこまりました」と深々と頭を下げ、棺桶を引っ張り、ボスの住居を出て行った。

 九 弔い屋というお仕事

 若者だけで構成された小さな社会というものは、本当にエネルギーの塊で、他の組織の者と目が合った合わない、オマエの顔のホクロが気にくわない、と言った些細なことでも小競合いになることがある。そして時にはそれが、死人がでる喧嘩にまで発展することも少なくない。

 こうした個人の意地やプライドでの喧嘩により死んだ者は、どんなに構成員を大事にしている組織であっても、遺体を丁寧に弔うことはまずない。そんなことをしてしまえば、殺した相手に報復をしようという仲間内の感情を高ぶらせるだけであり、やらなくてもよい全面抗争に発展する恐れがあるからだ。

 他の組織の構成員との小競合いの結果死んだ者の弔いは、生前親しかった者数人で行われることもあるにはあったが、現在ではそれもほとんどない。今の主流は、『弔い屋』と呼ばれる警察と葬儀屋と検察官と裁判官とお節介屋を一緒くたにしたような者達による弔いがほとんどである。

 弔い屋の仕事は、路上に放置された死体を収集するところから始まる。次に、遺体の身元確認をする。顔などがグチャグチャに潰されている場合は、遺体の所持品で身元を割り出す。つまり拳銃やナイフに掘られたイニシャルやニックネーム、それにその者が所属しているであろう組織や隊のトレードマークを頼りに身元を割り出すのである。

 身元が割れたなら、遺体を届けてはい終了、とはならない。これではただの生ゴミ収集業者とかわらない。彼等がこの世界の者達に畏怖の念をこめられ〝弔い屋〟と呼ばれるのは、この他の彼等の仕事っぷりにあるのだ。

 遺体を冷凍保存する施設がない日本島において、遺体の腐敗はものすごい早さで進んでゆく。そこでまず遺体が原形を保っているうちに、遺体は急いで身元に戻される。が、それは真夜中に隠密にされるのである。若い者だけで構成された組織の中には、遺体を見ただけで激昂し、単身あてもなく仇を討ちにいく者がいるからである。物事をこれ以上複雑にしないためにも事理弁識能力を備えた、組織の事務方との間で事が進められていくのである。

 無事に遺体の確認と引き渡しが終わると、次は何故この者は殺されたのだろう、という原因の調査を行う。そして殺した相手が分かったのならば、直接その者に会い、殺しの動機の調書をとる。殺した者がどうしてもみつからない場合は、現場付近で予め聞き出しておいた情報を元に丁寧な仮説をたてる。この仮説は、絶対に偏ったものにならないように作られる。わざわざ報復の原因となるものを弔い屋は絶対に作らないのだ。

 調書、若しくは仮説が整ったところで、遺体は始めて公開される。あまりに腐敗が進んでいる場合は、殺された事実のみが公開されることになっている。

 調書や仮説を見て怒りを覚えた者は、弔い屋を通じてのみ、相手方とコンタクトをとることが許される。これは暗黙のルールではあるが、破れば組織を破門となるか、私刑(リンチ)の対象としている組織がほとんどである。とにかく現代の組織は、組織同士の抗争に発展するのを恐れているのだ。下っ端のチンピラの一人や二人がヤられただけで、何十、時には100人単位の死傷者をだす抗争をするのはあまりに馬鹿げているからだ。

 今までで実際に起こった事例では、大高の組織の二代目が、自身の組織の制圧下である天白川の河川敷で、2人のボディーガードと共に殺された事件があった。

 大高の二代目は、まだ日本国が存在したときからの人間で、日本国がアジア大陸に移るまでは市バスの運転手をしていた真面目な公務員だった。根っから真面目な彼は、毎日の日課である河川敷でのマラソンの最中に、天白川の対岸の土手の上で銃の扱い方を習っていた覚王山の組織に所属していた10歳の少年が的である空き缶に放った弾丸の流れ弾によって死亡した。

 襲われたと勘違いしたボディーガードの2人は、覚王山の領地と大高の領地の国境である天白川を渡河すると、一気に土手を駆け上がり、銃を撃った少年と、銃の扱い方を教えていたこれまた10歳の少年の2人をその場で射殺した。

 大高の二代目ボスがヤられた時の銃声を聞きつけ現場に駆けつけた覚王山の守備隊は、大高のボディーガードを見つけるや否や、有無も言わせず突撃銃でボディーガード2人の身体を蜂の巣にし、その遺体を天白川に放り投げて捨てた。この事件の処理をしたのが、名古屋市の緑区と南区一帯を管轄していた弔い屋達だった。

 彼等はすぐさま両組織の遺体を回収すると、現場の目撃者や覚王山の守備隊の者から調書をとり、それと遺体を持って両組織の本部へと急いだ。

 大高にとっては有能なボスが殺されたのであるから、女子供や農夫までをも投入しての全面抗争論が叫ばれると予想された。が、先にも説明したように弔い屋のスマートなやり方のおかげで、ボスが死んだことを大高の構成員全員が知ったのは、ボスの死亡後一週間後で、しかも遺体はすでに火葬され遺骨だけになっていた。

 これではさすがの若い血も感情移入しにくいとみえて、特に普段から大麻畑の土いじりに明け暮れている農夫達の間では、次の三代目には誰が適任者であるかといった話題で持ちきりだった。いつの時代も、若者は熱しやすく冷めやすいのである。一部の武闘派が報復をすべきだと主張したところで、少数派は多数派に押し切られ、もし報復するのなら組織を脱退してからいってくれ、というところで話は片付いた。

 組織を抜けて暴力一本で喰っていけるほどこの日本島が甘くないことを骨身に染みるほど分かっている大高の組織の兵士達は、涙を流しながら二代目の遺骨に手をあわせた。これが彼等にできる精一杯のことだった。ここでまた弔い屋の出番である。殺しあった者達の位があまりに違い過ぎる場合には、それ相応のことでバランスをとる必要がある。

 弔い屋は、大高の者達を代理して、覚王山に対し損害賠償を請求した。その結果、〝覚王山の組織は大高の組織に対し、覚王山が名古屋市港区にある金城埠頭の麻薬市場で独占的に流通させている阿片とヘロインの年間のあがり(儲け)のうち0.3%をむこう7年間無条件で受け取ることができる〟という権利を大高の組織に勝ち取らせた。0.3%という数字をしょぼく感じるかもしれないが、阿片とヘロインの世界シュア50%を越えている覚王山の組織の年間のあがりは膨大である。

 分かりやすく説明すると、西暦2014年の円に換算して年に約5000億円ものあがりがある。(もちろんこれは阿片とヘロインのあがりだけの金額)ということは、年間約15億円(実際は米ドル、または人民元かユーロで支払われる)もの大金がなにもせずとも大高の組織にはいることになる。 

 大高の組織と覚王山の組織の間に、弔い屋が仲介していなかった時のことを想像してもらいたい。もし大高の農夫と兵士達が同時に熱していたならばどうなっていただろうか。おそらく大高と覚王山との全面抗争は避けられなかったであろう。ちなみに、これだけの仕事をして弔い屋が互いの組織からもらえる報酬は、米俵3俵に食後のマリファナ1年分(約5キログラム)程度にすぎない。彼等は弔い業を聖職だと思っているという。だからこれだけの報酬でも不平不満は言わないのである。

 十 収穫

 季節は移ろい、天国の丘の南西側に位置する高台から景色を眺めると、所々点々と盛り上がっている里山や荒野の向こうには海が見え、水平線には大きな入道雲が沸き上がっていた。大高の組織の7月は、何かと忙しい時期だった。7月も半ばを過ぎ梅雨が明けると、その年の春に植えた大麻の収穫があった。大高の組織に属している者なら、階級や役職に関係なく全員が収穫作業に参加しなければならない。収穫された大麻は、マリファナの原料となる葉とバッツを丁寧にとられ、天日干しされる。

 連日気温が30度以上になる土地での野良仕事はきついが、夏空の下のオアシスである大木の下の木陰での昼食は、朝早くから汗を流しているためか、いつもの食事の何倍も美味しく感じられる。連日続いた収穫作業も終りに近づくにつれ、昼食は豪華になった。

 最初は単純な重箱の弁当から始まり、次に鉄板焼き。そして最後には下の民から仕入れてきた仔牛と子ヤギの丸焼きでしめられるのが恒例となっていた。炭火による遠火で焼かれた仔牛と子ヤギの肉を、岩塩だけで食べる。これは最高の贅沢だった。金銭的にも非常に豊かである大高の組織にあっても、1年に1度だけ食べることができる料理なのである。

 カミカゼとマシヤマ、それにヒロトの3人は、天国の丘内に広がる大麻畑の収穫作業に従事していた。

「カミカゼさん、頼むからそのマチェットで肉を削いでみんなに配るのだけはやめてくださいっす!」ヒロトは、今まさに右手に持ったマチェットで、炭火で表面をこんがり焼かれた仔牛の肉を削ごうとしていたカミカゼに言った。

「大丈夫だよ! ちゃんと洗ってきたから!」カミカゼは声を弾ませ言った。彼は毎年、この料理を心から楽しみにしている。

「そんな人斬りナイフを食事の席で振り回すモンじゃないよ!」マシヤマは怒った口調でカミカゼに言った。他の丘の住民達も、顔をしかめ浅くうなづき、マシヤマの意見に同調していた。

「ちぇっ! どいつもこいつも意気地のねぇこといいやがって! ちょっとくらい人を斬った山刀で削いだ肉の方がうめぇんだよ!」カミカゼはバツが悪そうに言った。そして、右手に持っていたマチェットで仔牛の肉を削ぎ、刃先に突き刺し、その肉を自らの口に放り込んだ。

 カミカゼは口に入れた仔牛の肉を、数回咀嚼した後、仔牛を焼いていた釜戸の傍らの皿に盛られていた岩塩を左手の人差し指と中指でつまみ口に放りこみ、さらに数回、仔牛の肉を咀嚼した。

「ありえねぇ旨さだ―」カミカゼは片頬を吊り上げ、眉間に皺を寄せ言った。

「そういう言葉は、もっと優しい顔で言いなさい―」マシヤマは呆れ口調で言った。

「まあいいから、オマエも喰え!」カミカゼはマチェットの刃先に突き刺した肉をマシヤマの口元に差し出した。

「危ない危ない危ない! 肉からナイフの先っちょが飛び出してるじゃないの!」マシヤマは後ずさりしながら言った。

「たくっ! オマエはどんだけ気が小せぇんだよ!」カミカゼは呆れた表情で言うと、マシヤマに突き出したナイフの刃先を自分の口に運び肉をほおばった。

「ヒロト、そういえばオマエって何時エミさんを代襲するんだぁ?」カミカゼは肉を咀嚼しながら言った。「エミさんが亡くなってからもう3年だろ?」

 ヒロトは子羊の丸焼きから大量の肉を削ぎ、手に持っていた皿にのせ、必至の形相で、一心不乱にその肉にむしゃぶりついていた。身長は150センチに満たなく、体重も40キロ代前半の小柄な体型なヒロトであったが、彼の食欲は尋常ではなかった。とにかくいつも、食べる量が半端じゃなかったのだ。今日のこの昼食に用意された仔牛と子羊の計5匹のウチ2匹は、ヒロト1人で平らげてしまうことだろう。あとの3匹を、この地区で大麻の収穫作業をしている30人ほどで分けて食べても十分な量であることからも、ヒロトがいかに大食漢であるかが分かる。

「なにも聞いてないっす―」ヒロトは肉を食べるのに忙しく、早口でカミカゼに言った。

「何月だったよ、エミさんが死んだのって?」

「ねぇ、なにもこんな時にそんな事を聞かなくたっていいんじゃないの?」マシヤマは言った。

「しょうがねぇだろ、気になんだから―」カミカゼは口を尖らせこたえた。

「ホント、デリカシーに欠けてるよ、君は―」

「ところでオマエって、エミさん見たことあったけ?」カミカゼはマシヤマに聞いた。

「ギリギリないなぁ~。私がここに来たのも3年前だけどね―」

「ちょうど入れ違いってとこか―」カミカゼは肉を一切れ口に放りこんでから言った。

「そうだね。というと、ぼくも今年で19歳か~」マシヤマはしみじみと言った。

「シンガポールには戻らねぇのかよ?」カミカゼは言った。

「う~ん、正直もう勉強はしたくないんですよ。どんなに頑張ったって、結局は血筋がモノをいう世界ですからね、大陸は―」マシヤマはこたえた。

「血がモノを言うっていう点じゃあ、ここもそうかわんねぇだろ?」カミカゼは言った。

「いやいやいや。一生地べたの土を触ることもなければ、踏むことだってない輩がゴロゴロいるんです、大陸には。一方で、一生泥水の中から抜け出せない連中が山のようにいるんです、大陸にはね。私はそういうのがイヤなんです。頭も使い、身体も使う生活こそが人間ですから―」マシヤマは、大麻の刈り入れ時に自分の手の甲に付着した土を見ながら言った。

「おまえは一生地べたの土を知らねぇでいい側の人間だったんだろ? だったらそれはそれで恵まれてていいじゃねぇかよ―」カミカゼは言った。

「何事もバランスが大事なんですよ。バランスが―」マシヤマは目を伏せてこたえた。

 十一 代襲

 大高の組織は基本的に、兄弟や親戚の位を代々代襲していく組織だ。ほとんどの組織が実力主義を取り入れている中で、大高だけが保守的ともいえる代襲制をとっているのにはもちろんわけがあった。

 年若い男達は血気盛んで、何かっていうと銃を撃ちたがる。そこで大高の組織では、生まれついての位が決められたのである。農夫の血筋の者は死ぬまで農夫であり、組織をあげての抗争の時以外は、銃や剣の所持は許されないし、部下をもつことも許されない。

 一方で兵士の血筋の者は、やはり死ぬまで兵士であり、いざ抗争が始まったのならば、代々受け継いでいる隊と共に、真っ先に抗争のド真ん中へと飛び込んで行かなければならない。もし、敵に背中を見せようものなら、それが戦略的、または戦術的撤退と認められない限り、後方で待機している予備隊により射殺される運命にある。

 つまり、生まれた時からの分業制を明確にすることにより、大麻の生産制の安定化を図ったのである。しかし、任務時間が終われば役職に関係なく平等なのが、大高の組織の特徴でもあった。夜になると、兵士の部隊長と、農夫見習いが肩を並べワイワイと酒や食事を共にしている光景は、天国の丘内のいたるところで見られた。

 死んだ兄弟の地位を引き継ぐ大高の組織にとって代襲式は、特別の儀式だった。自分より位が上の兄弟を持つ者は、その兄弟がなんらかの理由で亡くなってから3年間の間は、組織の各部門を〝見習い〟という肩書きで転々とさせられる。無事にこの3年間を終えた者は、半強制的に兄弟が生前ついていた役職を継がなければならない。見習い期間を終え、亡き兄弟の地位を正式に継ぐことになるのは、〝代襲式〟を終えた日からだ。

 2X64年の7月24日。ヒロトは実の姉であるエミの跡を継ぎ、大高の組織の防衛部門に晴れて入隊した。肩書きは狙撃小隊の〝隊長〟だった。13歳の彼は、大高の組織が発足して以来、最年少の隊長となった。小柄で頼りなく見えるヒロトは、11人の部下を率いることになった。

「おめでとう、ヒロト。これはオレからオマエへの贈り物だ。それと、今日付で偵察部門を発足させることになった。〝狙撃小隊〟の隊長にオマエを任ずる―」ボスは淡々とした口調で言った。

 ボスは傍らに立たせておいた従卒役の農夫の手から狙撃銃を受け取ると、それを両手でヒロトに差し出した。

 ヒロトは一瞬、どうしたらいいか分からなくなり、周囲を見回した。カミカゼとマシヤマが並んでヒロトを見ていた。彼等2人は優しく微笑んでおり、2人同時に小さくうなづいた。

 ヒロトは卒業式で校長先生より卒業証書を受け取る小学生のように仰々しく馬鹿丁寧に両手を差し出し、ボスから狙撃銃を受け取った。代襲式に参加していた各部門の幹部達から、一斉に拍手が沸き起こった。

 全長1120ミリもあるこの大型の狙撃銃は、150センチにも満たない小柄なヒロトには大きすぎた。肩に担いでいる姿を遠目から見ると、一本のひょろ長いマッチ棒が、丘に突き刺さっているかのようだった。

 ヒロトの代襲式に続いてマシヤマの代襲式も始まった。これは一大事だった。マシヤマは大高の組織の3代目のボス、『ユウジ』の弟だったからである。ということは、今日付けで7代目の新ボスが誕生することになりそうだ。が、組織を統率するボスだけは代襲制をとっておらず、丘の住民達による投票で決まる。

 銃も撃つことができないほどのビビリのマシヤマに投票する者などおらず、マシヤマ自身もボスなんて大役は望んでいないことから、彼がユウジから受け継いだのは、大高の組織の防衛部門の最高責任者の地位だった。防衛部門の最高決定権者はボスであり、他の組織等と抗争をする場合には、ボスの決定が必要となる。しかし、それ以外の武力行使の決定権に関しては、防衛部門の最高責任者が保持した。つまり実質上マシヤマが、大高の組織の防衛部門のトップとなったのである。

※サンプルを最後までお読みいただきありがとうございます。本作の続きは、Amazonにて購入することができます(一冊99円です)。よろしくお願いいたします。<(_ _)>

天国での戦争一へのリンク ↓ ↓ ↓ 

以下をコピーしグーグルに貼り付け検索をしていただければ、Amazonへと飛びます。↓ ↓ ↓

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80-%E5%A4%A7%E6%B5%B7%E5%8E%9F%E3%80%80%E7%90%89%E8%91%B5-ebook/dp/B00L6O5OYQ/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1466113117&sr=8-1&keywords=%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80


いいなと思ったら応援しよう!