晴れた日にメメント・モリ
天気の良い日にメメント・モリ
今日からの(暦のうえでは)連休中、おっさんは犬一頭と都会で限界集落暮らしとなる。
命の終わりがちかしい年齢だから、この状況で死んだときに、どのように発見されるのかと想像してみる。
近所付き合いもないし日々訪ね合う人もいない。
犬はおっさんのことをうんこ拾いと餌運びぐらいにしか思っていないから、普段から鳴いたことがない犬が心配して鳴き、うんこ拾い人の急変を知らせようとする「感動の物語」は期待できない。
犬が餓死するまでの時間はしらないが、四五日で死ぬこともないだろうから、帰宅して、溜まっている新聞や配達記録に首を傾げつつ玄関を開けた家族に尻尾をぶるんぶるん振ってとびかかるのだろう。
家族はしばらく犬を慈しみ、ようやく水入れが空であったり、ゲージ内のシートが尿で汚れていることに気がつき、玄関を入った時に感じた加齢臭ではない、異臭の原因はこれかと思うかもしれない。
この時、犬のいる部屋やその近くで私が死んでいれば早くに発見されるだろうが、寝ている部屋だとさらに発見は遅れるだろう。
発見されたあとの始末に対しては、申しわけないというばかりだ。
孤独死で、なおかつ、ここは23区内だから、監察医へ持ち込まれるのだろう。家族もあれこれ聞かれて嫌な思いをするだろう。もしかしたら、一人にしたことを後悔したりするかもしれない。
なによりも掃除が大変だろうな。
いや、ほんとうに申しわけない。先に謝っておく(笑)。
テレビで掛け捨ての死亡保険の「子供もに迷惑を掛けたくない」からという宣伝を目にするたびに、それならばなぜ、家族を持ち、子供を産み育てたんだ?と憤っていたが、孤独&腐敗死を考えると、確かに「大」迷惑だと思う。
葬式代ではなく、「清掃代」として掛けておこうかなと思ったりする五月晴れの朝である。
というわけで、今日はこれから、この2冊をパラパラと。2021.05.02.