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習い事

私は幼い頃から習い事をたくさんさせてもらっていた。
この曜日はこの習い事、という感じでスケジュールが埋まっていたから、今思えば、下手な社会人よりも忙しい日々を送っていたと思う。

どの習い事も、めちゃくちゃ楽しくてやっていたわけではないけれども、強要されたことはなく、自分なりに納得してやっていた。
習い事をやるときに、母親が、その習い事をやってほしい理由を説明し、嫌ならばやらなくていいこと、やると決めたなら真面目に取り組むことを約束していた。そしてそれに納得していた。


水泳は、「何かあった時に泳げた方がいいから。」という理由だった。もちろん、川や海は水の流れとか波があるから、水泳が得意であっても溺れてしまうことが多く、慢心はよくない。でも、全く泳げない人よりは泳げる人の方が良い気がする。だから、必要以上にタイムを縮める努力は必要はないし、ある程度基礎が身についたら辞めてよいと言う感じだった。
結局、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールは早いうちに身につけたし、クイックターンとかもできるようになった。小学校高学年くらいの時期には、なかなか縮まらないタイムに面白さを見出せなくなっていたけど、水中での運動は、体力作りにも良いような気がしたから、小学校卒業までは続けた。辞めた時はわりとうれしかった。


ピアノは「今後、音楽をやりたくなった時、やらなければならなくなった時に何かしら役に立つから。」という理由だった。ピアノを習っていたおかげで、楽譜が読める。合唱にハマった時、楽譜が読めることは大変助かった。高校の合唱部で音取りをやらなければならなくなった時、一応頑張ればできるから、なんとかなった。音楽をやらなければならなくなった時とは何かというと、例えば、「子どもが好きだから保育士になりたい!」となった時に、大人になってから0からピアノを始めようと思うと厳しいけれど、子供のうちに基礎をやっておけば思い出すだけだからなんとかなるという理屈だ。なるほど。そんなもんかもな。と思った。実際、保育士は志さなかったけれど、大学の授業でピアノを弾かなければならない授業があって、そんなに苦労をせずに単位をとることができた。
とはいえ、ピアノは嫌いだった。弾けるようになれば楽しいが、まだ上手く弾けない時期にコツコツと練習をするというのが苦手だった。練習をサボって弾けないまま教室に行くので、怒られる。そしてまた嫌いになる。その繰り返しだった。クズである。


英会話も結局、発音とか英語を聞く耳とかは、柔軟な子供のうちの方がいいという理由だ。これもそうなのかな。と思っている。
英会話は基本的に楽しく通った気がする。ただ、中学校の授業をサボったので、文法や英単語が全く身についておらず、英語の成績は地に落ち、英語力も皆無だ。
でも、耳だけは良い。高校生の時に、相変わらず英語のテストの出来が悪く、先生からも英語できないやつ認定されていた。高校の英語の授業では、教科書で勉強するのに加えて、その時に流行っている洋楽の歌詞の中で、高校生レベルの単語や熟語を先生が穴埋めの問題にして、みんなで曲を聴いて穴を埋めながら確認をして、みんなで歌うという時間があった。その穴埋めの時に、席の順番で指名していったら、割と難しめの熟語が私に当たってしまったのだ。私は、「まじか、次当たるけど、日本語訳を見ても全然わかんねー。」と思った。先生も「やべ、絶対わかんねー奴に当たっちゃった。」という顔をしていた。でも答えないとしょうがないから、全然意味はわかんないし、どんな綴りかもピンと来ていないけど、聞こえてくる歌声をそのまま再現して答えてみた。その時の先生の「え?こいつ、なんで答えれるの?いつもテストできないじゃん。」という顔。そして、「合唱部だから、音楽をやっている人はやっぱり耳がいいですね。」という余計な一言。今でも忘れられない。別に怒っているわけではなく、意味がわかっていなかったことを見透かされていることも、よくわからないけど発音は合っていたらしいことも、実は音楽をやっているからではなく幼い頃の英会話経験によるものだということは見抜かれていないこととか、そう言う諸々が、なんだか、素直に、笑える。


書道教室だけは、ちょっと独特な理由だった。「家から近いから。」である。
確かに家から近く、徒歩2分くらいのところにあった。この曜日のこの時間に行きなさいと決まっているわけではなく、基本的に平日は空いているので、好きな時間に行っていいよというスタイル。我が家は基本的には母親が家にいる家だったが、もし何か急用があって母親が家にいない、しかも自分も家の鍵を持っていなくて家に入れないということになったら、書道教室に行ってろというわけである。
実際そういう用途で使われたことはなかったが、近所に家以外の居場所があるというのは、心強かった。書道自体も私には合っていたようで、楽しくやっていた。1番長く続けた習い事だ。しかしまあ、普段の字は上手くないので、書道をやっていたということはあまりバレない。



他にもいろいろなことをさせてもらっていたけれど、書くとキリがない。気になると言って体験に行ったけど、なんか違うと思って辞めたものもある。全て強制されたわけではなく、私が楽しいと思っていたか、やった方がいいなと思って続けていたことである。

こうして習い事をしていて、もちろん、その習っている内容自体も私の糧になっている。でも、実際、ピアノは相当練習しないと弾けないし、普段の字は汚いし、英語は話せないし、水泳のタイムも良くない。習い事をしていた割に成果が出ていない。
では、何を得たのかというと、たくさんの習い事をするということで、私の世界が広がった自覚がある。別に大層なことではない。単純に「今日は月曜日だから、学校のあとはピアノに行く。」「今日は金曜日だから、学校が終わったら、習字がある。」そういう毎日を送っていたおかげで、学校の友達との間で嫌なことがあっても、その後は学校とは別の世界が待っているから、いちいち気にしていられなかった。それそれの習い事の先生、友達、その親、その施設の人など、いろいろな人に出会って、世の中にはいろいろな人がいるなあということを知っていた。どこかで何か上手くいかないことがあっても、だれかと何か上手くいかないことがっても、私には、いろいろな居場所、コミュニティがあったし、世の中にはいろいろ人がいるものだから、ひとつの世界やひとりの人にこだわる必要性もなかった。
こういう生き方をしてきたから、私は、常に一緒にいる友達とか目的もなく会う相手というのがいないし、そういう関係性を築き上げることができない。それは寂しくもある。
だけど、嫌な人とか合わない相手に出会ったとしても、それによって必要以上に傷つけられたり落ち込んだりすることが少なくすんでいるというのは、生きていく上ですごく強みになっていると思う。


母親は「自分は、不器用で、幼い頃は身体も弱かったから、他の人よりも色々なことができない。だから、あなたに色々教えるのは、それぞれプロに任せる。あなたが習ったことを私に教えて。」と言ってきた。無責任に聞こえるかもしれない。その代わり、役員の仕事とか先生との連絡とかママ友同士のあれこれを上手にやって、私がその習い事に居やすいように環境を整えてくれた。
父親はそんな母親の方針に文句を言わず、経済的に支えてくれた。必要なときは送り迎えもしてくれた。発表会とかは見にきて感想を言ってくれた。

言われたことはないけれど、時間的にも経済的にも、自分自身の趣味とかやりたいことよりも私を優先してくれたことがたくさんあったのではないかと思う。
大人になった今だから、ありがたみがわかる。


これだけ好き勝手やらせてもらったのに、私はこの程度の人間にしかなれなかったのかと、申し訳なく重い気持ちになるけれど、今更過去を変えることはできない。
せめて感謝の気持ちを精一杯表していきたいと思う。

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