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みとどけ日記(ゆくひと日記改め)2024.12/4-7

2024.12.4.

幸いはなかった。
 夜22時半過ぎに着信。出るとへにゃへにゃ声で「倒れちゃったんだ。俺はもうだめだ」とか。
 行ってみればリビングのソファとローテーブルの間に挟まるように寝ている。電話をかけたスマホはなぜかかなり遠くに。寝転びながら色々訴えるが「頭をぶつけた」のはいま寝ている場所ではなくダイニングの椅子の脚? 支離滅裂。正直、「助けてくれー」という心の叫びを後付の物証で作り上げた感じ。
 結局そのままBMKは父宅に泊まることになり、たびたび起きては動き回る父の気配で眠れず。

本日、ケアマネが来たので、早めにSOSを出しておいた。

そういえば、昨日午後からBMKのメガネが消えた。紛失後、各種おまじないを試しながら探したのに……。ところが今朝父宅から戻った時にあっけなく見つかった。
 当然、なぜここに? な場所だが、思い返せば、病院から帰宅後にかかってきた電話に反射的に反応した際に置いたのだろう。

今日は昨日のようなことはないと願いつつも、逢魔が時を作らぬため、夕食後そのまま父宅い続けてこの日記などを書きつつ寝る時を待つ。
 夕食は仏様のご飯みたいに二口三口ずつ食べきり量を出す。本人より夕方にロールパンを二つ食べたと申告もあったので。

9時ちかくになって「足が痛い」と下剤を飲もうとするので、止めて、湿布を貼らせる。逢魔が時に入った瞬間? 眠い。父も同じはずなのに……。あと2時間余り。BMKはもちこたえられるか。
 10時半。時の流れが遅い。寝たかと思ったら立ち上がりそのままうとうとしている。声をかけて座ったらと促す。赤ん坊が眠りに落ちまいと理不尽にむずかることがあるが、あれと同じか。BMKはあと1時間ももたない。散々動き回り、足が痛いと訴える。矛盾のかたまりである。11時への謎のこだわり。あれをやりこれをやり最後は冷蔵庫をあけてビールを飲む。間違ってもBMKには勧めない。ついでに菓子を口にほおばる。
 盛大なげっぷを放ちながらベッドに向かう途上「もう11時だから寝るよ」だって。
 好きにせい!
 BMKはさらに30分余りジュリアーノ・ダ・エンポリ『クレムリンの魔術師』(林昌宏訳 白水社 2022)を読み進めて寝落ちしたのを確認しようとしたら、即起き上がりトイレへ(爆)。
 大変だねぇ、心底そう思う。いろいろつらいだろうね。夜中に息子にきつい言葉も投げられて。
 彼は眠れないという。最終的にその原因を足の痛みに持っていくのだが、傍からみるとまたちがう。便秘が痛づいていると言い下剤を多用してはトイレを寝床とする。服用を止めればよいとおもうだが、それはそれで問題なのだ。ただ、その排便量も若いころのイメージを基準としているにちがいなく、食事量も減っている現在の量とは到底合致しない比較をしている。

[BMKぶんろく 12/4]

2024.12.5.

帰宅は6時であった。
 人間の多面性多様性を大切にしようと思いながらも父のみせるそれには戸惑い怒りを覚えてしまう。
 確認できたのは、逢魔が時にわたしがそこにいてもなにもかわらないということ。BMKの存在は彼にとって薬にも癒しにもならないということ。
 これまでどおり、かれが滑った転んだで電話してきた時だけ駆けつければよい、ということがわかった。
 もうひとつ、いまの生活を父が続ければ、エネルギーの枯渇は遠くないだろうと思う。
 それを見守るだけ、粛々と見届けます。
 
昨夜のおむつ回収。6個。一時間に一つ履き替えている計算。寝られるはずもない。

区へオムツ支給申請了。
 父には、トイレに行くたびにリハビリパンツを替えるのではなくパッドを交換することを提案する。トイレにパッドセット済みのパンツ数枚とパッド数枚を置く。

午後、入浴見守り。ついでに見守りカメラの視野変更調整。入浴更衣時リハパンに便不着。排便はある。摂取量がすくないところにもってガンガンの下剤服用で「形」がないだけかも。それに昨夜の不眠の影響がもろに体に現れている。退院後伸びていた体がくの字に。
 シャワー後、母の遺影に「もうちょっと待っていてね。一人じゃ寂しいでしょ」と。
 長くはないのかな。
 BMKにはどうしようもないこと。できるだけ一日の時間の大半がらくちんな火を送ってもらえるように介入します。
 
たぶん今夜は滑った転んだで電話してくるのだろうな。淡々と粛々と。

“BMKの気まぐれ”見守りカメラい1台増設。気まぐれに覗いて倒れていたら駆けつけるか、24時間訪看(昨日から契約)に連絡。
 リビングソファの座高を高くする“下駄”装着。立ち上がりが多少は楽になるはず。
 あとは、トイレの引戸部分に手すり的なものを造作すれば環境整備はほぼ終了。あ、キーボックスも設置しないとだめか?
 
今日は自分のベッドで寝る。
 それまでの間、電話を待ちながら、日常業務に必要な公的証明書をオンラインで請求。なかなかログインできず数回繰り返す。

[BMKぶんろく 12/5]

2024.12.06.

秒でとはいかなかったが、数分で寝落ちした私を起こす電話はなかった。
では、父の夜が平和だったかというとさにあらず。

朝、訪問すると、夜の奮闘努力の痕跡がそこかしこに。しかも昨夜は1階のトイレだけにとどまらず2階のトイレにまで出張したとか(2界のほうが出やすい時があるんだ、とか)。そちらをのぞくとそこにも痕跡が!
 父は排泄の不始末を懸命に掃除しつつ一晩過ごしたのだ。えらいのかすごいのか、体調が悪いのかどうなのか、よくわからない。

ただ、BMKはこの手のことの後始末はまったく苦にならない。1時間おきの“糞”活や、立ちながらウトウトしているにもかかわらず、「11時過ぎにならないと眠気が来ない」という謎のこだわりのほうが、かなりイラっと来る。

まずは本人の洗浄。1階床面の清掃に続き、トイレ、洗面。ひとまずここで終了し、洗濯へ移行。つけ置き別洗いが必要なもの、すぐに洗濯機で回せるものに分けて洗う。
(一晩じゅう床掃除や2階への昇降で)膝が痛くてしょうがないというので、シップとサポーターで処置。車いすに座らせ、足で蹴って移動するように言う。
 昨夜のオンライン申請にぬけがあったので再度送信しろと言われたのでその作業を挟んで、2階のトイレへ。
 洗濯機のものを干し、つけ置きその位置を洗濯からの干し。そして最後の大物毛布を洗う。ここまででほぼ午前中はつぶれた。
 オンライン申請の書面を窓口で受け取りに行く前に、昼食を用意し、居眠りしている父の目の前に置いて、出かける。
 窓口で待つ間、見守りカメラを覗くと、トイレまで車いすで行って戻ってくる姿、つづいて食べる姿が確認できた。

父と私の“糞”闘の一日であった。

父の夕飯の片づけをしているところへ福祉用具さんから電話。月曜日といっていたポータブルトイレの納品を「諸事情を考慮して、明日なんとかします!」と。ありがたい。まじ、ありがたい。
 父に「今晩一晩我慢してくれ」と伝える。

[BMKぶんろく 12/6]

2024.12.07.

さてまた夜が明けた。
 自分のルーティンをこなした後、見守りカメラを覗くとベッドに寝てる!
 でも家の中は……、おそるおそる覗くと、特に異常は感じられない。トイレのゴミ箱の中にはおむつは二つ。たった二つ!
 昨晩はよく眠れたようだ(当然だけど)。熟睡しているようなので起こさずに朝刊をテーブルに置いて去る。
 一喜一憂してもしょうがない。が、父もBMKも退院後初めてのハッピーな朝であった。

午後と言っていたが、福祉用具さんが9時前にトイレを持ってきてくれた。感謝。
 さっそく組み立て、置き場所を決め、周辺の環境を整える。使用は夜だけなので、昼間は来客にトイレが視界に入らないように、父宅の納戸から箱に入ったままの使っていないシーツを取りだし被せる。YUKI TORII のポータカバー(笑)のできあがり。

午後、退院後の臨時往診。現況の確認、今後のことを話し合う。
 今回の入院時の様子から見て、次は、可能な限り「入院」は避けること、そのうえで、感染症等に十分注意した生活にすること、母貞子のように在宅で穏やかに最期を過ごせるように自分たちもサポートすることなど。
 そのうえで医師に「息子さんも、心配でしょうが、目を離すところは目を離して、お父さんの好きなようにさせてあげてください」といわれたので「ええ、距離感を間違えないようにいたします」と。

夕方、入浴の見守り。

今夜がそこそこ平穏ならば、新しい日常に向かっていくのかもしれない。

こうして、みとどけ生活第二章がなし崩し的に始まった。

[BMKぶんろく 12/7]

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