【映画】「ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ~」感想・レビュー・解説
いやー、面白かった。映画としてよく出来ているみたいなことでは特にないのだが、扱われている題材が僕にはとても興味深かった。
と言っても僕は、作中で扱われている時代のことはまったく知らない。「革マル派」「中核派」「内ゲバ」みたいな単語は、もちろん聞いたことはあるが、それが何なのか、映画を観終えた今もちゃんとは説明できないと思う。それぐらい、「左翼闘争」(で合ってるのか?)みたいなことに対する知識がない。そういう人間が感想を書いているのだと理解してほしい。
僕は早稲田大学と慶応大学に受かっていて、なんとなく慶応大学を選んで進学した人間だ。まあそれもあって、と書くのが正しいのか分からないが、早稲田大学のことはよく分からない。本作で描かれている出来事は「早稲田大学文学部キャンパス」で起こっていたそうで、恐らく「文学部だけ別のキャンパス」ということなのだと思うが、それも正確には知らない。ただ作中である人物が、「文学部のキャンパスを一歩出たら、そこは平和な世界なんだから」みたいなことを言っており、恐らく「文学部キャンパス内」で特異的に展開されていたことなのだと思う。
本作で描かれる出来事の時系列の一部をざっくり抜き出すと、次のようになる。まず、1972年11月に早稲田大学で川口大三郎という学生がリンチの末に殺された。それを実行したのが、早稲田大学を牛耳っていた革マル派である。そしてこの事件を受けて、一般学生が革マル派排除へと動き始める。そして恐らくその運動により革マル派が衰退、早稲田大学は「左翼」の支配を受けない自治を取り戻した、のだと思う。「のだと思う」と書いたのは、本作ではそこまで描かれないからだ。「ホントにこんな時代があったのか?」と感じてしまうような異常な世界だった。
それではまず、本作にざっくりした構成について触れておこう。全体的にはドキュメンタリー映画なのだが、一部劇映画が混じるという珍しい構成の作品になっている。
本作ではまず、「川口大三郎が殺されるにいたった後景」を説明していく。1972年当時、早稲田大学は革マル派に牛耳られていたのだが、どうしてそのような状況になってしまったのか、という部分が語られるのである。
それから、劇映画パートが始まる。ここを監督したのは、早稲田大学出身の劇作家・鴻上尚史である。キャンパス内で「討論をしよう」と言って”拉致”された川口大三郎が、革マル派と敵対する中核派の「スパイ」であると疑われ激しい拷問を受ける。そして最終的に亡くなってしまうまでの一部始終を再現したものだ。
そしてそれ以降は、川口大三郎や、彼の死をきっかけに立ち上がった様々な運動に関わった人物のインタビューによって、「あの時代、早稲田大学で一体何が起こっていたのか」を明らかにしていく作品である。
それではまず、「早稲田大学が革マル派に牛耳られていた背景」から説明していこう。
1969年4月17日、全共闘が、革マル派の拠点だった早稲田大学を占拠した。そしてその争いは同年9月3日に、機動隊を投入することで強制的に終了させたそうだ。そしてその後革マル派は、「大学当局の後ろ盾を得て全共闘を締め出し、当局を支配した」と説明された。正直なところ、どうして大学が、学生集団に「支配される」などという状況になったのか、その辺りのことはイマイチよく分からないのだが、まあそういう時代だったのだろう、ぐらいに理解している。
この支配はなかなか凄まじいものがあった。例えば、川口大三郎がリンチされていた日、大学教員が何度か、川口大三郎がいた部屋の前を訪れている。しかし、その前で門番のように立ちはだかっている学生にちょっと声を掛けるだけで、すぐに退散してしまうのだ。川口大三郎の友人が、「どうして中に入らないんですか」と訴えるも、教員は、「(革マル派が支配している)自治会に教員が入れるとでも?」みたいな返答をするのである。個人的には「えっ?」と感じてしまった。現代の感覚からすれば「入れよ!」ってなもんだろうが、当時はそうはいかなかったのだろう。ある人物は、大学と革マル派の関係について「癒着」という言葉を使っていたので、何らかの利害関係が存在していたのかもしれないが、その辺りのことはよく分からない。
さて、当時は「革命的暴力」という言葉がよく使われていたそうだ。これは「革命を実現するための暴力」みたいな意味であり、彼らは、「それがマルクス・レーニン主義に貫かれている限り、その暴力は『正しい暴力』である」と主張していたそうだ。そしてこのような感覚をベースにして、「暴力行為によって状況を打破する」という考えが左翼的な者たちの間では当然のものとして捉えられていたそうだ。
この点については、作中に登場した内田樹の話が興味深かった。彼は、本作中で描かれる出来事に直接的には関係していないのだが、川口大三郎が殺された後、ある内ゲバで殺されてしまった東大生・金築寛の友人だったそうで、そのような繋がりで本作にも登場していた。
内田樹は、左翼的な集団(名前は忘れてしまった)と行動を共にする機会があったそうで、その時の出来事について話していた。まず、地下鉄での移動で切符を買おうとしていた内田樹に、「買う必要はない」と言ってきた。「鉄道会社はブルジョワ企業であり、彼らを打倒するために活動しているのだか」という。内田樹は既に切符を買っていたのでそれで改札を出たのだが、他の者たちはキセルで改札を抜けていったという。
さらにその後、目的の駅に着いたら、その脇にあったおでん屋さんを襲撃し、勝手におでんを食べ始めたというのだ。100歩譲って鉄道会社はブルジョワ企業だからという理屈が通るかもしれないが、おでん屋さんはそうではない。しかし彼らは、平然とそんなことをしていたというのだ。
そして印象的だったのは、「そんな振る舞いをしている連中も、学内で会えば、どちらかと言えばおとなしい普通の学生だ」という話である。内田樹は、「自分の中の理屈が通れば、暴力的なことでも平然とやってしまえる人間が一定数いるという事実」に、とにかく驚かされたと語っていた。
そんなわけで、早稲田大学の自治会を牛耳っていた革マル派も、暴力が日常茶飯事であり、それ故に川口大三郎をリンチの末に死亡させるという事件を起こしてしまったのである。
さてもう1つ触れておくことにしよう。「内ゲバ」というのは調べてみると「内部ゲバルト」の略だそうで、「ゲバルト」はドイツ語で「威力、暴力」を意味する。つまり、「同一陣営内での暴力抗争」のことを指しているというわけだ。
そして、川口大三郎が殺されてしまったのは「中核派のスパイ」と見做されたからなのだが、となると、「革マル派」と「中核派」は「同一陣営」ということになるだろう。この辺りの話にも触れておこうと思う。
「革マル派」と「中核派」は元々、同じグループだったそうだ。しかし、1963年4月に分裂した。分裂後も、彼らはまったく同じ「共産主義者」という名前の機関誌を発行した。そして、中核派は池袋に拠点を持っていたこともあり、革マル派は中核派のことを「ブクロ」と呼んでいたという。
本作中では、池上彰がその違いについて説明をしていた。説明していた相手は、劇映画パートに出演する役者たちである。鴻上尚史は、撮影に入る前に「日本左翼史」の講義を池上彰に頼んだのだ。僕の理解が正しいか心もとないが(なんとなく、池上彰が「革マル派」と「中核派」を言い間違えていた気もしていて、それもちょっと混乱したポイントなのだが)、池上彰の説明はこんな感じだったように思う。
まず中核派は、「機動隊とはガンガンぶつかって行こうぜ!」というスタンスだったそうだ。もちろんそれによって逮捕者も出るし、そうなれば人数が減ってしまう。しかし、そういう衝突によって、新たに参加する人が増えればいい、みたいな考えだったそうだ。
しかく革マル派は、そのような中核派のスタンスを「何をバカなことを」と見ていたという。革マル派にとっては「組織化することで参加者を増やしていく」ことが大事であり、だからこそ大学の自治会を支配するなどの方法で組織を広げていく方向へと進んでいったのだそうだ。
また本作には、作家の佐藤優も出演しており、革マル派と中核派の違いについて述べていた。これは、「川口大三郎は何故、革マル派から『中核派のスパイ』と見做されてしまったのか」に関する説明の中で語られたものだ。
中核派というのは比較的、初見の人間にもヘルメットを被らせて活動に参加させるようなスタンスだったそうだ。しかし革マル派は違った。主要な活動に参加させる前に、かなり慎重に人を見極めていたはずだというのだ。だから、革マル派では、ヘルメットを被った活動に参加できるようになるまで時間が掛かる。
さて、川口大三郎は中核派の集会に出入りしており(これは確かだそうだ)、恐らくヘルメットを被るような活動にも関わっていたのだと思う。中核派からすれば「初見の人間にもやらせる」ぐらいの行為だが、革マル派からすれば「よほど信頼された人間にしかさせない」行為である。だから革マル派は、革マル派の理屈で川口大三郎の行動を判断し、「彼は中核派のスパイに違いない」と判断したのだろうと佐藤優は語っていた。
ちなみに、作中に登場した川口大三郎の同級生は後に、当時中核派のキャップだった人物に話を聞きに行き、その際に聞いたことを文章にまとめていた。本作中でそれを読み上げていたのだが、その中でそのキャップだった人物が、「どうして川口大三郎が中核派のスパイと見做されたのかよく分からない」みたいに言っていたという話が出てきたと思う。深い関わりはなかったそうだ(もちろん、キャップが本当のことを言っている保証は無いわけだが)。
ちなみにこの点に関しては、「ある意味では自分のせいで川口大三郎が中核派と関わりを持ってしまったので、後悔している」と語る人物が登場する。同じく川口大三郎の同級生で、同じ2年J組だった人物だ。彼は元々部落差別の問題などに関心を持ち活動をしていたのだが、川口大三郎はそもそも部落差別を知らなかったそうだ。そんな差別が日本に存在することを知り憤った川口大三郎は、それから、部落出身の人物が殺人罪で逮捕されたが本人は無実を訴えているという「狭山事件」と関わるようになっていく。そしてこの「狭山事件」に中核派も関係していた。同級生らは元々、「法廷闘争で救い出そう」と考えていたのだが、川口大三郎は中核派の考えに染まり、「獄中からの実力奪還」という考えに傾倒していたというのだ。
そんなわけで、川口大三郎に部落差別の話をしなければ死なずに済んだ、とも言えるわけで、まあこれも「たられば」の話でしかないのだが、やるせない話だなと思う。
さて、そのような背景があって、川口大三郎のリンチ殺人事件が起こってしまう。首謀者たちは東大医学部附属病院前に川口大三郎の遺体を放置した。その後、「国際反戦デー」の日に実行犯が逮捕されたという話が出てくるのだが、調べてみると国際反戦デーは10月21日。逮捕までに1年近く掛かっていることになる。
しかし、作中では言及されなかった気がするのだが、公式HPには、
【11月9日昼過ぎ、革マル派が声明を発表し「川口は中核派に属しており、その死はスパイ活動に対する自己批判要求を拒否したため」と事実上、殺害への関与を示唆する内容の声明を発表した。】
と書かれている。事件の翌日には、「革マル派の内ゲバで死亡した」ことが明らかになっていたのだ。だったらどうして、逮捕までに2年も掛かったのだろう。その辺りのことはよく分からない。
さて、川口大三郎の死をきっかけに、これまで革マル派の暴力に怯えていた一般学生が立ち上がり、「自治会を早稲田大学から取り戻す」という機運が生まれることになる。本作『ゲバルトの杜』は、『彼は早稲田で死んだ』というノンフィクションを原案として作られたのだが、その著者である樋田毅は、文学部の新自治会の委員長に就任した人物である。
そしてここから、「革マル派」「新自治会」「行動委員会」という三者の争いが展開されていくことになる。
「行動委員会」というのは、革マル派から自治会を取り戻そうという動きに合わせて生み出された組織である。新自治会は「非暴力」によって革マル派から自治を取り戻すつもりでいたのだが、「さすがにそれは無理だろう」と考える人たちもいた。なにせ革マル派は、凄まじく暴力的である。だから、「自衛のための暴力」を保つ必要があると考えた人たちによって「行動委員会」なるものが作られたのだ。「新自治会」と「行動委員会」は、「革マル派から自治を取り戻す」という目的は同じだったが、そのやり方があまりにも対極だったために、対立してしまうことになる。
なにせ行動委員会は、理工学部内で講義中だった学長を”拉致”し、そのまま団交(団体交渉)に持ち込もうとしたりするのだ。作中には、この”拉致”に関わった人物も登場するが、「”拉致”というよりもっと軽いノリだった」「川口大三郎の死に責任ある人物が表に出てこないのだから、これぐらいの暴力は許されて当然だろうと思った」みたいに口にしていた。個人的には、ちょっと許容できない感覚だったし、新自治会が行動委員会のやり方に納得できなかったのむむべなるかなと言ったところである。
しかし、最後の最後まで非暴力を主張し続けた樋田毅も、ある時革マル派から襲撃を受け全治1ヶ月の重症を負ってしまう。そして彼が入院している間、自治会内でも「もはや暴力に打って出るしかないのでは」という議論が出るなど混迷を極めるこことになる。
その後、「引っ越し作業中だった東大生が革マル派に殺された」という事件が取り上げられ、まさにその場にいたという人物が当時のことについて証言をしていた。とにかく当時は内ゲバが凄まじかったようで、最終的には、「中核派が殺した革マル派のメンバー:48人」「社青同解放派が殺した革マル派のメンバー:23人」「革マル派が殺した中核派・社青同解放派のメンバー:15人」と、100人に迫ろうとかという者たちが内ゲバによって命を落としてしまったそうだ。作中のある人物は、「内ゲバは不毛でしかなかった」と語っていたが、本当にその通りだと思う。
しかし本当に、彼らが目指した「革命」とは一体なんだったのだろうか?
この点について面白かった場面がある。池上彰が行った講義の中で、劇映画パートに出演する唯一の女性役者が、「彼らにとって、『革命』というのはどれぐらいリアルなものだったのか?」と質問していたのだ。その中で彼女は、「彼らは日々『膝の皿を割っていた』わけで、それが『革命』に繋がると思ってたわけですよね?」みたいに投げかけていた。この場面では、役者たちの質問ばかりが映し出され、それらに対して池上彰がどのように答えたのかは分からないのだが、彼女の質問には「確かにな」と感じてしまった。普通に考えれば、「誰かの膝の皿を割ること」と「革命」は結びつかない。しかし、そこに「リアルな繋がり」があるのだと、一部の狭量な世界の理屈かもしれないが感じさせられたのだとしたら、やはりそれはあまりに異常だったとしか思えない。
今の時代の学生には当然だろうが、僕が学生だった頃にもちょっと信じられないような出来事が起こっていたことに驚かされたし、同じ国の話とは思えなかった。