とくになにもない

恋愛してるときに書く文章って、てんでだめだなー。とおもいます。危ういし、なんかふわふわしてしまってる。でもそれと同時に、すごい饒舌になれちゃう。べつに文字に起こさなくてもいいようなことを、ずっとつらつらかけちゃいますね。こわいな。わたし、恋愛なんてもうこりごりだっておもってたんだ。いや、いまもおもってるよ。多少はね。もとかのが音信不通になってから、わたしのなかの内なるメンヘラちゃんが大暴れして、可視化できない人とのつながりを、言葉を重く、行動を重くすることでつなぎとめていました。それだけしか方法がなかったもん。縋るみたいに文章を書くしか、できなかったから。相手がおとこのひとであろうが、おんなのこであろうが、恋愛感情とか、愛情で成り立つすべてが憎いとさえおもいました。けど、5ヶ月も経てば、ひとなんて簡単に治癒できちゃうんだ。というか、すこしずつわすれられてるの。きっと。もとかのに誕生日プレゼントにもらったピアスはまだつけてるよ。もらったハンカチもつかってるし、かわいいニットパーカーも、今年の冬も着るつもりです。おそろいの香水も、きっとこれからもつかうよ。けどそれは、わすれられないからとか、恋しいからとか、恨んでいるからとか、そういうのじゃなくて、ただわたしのものをわたしが使うっていう、ただそれだけ。それ以上も、それ以下もない。こう考えられるくらいには、わたしはもとかのさんのことを、忘れはじめているのです。いつか名前も、なにもかも思い出せなくなる日がくるといいなと、おもいます。あとなんかさいきん、さみしいなー。とおもって、こえともをしてみました。いや、はじめてではなくて。でも毎回入れてはみるのものの、勇気が出なくて通話せずじまい!みたいな。そういうかんじでした。ふつうにこわいんだよね。通話という行為。通話よりもチャットのほうが、ちゃんとことばを選ぶ時間があるし。だけどおもいきって、通話してみた。うん。なんか、なかよくなれました。ちゃんと。もうこえともは消しちゃったけど、がんばっていいね押して、通話に出るのボタンを押せて、よかったなっておもいます。にんげん、そしてわたし、やっぱり簡単には変われないんだなー。と。主語でかにして、責任から逃れようとしてます。でもなんかほんとうに、ネット恋愛に慣れちゃったわたしは、ここがいちばん息しやすくなっちゃった。ここでしか愛とか、恋愛とか、そういうのをさがせなくなっちゃったんだなー。とおもいます。ばかだよね。ばかなんだ。姿もみえない相手に、こんなにゆだねちゃって。なんでもいいよって、きみのすきにしてって、そういう言葉をかけちゃって。うん。一時の感情ってのは、いつでも痛烈なんだ。痛々しくて、生々しいほどに、痛烈なんだ。だからいつもわたしはそれに負けちゃって、こういうふうになってる。でもいまはこれでよかったのかもしれません。わたしの恋愛はね、だいすきとどうでもいいの気持ちでいることがいちばんだいじなの。純度100パーセントの愛情じゃ、わたしがさきにだめになっちまいますから。ね。太宰治の斜陽の「しくじった。惚れちゃった」はこんなきもちなのかな。いや、惚れてない。そういうのじゃない。けどたしかに、確実に、彼に愛情はかんじています。まだこの愛情の種類はわからないけど。さいきんのこと、いろいろ書きました。こんなぐちゃぐちゃな文章、てんでだめです。卒論もがんばらないとなのに、書きたいことたくさんあるのに、パソコンに向かうとなんにも思い浮かばなくなるんだ。水分を与えられないまま太陽にさらされつづけた真夏の植物みたく、わたしもそろそろしょぼしょぼになるのかな。それでも書きつづけるけど。夏、殺人的だ。けど、さいきんは夏にしぬというのも、なんだかロマンチックでいいなとおもいました。いや、季節なんてけっきょくは関係ないのかもな。しあわせの鮮度が高いうちに、せかいとおさらばしたいだけ。うん。それだけ。しぬとかそんな、おおげさなこといわないでよ。

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