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みんなで育てるポンチ絵

まず、タイトルを見て、「ポンチ絵」の話をするんだと思った人は、この先を読んでも時間の無駄なので、戻っていただきたい。この記事は、「ポンチ絵」の話ではなく、「ポンチ絵」と出会った私の話であり、オチも、学びもない。逆に「ポンチ絵」にちょっとドキドキした人は、読んでもらってもいいかもしれない。そんな話。


さて、私はこの4月に転勤をして、忙しい日々を送っているが、だいぶ慣れつつある。自分の無能さを突きつけられ涙する日々に終わりを告げ、自分の無能さを受け入れるフェーズに突入した。いや、受け入れるというか、開き直るというか、考えるのを辞めたというか。悟りをひらいたのである。

転勤に伴い働く場所が変わったが、転職したわけではない。職業は変わってないのに、場所が変わっただけでも、こんなにもいろいろ違うなんて。今はまだ若手ぶってヘラヘラしていれば何とかなる年齢だけれど、これ以上歳を取ったらもうどうしようもない。老化で基本的な身体能力は下がっていき、記憶力や適応力が少なくなるから、できないことが増える。それらを経験値で埋めるしかないのに、経験値を活かすことが難しいとなったら、何もできない。あぁ、だから、この世界には、お門違いの説教をすることしかできない老害が生まれてしまうのかしら、と妥当性があるかないかよくわからない謎の納得をしてしまう。そんな哀しいモンスターになってしまう前に、人生どうにかしたいなあ。

何はともあれ、新しい職場は、みんなデキる人たちばかりなのだ。前の職場が出来ない人ばかりだったとかではなくて、そもそものベクトルが違う。今はなんというか、大人に囲まれて仕事している感じで、そんな雰囲気に身を置く私は常に気が張っている。でも、勉強になるというか、自分も大人になれそうな気がする。もういい大人なんですが。

そんな新しい職場では、現在、全く新しいことをやろうとして、とあるプロジェクトが進行している。今まではわりと偉い人たちだけで計画を考えていたものが、いよいよ実際の運用開始を見据えて、私のような下々の者にも共有されるようになってきた。

今日の社員会議では、ちょっとまとまった時間をかけて、そのプロジェクトについて、プロジェクトリーダーから説明があるという。
私は、少し早めに会議室へ移動し、今日の資料を確認する。今日の議題はいくつかあるが、資料のほとんどがその新プロジェクトに関するものだ。これは長い会議になりそうだ。そう思いながら、新プロジェクト資料の見出しを見た私の思考が一瞬止まる。



「新プロジェクトのポンチ絵(最新版)」


ポンチ絵?あ、ポンチ絵ね。
一瞬、いかがわしさを感じてしまったことについては、言い逃れしようもない。永遠の思春期的思考回路の主人として生きているので、エロくないのにエロい言葉に反応してしまうことに関しては慣れたものだ。

それにしても、ポンチ絵って、聞き馴染みがない。文脈的に、なんか、図を使ってビジュアル的にまとめたものなんだろうなということはわかるけれど、今までこの仕事をしてくる中では聞いたことがなかった。この職場では、よく使うんだろうか。
そうこうしているうちに、会議が始まる。気づいたら周りのデキる人たちもすでに着席していた。会議は滞りなく進み、いよいよ新プロジェクトの話題になった。
「資料をご覧ください。」
リーダーの指示で、皆、資料に目を落とす。誰も「ポンチ絵」にざわついていない。やはり、ここでは普通に使用される用語なんだろうか。
「新プロジェクトについて、現段階までの構想をポンチ絵としてお示しさせていただいています。今後、さまざまな観点からの検討を重ね、随時、このポンチ絵を更新して参ります。つきましては、社員の皆様にもポンチ絵をお読みいただき、ご意見を頂戴したいと考えています。」
とリーダーの説明が続く。私の内心では、あまり「ポンチ絵」を連呼しないで欲しいという思いが渦巻く。なんとなく、こういう格式ばった会議の場で、そういうのは、ちょっとそわそわしてしまう。いや、実際、全然そういうのじゃないんだけど。

会議が終わり、皆、ぞろぞろと会議室を後にする。プロジェクトの中身について話している人はいるが、「ポンチ絵」に疑問を持つ人はいない。この空気の中「ポンチ絵ってなんか、ちょっとエロくないっすか?」って言ってみたらどうなるんだろうと思ったが、辞めた。怖すぎる。

自分の席に戻り、一応、「ポンチ絵」という言葉を検索する。大体の意味は、私の予測通りそうだ。ビジネス用語というか、まぁ、こういう場合に使われることがある用語なんだなーと勉強になった。また大人になってしまった。



「ポンチ絵」との出会いに勝手に私が衝撃を受けてからしばらく経つ。
その後も、会議のたびにデキる人たちに「ポンチ絵」が示され、デキる人たちに「ポンチ絵」は見つめられ、デキる人たちに「ポンチ絵」は修正され続けている。私は未だに「ポンチ絵」にそわそわさせられているけれど、そんなことはお構いなしに、日々、より良い「ポンチ絵」が目指されている。

今日は、珍しくオフィスに人が少ない。イベントがひと段落して、本当に偉い人以外は休暇をとっているようだ。私は偉くないけれど、出張続きで手をつけられなかった仕事を終わらせるために出社した。愛用しているボールペンの字が薄くなっているような気がする。そろそろインクがなくなりそうかな?替えの芯はあったかしら?そんなことを考えながら粛々と仕事に没頭する。今日は、私の周りの席は空席が多く、ちょっと寂しいけれど、集中できるから良い。

遠くのデスクから、デキる先輩たちの談笑が聞こえる。
「で、ポンチ絵ってなに?」「わからんけど、ビジネス用語なんだよね。」「ポンチってどういう意味?フルーツポンチのポンチと同じ?」「調べてみるわ。それにしても、わざわざポンチ絵って言わなくてもいいよね。」「まぁね。そういうのが好きなんでしょ。」「あー、リーダーらしいね。」

そうか、先輩たちも「ポンチ絵」という用語は知らなかったのか。この職場では今までも使われてきたとかそういうわけではなかったんだ。リーダーの使用言語選択のセンスか。
私は、ほんの少しだけ安心し、張っていた気を緩めつつも、自分自身に釘をさすことも忘れない。先輩たちは、誰一人、「ポンチ」にいかがわしさを感じてはいない。ここには、大きな差がある。「ポンチ絵」を知らなかった者同士の連帯感から、自分の思春期的思考回路の厄介さを忘れてはいけない。

とりあえず、プロジェクトが本格的に始まるまで、つまり、「ポンチ絵」が「ポンチ絵」であり続けるうちは、私たちは、この「ポンチ絵」を育てていかなければならない。「ポンチ絵」を知っていようと知るまいと、目の前の「ポンチ絵」に愛を注ぎ、弄り倒し、出来るだけ立派な姿に育てていくのだ。

ついにボールペンのインクがなくなってしまった。「新しい芯をおろしますか。筆下ろし...しちゃいましたね。えへへ。」私は、私の中の永遠思春期的思考回路にそう話しかけ、新しい芯と気合いを入れ直して、なるべく定時で帰宅すべく、仕事を再開した。

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